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三濃山最短登山と感状山



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平成14年7月11日(木)  メンバー 私だけ

三濃山 みのうさん 508.6m
感状山 かんじょうさん 305m


三濃山へ

播磨科学公園都市から三濃山への登山道があるというHPがあり、登山口さえ見つかれば標高差も少なく、距離も1km以下になるはずで、楽な登山というか、散歩ができそうだ。

6:18
家を出発。昨日台風6号が太平洋を通りすぎ、天気は曇り。国道29号線に出て北上する。「追分」で左に曲がり揖保川を渡り新宮町へ。播磨科学公園都市への案内看板に従い車を走らせる。

角亀トンネルを抜け科学公園都市に入ると、新宮町の田舎の風景から一変し広々とした風景が広がってきた。というか、まだ進出している企業が少ないのだろう。北のほうには和歌山の砒素を分析して有名になった放射光実験施設スプリングエイトがある。

新宮町から上郡町に入り「テクノ中央」で左折し、南の相生市に行く道に入る。再び新宮町に入り、三濃山トンネルの手前の光都三丁目の交差点を右折。再び上郡町に入り、坂を上りきった所にある十字路に案内板を発見。十字路の南にある配水池の裏から三濃山への道があるようだ。

三濃山自然歩道

この自然歩道は、播磨科学公園都市と三濃山山頂を結び、求福教寺を経て、羅漢の里で山陽自然歩道と連絡しています
三濃山は、播磨科学公園都市周辺では、最も高い山で、山頂からは瀬戸内海の相生湾や家島群島が眺望できます。
三濃山求福教寺は、山頂から、約200m南にあります。この寺は、建立は弘法大師によると言われ、源義家の信仰があつく、三濃千坊と呼ばれるほどでしたが、今では観音堂のみ残っています。

(十字路にあった案内板より)

7:15
十字路を左折し坂を上り、第二配水池の門の前に到着。邪魔になら無いと思う所に車を止める。2万5千地形図「二木」の三濃山の北にある大き目の黒点の所だ。

門の西側に「三濃山遊歩道」の看板と地図があり、頂上まで810mしかないようだ。標高差は120mしかないので楽に頂上に行けるだろう。登山口がこんなにも簡単に見つかるとは思っていなかった。

車は、登ってきた十字路を北に行くと、直ぐ行き止まりになっているので、そこに止めたほうがいいと思う。

第二配水池
車の出入りはなさそうな施設だ

登山口の案内看板
分岐を右に行けばいいようだ

7:22
用意を終え登山開始。案内図によると分岐があり右に行けばよいようだ。登山道というか遊歩道はよく整備されていて擬木の階段道になっている。道幅が広いので蜘蛛の巣も架かってなく快適な道だ。

7分ほど行くと分岐に出た。右も左も擬木の階段道で左は登り、右は下りになっている。下るのはおかしいので左に進む。1分ほど行くと案内図の分岐に着いた。さっきの右に行く道はどこに行くのだろう。

雑木の中の少し暗い道を行く。ところどころに案内看板があり「’98−03」から始まり、頂上のは「’98−09」だった。

少し暗い雑木の中の緩やかな遊歩道

案内看板
新都市とはどこのことかな

7:42
三濃山頂上に到着。登山口から20分しかかからなかった。かなりの手抜き登山だ。頂上には枯れかかった赤樫があり、有志が懸命に再生に努めているようだ。

老、赤樫より
気がついてくれてありがとう
無残な姿をさらしている私が今も最後の力をふりしぼって
新しい根を伸ばし続けていることを
遥かなる時の流れの中で、人々の暮らしをこの三濃山の頂上
で見守ってきたけれど
そしてもう終わりに近いことは悟ってはいるけど
それでもまだあきらめてはいない
私の新しい根が大地にたどりつくまで
そして、みんなが私を忘れずにいてくれるかぎり・・・

 この赤樫は、何百年という年月を三濃の頂上経納山に
そびえ立ち、行きぬいてきました。
しかしながら、ここ数年の自然環境の悪化により、瀕死の状態に
陥っています。
それでもあきらめずに今年もか細い根を伸ばし続けています。
 必死に生きようとしているこの老木に心を動かされ、有志と樹木医で
治療を行いました。
今後も継続して治療を続けていきたいと思っています。
 応援をしていただける方は浄財をお願い致します。
又、次回に登られる時には、ペットボトル一杯の水を柵の周りに
かけていただければ幸いです。
据付のノートには、メッセージ、住所、名前をお願いします。

赤樫を守る会

三濃山頂上の赤樫
ほとんど枯れているが、まだ葉は少し茂っている

30年ほど前までは近くに村があり、大事にされていたのだろう。人がいなくなり世話をする人がいなくなり枯れ始めたのだろうか。

三濃山頂上に着いたとき、降り始めた小雨も上がり、日が差し出した。コンビニで買ってきた朝ごはんを食べる。南側の展望が広がっていて瀬戸内海の島々・淡路島、それに四国も見えるような気がする。


三濃山から南の展望
四国も見えるような気がする

頂上から南に下りると、電柱・民家風の建物(避雷針が立っているのが変わっている)・山王権現のお堂などがあり、草は短く刈られ手入れがされている。その南には三濃山求福教寺のお堂がある。

元三濃山求福教寺(みのうさんぐふくきょうじ)(相生市矢野町三濃山)

元三濃山求福教寺は、伝承によると、弘法大師が平安年間の大同年間(806〜9)に一伽藍を建立し、真言の法窟としたといわれ、また「峰相記」では貞観6年(864)に赤穂郡の長官である秦造内麻呂(はたのみやつこうちまろ)が秦河勝(はたのかわかつ)の遺跡を訪ね、冥福を祈って観音寺を建立したと伝えられています。また、鎌倉時代には源義家が堂宇を再建し、三濃千坊の隆盛をみたが、保元・平治の乱で焼失し本堂だけ残り、三濃山観音寺として法燈が守られてきたと伝えられています。
本堂の周辺には、往時の寺の基礎や五輪塔が残され、境内には大避神社と弁才天社が祀られています。

相生市教育委員会
兵庫県自治振興資金(公営競馬収益金)助成)

三濃山求福教寺
小さいお堂だ

8:54
三濃山の頂上に戻り、下山開始。

9:08
行き先の分からない分岐点に到着。どこに行くのか確かめるため、左側の道を行く。その道は倒木もあり、あまり使われていない雰囲気だ。擬木の緩やかな階段道が続き、368を通り道路に出た。

そこには三濃山まで1600mの案内看板があった。配水池からよりも倍遠く、付近には車を止められそうなスペースは無かった。

9:33
車に戻る。



感状山へ

9:35
車を出す。南に向かい、三濃山トンネルを抜け、瓜生羅漢の案内看板に従い羅漢の里に行く。

9:49
羅漢の里に着き、入口側の駐車場に車を止める。平日なので1台も車は止まっていない。とりあえず羅漢石仏に向かう。

瓜生羅漢渓

鍛冶屋川の源流三濃山の東南山麓に位置する瓜生字鍛冶屋、古くは天慶(てんぎょう)の乱(939〜941)の賊徒藤原清純友(ふじわらのすみとも)の一味が隠れ住んだ矢野の岩屋、くだって建武年間(1334〜1335)赤松氏の居城であったと言う感状山城の西搦手(からめて)の間道に沿った渓谷として知られてきた。この渓谷の岩屋の奥に羅漢が祀られていることから、早くより”瓜生の羅漢さん”と呼ばれしたしまれてきた。羅漢渓谷の中には渓(たに)川が流れ、春は桜、初夏のもみじ、夏のキャンプ設営、秋の紅葉と、人里からほんのわずか入ったところでありながら、深山幽谷の味わえる好適地である。小岩の石段を登り巨岩のトンネルをくぐり抜けると大きく張り出した岩壁のくぼみに、釈迦三尊の石仏が肩を寄せ合うように安置されている。このあたり、鍛冶屋川をさかのぼると、海抜508mの三濃山頂にたどりつく、ここはかって、三濃千軒として栄えた三濃山求福寺の遺跡がある。また羅漢境内からの登山路(延長413m)を散策し、尾根づたの道をたどれば、中世山城の石垣が残る感状山城跡を訪ねることができる。

相生市

橋を渡り渓谷に沿って登って行くと、「羅漢石仏まであと150m」、「感状山城跡まであと550m」の案内看板あり。また次のような看板もあった。

注意

この山系で熊らしきものの目撃情報があります。入山の際には注意してください。

相生市農林水産課 23−7133


感状山城跡 国指定文化財(平成8年3月28日指定)

感状山は、瓜生城とも呼ばれ、鎌倉時代に、瓜生左衛門尉によって創築されたと伝えられています。
その後、南北朝・室町期になると、守護赤松氏一門の居城となり、建武3年(1336)には、新田義貞の進攻に対し、赤松円心の白旗山城に呼応した赤松則祐が、この城にたてこもって防戦し、その戦功により足利尊氏から感状を与えられ、感状山城と呼ばれるようになったと伝えられています。
城郭の構成は、連郭式・階郭式の縄張りで、典型的な戦国山城の地取りとなっており、山頂部を中心に総石垣造りで、建物跡と思われる礎石群が盛時のまま残されています。

相生市教育委員会 振興資金(公営競馬収益金)助成

熊がいるとは思えないが。

大岩の間の石段を登り羅漢石仏に到着。岩棚の下に異国風の感じがする石仏が祀られている。

瓜生羅漢石仏(相生市矢野瓜生)

この石仏は、作者・製作年代は不明ですが、伝説では、朝鮮の僧恵便(えべん)・恵聡(えそう)がここに隠れ住み、後世の人々に仏縁を結ぼうとしてつくったといわれています。
また、この境内は建武年間、赤松氏の居城であった感状山搦手の間道にあたり、この石仏は、真言宗の山伏の作で、戦国武士たちの霊をとむらうための供養仏であるともいわれ、約400年余前の室町時代に彫刻されたと推定されます。
岩窟は幅7.7m、高さ約5メートル、奥行約4メートルで、その中に釈迦如来像を中心に、文殊、普賢両菩薩及び十六羅漢像が左右に並んでいます。

相生市教育委員会

瓜生羅漢石仏
日本の石仏とは少し違うかな

10:14
感状山登山口まで引き返すが、コケの生えた湿った石畳の道と登山靴の相性が悪いのか、滑りまくりで怖かった。

登山道は、非常によく整備された九十九折れの階段道で、これを尾根まで登っていく。

感状山への登山道(1)
登り易いけど

「城跡まであと120m」までは階段道が続いていて、その上の尾根は、少し山登りらしい道になっている。

感状山への登山道(2)
城跡が近く土地の改変ができないのだろう

10:34
物見岩に到着。ここから城跡が始まるようだ。視界が開けていて、下界の町の様子がよく分かる。攻めてくる敵の様子が手に取るように分かっただろう。

10:40
物見岩から倉庫跡などを通り、急な岩場を登り感状山頂上に到着。登山口から25分ほど。頂上は平坦地でテニスが出来るくらいの広さがあり、南東の方向が開けている。

感状山頂上
平らになっている

感状山頂上からの展望
四国が見えるような、見えないような

11:20
下山開始。城跡を見学しながら、登ってきた道を忠実に引き返す。

11:57
羅漢石仏への分岐点まで下りる。里の店の前にある「ふれあい小屋」で休憩。

12:29
車を出し、三濃山トンネルに向かう。峠には何かあるんじゃないかと思い、トンネルには入らずに手前で旧道に入る。木の枝が左右からだいぶ伸びていたが、十分通行できる道で、峠には特にめぼしいものは無かった。スプリングエイトに向かうが本体は丘の上にあるようで、見えなかった。

13:41
家に帰着。総走行距離92km。白旗山も登るつもりだったが、暑さに負けてしまった。



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