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梅雨明けの夏草茂る白旗山



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平成14年7月20日(土)  メンバー 私だけ

白旗山 しらはたやま 440m


西からか東からか

赤穂郡上郡町にある標高440mの白旗山に登ってきた。昔は山城があった山だ。

国道2号線を西に進み、千種川の手前・有年原の信号を北に曲がり、千種川に沿い北上する県道373号線に入る。上郡町の市街を過ぎ、千種川が東に回り込んでいる赤松から大きな「白旗城跡」の看板が見えてきた。

右に入り駐車場所を探すが、適当な場所が見つからない。道端のどこにでも停めてもいいような気もするが、どうも気に入らない。いつもはかなりいい加減な所にも停めているが、ここでは止める所が見つからなかった。

東側の野桑に行くことにする。上郡町の市街まで戻り、県道28号線に左折し鞍居川に沿い北東に進む。野桑の本村に差し掛かると、白旗山への案内看板が現れ、それに従い左に入る。

曲がり角ごとにある案内にしたがって進み、地道の林道に入って行く。普通車でも十分走れるが狭く離合スペースの無い道だ。林道は以外に奥まで入っている。終点には案内看板があった。

10:25
しかし終点には車を方向転換できるスペースが無く、バックでかなり下がり、道の横に車が入るだけの場所がありそこに止める。白旗山は車を止めるのが難しい山だ、というか数台分のスペースでいいので駐車場所を作ってほしい。

林道の最奥駐車スペース
木が伐採され明るい所だ



野桑の林道奥から登山開始

10:35
用意を整え、出発。気温29度、歩いているだけで汗が滴り落ちてくる。

10:39
林道の終点に到着。近畿自然歩道の標識「鞍居バス停2.6km、白旗城跡1.3km」、石の道標「右しらはた、左あかまつ」、上郡町教育委員会の絵図面つき案内看板、それから五輪の塔が2塔あった。

白旗城跡

白旗城跡は、標高440mの白旗山上にあり、南北朝時代の建武3年(1336年)赤松円心が築城し、新田義貞率いる6万の軍勢による50余日の城攻めに耐えた堅固な山城です。
以後、嘉吉の乱(1441年)により赤松氏が滅びるまで、白旗城は播磨・備前・美作3ケ国の守護大名赤松氏の本城でした。
築城当時の白旗城は、合戦の際山上の尾根を削って、少人数で立てこもる臨時の防御施設として築かれたとみられますが、現在のこる城跡の一部は、城郭が大規模化していった戦国時代に築かれたものとおもわれ、全長約470m、本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・大手郭などの曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設がのこっています。
白旗城跡へは、近畿自然歩道を利用して赤松側と野桑側から登ることができます。

上郡町教育委員会

林道の先は緩い登りの、谷川に沿った石のゴロゴロした道だ。山側には炭焼き窯の跡もある。

林道の先の登山道
石がゴロゴロしている

10:53
谷に沿った道は行き止まりになり、右側に尾根に登ると思われる階段道が現れた。ここには近畿自然歩道の標識「鞍居バス停3.0km、白旗城跡0.9km」、石の道標「右あかまつ、左やま、側面に本村青年団」、正面には「危険この先行き止り」の表示がある。

階段道は直ぐ終わり、その上は九十九折れの急登になっている。湿った落ち葉の上を、一歩登るたびに、汗が滴り落ちる。

尾根への九十九折れの登山道
風が無く暑い暑い

11:01
やっと尾根に出た。ここで赤松からの登山道と合流し、白旗山への尾根道が北に伸びている。。近畿自然歩道の「白旗城跡麓五輪塔群1.1km、鞍居バス停3.1km、白旗城跡0.8km」、古い上郡町観光協会の案内板がある。南側は「危険この先行き止り」の表示がある

尾根道は最初は急だが「堀切」を過ぎると尾根の東側を巻き、平坦な道になる。

峠から白旗山への尾根道
雑木林の中をいく

左手に「櫛橋丸跡」への分岐があり、急な坂を尾根まで登り櫛橋丸跡に行く。

11:15
このピークは展望が結構開けているが、いかんせん低い山なのと、霞んでいるのとであまり景色はよく見えない。

櫛橋丸跡から西の展望
ここが一番の展望地かも

櫛橋丸の奥に行くと下る道があったので、一旦巻き道に戻る。

11:27
二の丸跡の平坦地が現れた。ここは木が茂り見通しはよくない。この山城跡は歴史が古いせいか平坦地が広がっているだけで石垣の跡などは見当たらなかった。



白旗山頂上到着

11:31
更に進み一段登ると本丸跡の白旗山頂上に到着。駐車場所から1時間弱かかった。

頂上は平坦地で草が茂り、木に囲まれて展望はない。測量のためか所々植林の木が間引かれ、その隙間から外の景色が見えるのみである。北東にある播磨科学公園都市の放射光研究施設スプリングエイトだけはよく見えた。

頂上には記念碑や石の祠、上郡町教育委員会の大きな案内看板があった。一等三角点もあり、欠けた部分を接着剤で補修してあった。皆さん三角点は大事にしましょう。

白旗山頂上の一等三角点
欠けているが補修されている

記念碑?
碑文が私には読めませんでした

夏草茂る白旗山頂上、本丸跡
周りの木で展望は無い

国史跡・白旗城跡案内看板

白旗城跡(赤松・細野・大富・野桑)

白旗城跡は、標高440mの白旗山上にある南北朝〜戦国時代(14〜16世紀)の山城です。
建武3年(1336年)に足利尊氏に与した赤松円心によって築かれ、新田義貞率いる軍勢による50余日の城攻めに耐えた堅固な城です。以後、嘉吉の乱(1441年)で赤松氏が一旦滅びるまで、播磨・備前・美作の守護大名赤松氏の本城として固守されました。
現在のこる縄張りは戦国時代に築かれたもので、全長約550mを測り、尾根上や南谷筋に本丸・二の丸・三の丸・櫛橋丸・馬場丸・侍屋敷。桜門と伝えられる曲輪跡や堀切・土塁・石積などの防御施設が残っています。
城跡へは、細野口・野桑の両方から山陽自然歩道を通って登ることができます。白旗城跡は、感状山城跡(相生市矢野町)・置塩城跡(飾磨郡夢前町)とともに国指定史跡になっています。

白旗城年表

1336年(建武3年)
赤松円心、白旗城を築城。新田義貞の軍勢に対する50余日の籠城戦に耐える。その功により、播磨守護職に。

1361年(康安元年)
南朝の軍勢京を占拠。赤松則祐、足利春王丸(後の3代将軍義満)白旗城に迎える。

1427年(応永34年)
赤松満祐、4代将軍義持と対立し下国。白旗城に籠城準備。後に和解。

1429年(永享元年)
満祐、播磨国の土一揆鎮圧後、白旗城に白旗降下の瑞兆を報じ、勅使の下向を乞う。

1441年(嘉吉元年)
嘉吉の乱。赤松氏城山城に一旦滅亡。白旗城も落城か?

1499年(明応8年)
守護代浦上則宗とその武将宇喜多能家、白旗城に籠城し敵の浦上村国を退ける。

1520年(永正17年)
播磨守護赤松義村、守護代浦上村宗と対立し白旗城に陣する。

上郡町教育委員会

写真を撮っていると、雨が降り出してきた。空は明るいので長くは降らないはずだ。木の下で雨宿りしていると、男の人が二人登って来た。雨も上がり昼食にする。

彼ら二人は舞鶴から来たそうで、城山ばかり登っているそうだ。この辺では相生の感状山城跡、夢前の置塩城跡に登ったそうだ。目的を持った山登りもまた楽しいだろう。



下山はピストン

12:44
二人と別れ、下山開始。櫛橋丸を巻く道に今までに見たことがないきのこがあった。下の写真のきのこで、食べられるのだろうか。

変わったきのこ
こんなのはじめて見

13:03
赤松との分岐を通過。下りでも汗が吹き出してくる。

九十九折れの道を下り、階段道も下る。この辺は雑木の中の道だ。

13:11
谷沿いの道を下りる。谷の南側は植林、北側は雑木の林だ。

13:21
林道終点を通過。軽自動車なら狭い林道終点でも方向転換できるかもしれない。

13:25
林道を少し下り、車の所に到着。 頂上から40分。

濡れた服を着替え、家に向け出発。ふるさと兵庫50山に選ばれている白旗山だが、低いし遠いし暑いしで、祝日なのに登山者は私を入れて3人しかいなかった。

帰りは播磨科学公園都市に向かい、新宮町を通り、国道29号線に出る。この道のほうがすいているし、信号も無く気分よく走れた。

家に帰着。今日、気象庁から関西地方の「梅雨が明けたと思われる」宣言が出た。暑い夏は低山との相性が悪い。低い藪山はよりいっそう相性が悪いだろう。次はどこかの藪山に行こうかな。



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