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眺めがいいぞ、新宮町の祗園嶽



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平成14年10月11日(金)  メンバー 私だけ

祗園嶽 ぎおんだけ 340.4m


登山口は馬立古墳

2年間、履いてきた軽登山靴の縫い目が全体的にほつれ始めてしまった。去年の秋はラバーランドが剥がれかかって修理に出したし、今修理に出したら直るまで1ヶ月間はかかるし、思い切って新しいのを買うことにした。

ウレタンミッドソールの軽登山靴の底が突然剥がれるのは常識化しているし、今回は皮製重登山靴から毛を3本ほど抜いたようなのを買ってみた。片足で260gほど重くなるが何とかなるだろう。

というわけで、足慣らしのため近所の新宮町の祗園嶽に登ってきた。祗園嶽は地形図に名前が載っていないが、龍野市の的場山から北に延びる稜線の北端に位置する山だ。

新宮町の馬立の墓地に車を止め、標高差300mほどを登り稜線に出る。起伏のあまりない台地状になっている山上で、西の新池まで往復し、それから北に尾根を進み祗園嶽頂上に、下山は馬立の北の市野保にという計画だ。靴の調子が悪かったらすぐに下山できるような計画だ。

9:32
家を出発。国道29号線に出て北に進み、追分で西に曲がり觜崎の屏風岩の南で揖保川を渡る。新宮町船渡で国道179号線には曲がらず西に直進し国道のバイパスに入る。登山靴のまま運転したがなんら支障はなかった。

栗栖川を渡った先の馬立に「城山城(きのやまじょう)大手、馬立古墳群(姥塚古墳)」の案内板が道端にあり、そこから馬立の集落に入る。地形図の「馬」と「立」の間を通っている実線の道だ。

10:17
栗栖川の支流を渡った先のお墓の中に車を止めさせてもらう。馬立古墳群の解説や城山城周辺史跡案内図がある。

馬立古墳群

馬立古墳群は新宮町を代表する古墳群の一つで、この谷底平野一帯には32基の古墳がほぼ完全な状態で残っています。
この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて当時の農民の作った墳墓であると言われています。巨岩を巧みに積みあげた玄室と呼ばれる埋葬のための部屋と、通路にあたる羨道からできていて、埋葬が終わると羨道の入り口は石を積みあげてふさいでいます。
これを閉鎖装置と言いますが、再び死者がでたときは、この装置を外して横から出入りが可能なので、このような古墳は横穴式石室古墳と呼ばれています。 この時代の古墳には、死者があの世(黄泉の国)で生活に困らないように多数の品々を埋納することが特徴です。町内の古墳からも、須恵器と呼ばれる焼き物や、馬具、武器類、首飾り、金メッキをした耳飾りなどが出土して、当時の生活や埋葬の様子が分かります。
北側の山神社の近くの尾根の先端には、姥塚と呼ばれるひときは大きな古墳がありますが、これは当古墳群の中心的存在で、おそらく村長(むらおさ)と呼ばれる村の有力者が葬られていると思われます。この古墳は石室の平面が方形で、壁面は天井に近づくにつれて次第に内側にせり出しドーム形をしています。こういった石室は穹窿式石室と呼ばれ、大陸にその祖形がみられますので、渡来人の墓ではないかと言う人もあります。当古墳からは、子持ち壺など須恵器や玉類の出土が知られています。
なお、馬立にはこの南側の山麓沿いに、さらに6基、8基、19基の支群があり、計65の古墳が確認されています。

墓地入口の北側には「見山CC」というゴルフ場がある。どうやら個人の持ち物のようだ。但しワンホールしかないパターゴルフ場だが、それしても広い庭だ。門から建物まで50mはありそうだ。

墓地の北には「山神社」があり、その西側に「姥塚」という古墳がある。石室の中も自由に出入りできるようになっている。

県指定文化財 姥塚古墳

指定年月日 昭和51年3月23日
所有者・管理者 土井隆夫
本墳は、古墳時代後期(6世紀後半)の円墳である。墳丘は二段築成で築かれており、直径18.5m・高さ6mの規模をもつ。
内部主体は片袖式の横穴式石室で、ラッパ状に開く羨道部と正方形に近い玄室(3×3.6m)からなる。玄室の壁面は極端な持ち送り構造をもち、高さ3.8mのドーム状の天井(穹窿型石室)を形成する。このような構造を持つ古墳は朝鮮半島に原型がみられることから、本墳は渡来人の墳墓の可能性がある。
なお、本墳からは当地域の首長墓等からよく出土する装飾脚付壺が見つかっている。

平成2年11月兵庫県教育委員会

姥塚古墳
古墳の上にも植林が



亀池へ

10:46
登山開始。墓地から西に上る短い舗装道路の先に、こげ茶色の柱に「城山城跡2.2km、姥塚古墳50m」の表示がある。両側に古墳が点在する薄暗い、緩やかな道を上っていく。

古墳地帯を過ぎ、「水晶谷」と名前のついた谷沿いの道を上っていく。昔は水晶が取れたのかも知れない。

道が急になってくると尾根沿いの道になり、上が開け明るい道になる。道を開いたときに伐った雑木を使い階段が付けられていて、段差も適度でなかなか快適な道だ。但しところどころで階段は壊れ始めてはいるが。両側は雑木の林だ。

谷道の先の階段道
階段は雑木で作ってある

11:20
見晴らしがいい岩の上に出た。東側の揖保川や觜崎の屏風岩がよく見える。

この前までは太平洋高気圧が強く空気は霞んでいたが、今日は澄んでいてよく見える。気温は20度ほど。やっと夏が終わったようだ。

東側の展望
揖保川、屏風岩が見える

11:33
「馬立金山跡 廃坑30m左下」の表示があり、下りてみる。

坑口が一つあり、かなり奥まで掘ってあるようだ。入口は閉鎖されていないので、ザックからヘッドランプを取り出し入ってみる。

少し入ると坑道の床に穴が掘ってある。深くはないが水が溜まっている。手探りで入っていったら落ちる所だった。そこは横に足場があったので、さらに奥に行くとまた穴がある。今度のは、坑道の幅いっぱいに掘ってあるのでそれ以上入るのをあきらめる。泥棒除けに落とし穴を作ったのかな。

金山跡の坑口
入らない方がいいと思う

11:57
稜線に到着。金山跡や、展望がいい所が何箇所もあり楽しい上りだった。

稜線のこげ茶柱に「馬立1.2km、祗園嶽・市野保1km」の表示があった。新しい靴の調子もいいので計画通り新池まで行くことにする。

南に少し行くと、道端に大きな岩があり「供養碑(南無阿弥陀仏の銘がある)」の表示がある。しかし文字がどこに彫ってあるかよく分からなかった。

12:01
今度は「蛙岩」があった。蛙の後姿に見える大きな岩だ。

12;03
城山(亀山)と亀池の分岐に到着。近畿自然歩道の「城山城1.2km、奥宮神社(井関三神社)0.7km」表示がある。分岐地点には、亀が首をもたげている姿に似ている「亀岩」がある。

12:07
亀池に到着。池の水は抜かれ、干上がっていた。少なくなった水の中で魚が暴れていた。



新池へ

亀池の堰堤を渡った先に道が続いていて、亀池から流れ出した小川沿いの緩やかな道を下りていく。周囲は雑木の林で少し薄暗い。

12:17
山の中なのに、石を積んで作った道になった。右手の方が低いのに、道のために川は左手に流れていく。道が堤防の役目をしているようだ。

水争い遺称地

「播磨風土記」には、石龍比命と石龍比賣命の兄妹の神の水争いが記されています。この話は、中垣内川上流の村と越部村の人々の間で起こった水争いの様子をたとえたものです。亀の池から流れ出た水は2つの谷へと分かれますが、その勾配の違いから越部の村に多く流れるため、中垣地上流の村人がそれを堰止めました。このことが水争いの発端になりました。この石積みが、水の流れを人為的に変えた当時の遺称地です。

近畿自然歩道 環境庁・兵庫県

なるほど、この堤で水の流れを変えたのか。しかし何百年もたつのにしっかりした石積みの堤だ。

水争い遺称地
何度も修復したのだろう

12:20
こげ茶柱に「井関神社・奥宮50m、亀池0.4km」の表示があり、近畿自然歩道の表示は「新池0.8km、城山城1.9km」となっている。

井関神社に寄り道する。太い柱状の岩があり、その岩がご神体になっているようだ。小さな社が岩の側にあり、小屋掛けしてある。こんな山の中にいまでもお参りに来る人がいるのだろうか。

井関神社奥宮
立派な陽石だ

奥宮の由緒について

御祭神 武甕槌神
最初この亀の山の地に祟神天皇二年に勅命により天照国照彦火明櫛玉饒速日神が御鎮座になられたのが始まりで室町時代に赤松氏の勧請により武甕槌神を合祀したのである。それ以後徳川時代の初期に武甕槌神をこのところに従前どおり奉斉して最初に祀られた御祭神を現在の揖西町中垣内字井関に奉遷して井関神社と称し一方この地に祭祀の御祭神を奥宮大神と祟め奉って今日に至っている。

うーん、さっぱり分からない。

12:28
鳥居から先の道には行かずに、来た道を引き返す。2分ほど進むと、十字路分岐に着いた。

近畿自然歩道の表示は、来た道は「奥宮神社(井関三神社)0.1km」、左は「新池0.7km」となっている。こげ茶柱は、来た道は「亀池0.6km」右は「市野保(搦手)」となっている。

どうやら地形図の亀池から西に行く破線の北側の道と、市野保から祗園嶽の北西側を回ってくる道が出会う峠のようだ。正面の尾根に行く道が一番状態はいいが、案内表示はない。

左に曲がり、新池の方に進むことにする。

12:32
暗い植林の中を進むと、また分岐があった。近畿自然歩道標識は、来た道は「奥宮神社(井関三神社)0.2km」、正面は「新池0.6km」とあり、分岐については表示していない。

石柱があり、「右 おくみや、左 きの山 1キロメートル」とあり、脇道は奥宮に直行する道のようだ。石柱は見かけは古そうだが表示からしてかなり新しいものだろう。地形図ではここは十字路になるはずだが不思議だ。

12:35
また分岐に出た。全く分岐の多い道だ。近畿自然歩道標識は、来た道は「奥宮神社(井関三神社)0.3km」、右側は「新池0.5km」となっていて、古い朽ち果てようとしている標識は、それぞれ「亀池」、「大成池」となっている。正面にもいい道が続いているが、これは中垣内に下りる道だろう。

新池に行く道は、かなり荒れた狭い道で、真ん中に深い溝ができているところがある。

しばらく行くと「環境保全のため植林を行っています。植栽木の保護にご協力下さい。兵庫県森林管理署」と札が下がっていて、なぜかそこに生えていた木々を伐採した跡に木を植えてある。大きな看板があり、次のように表示している

森林を守ろう運動
KEEP THE FOREST
NIPPON HAM

〔森の薫り・みんなの森〕
森林を守ろう!運動

森の薫りは、収益の一部を森林資源の造成や国土環境保全活動に役立てています。

日本ハムが「森の薫り」シリーズの収益金の一部を森林資源の造成や、環境保全活動に役立てるというもののようで、現在はここ龍野市の大成山(おおなるやま)だけのようだ。

右手上に東屋らしきものが見える。斜面を適当に登っていくと完成まじかな東屋があった。位置は新池の東の360+のピークだ。周囲の木々がかなり伐採されている。これが環境保全なのだろうか。東屋からの展望はあまりよくない、というか悪かった。

完成まじかな東屋
いらないと思うが

12:54
東屋から新池に下りる。新池も水が非常に少なく茶色のにごった水がわずかに残っているだけだ。堰堤から南東を見ると、的場山のアンテナが見える。ここで昼食にする。新しい靴も特に問題なく快調だ。

新池から北西の山並み



祗園嶽から下山

13:34
亀池へ引き返し始める。堰堤の東の端からコンクリートの狭い護岸に入る道を行くが、入り口は分かりにくいかもしれない。

亀池につく手前で、初老の男性に追い越され、すぐに視界から消えてしまった。私の歩くペースは遅いのは分かっているが少し悔しかった。

14:06
亀池を通過、稜線を目指す。

14:13
馬立への下山口に着いた。ここから北に尾根沿いに進み祗園嶽を目指す。

下りの尾根道で、途中で尾根が左に曲がっているが、道ははっきりしているので迷うことはないだろう。尾根が左に曲がってからは西側の斜面に付けられた道を行く。

14:32
祗園嶽手前の280+の鞍部に到着。こげ茶柱の表示は、来た道は「城山城1.8km・亀池1km」、正面は「祗園嶽・出城」、右は「市野保1.5km」、左は「搦手0.7km」となっている。右に行くと東の谷沿いに下りられ、左に行くと破線の道の砂防ダムの所に下りられるはずだ。

祗園嶽には最初北西の尾根を登り、途中から右に90度曲がり北東の尾根に乗り頂上に行くようになっている。

頂上の直前に、こげ茶柱があり、左は「城山城・出城80m」、正面は「祗園嶽50m」となっている。帰りに出城に行ってみよう。

14:41
祗園嶽頂上に到着。三等三角点、点名:祇園山(ぎおんやま)がある。石柱が立っていて、上の方が欠けているが、昔はここに越部八幡神社がありよそに移されたようなことが彫ってある。

三角点の先に行くと、そこは断崖絶壁の上で非常に眺望が良かった。惜しいのは標高が低いので遠くが見えないことだ。

祗園嶽頂上
すばらしい展望だ

14:57
下山し始める。出城の方に行ってみたが、どこなのか場所がよく分からなかった。鞍部に戻る途中に90度曲がる地点を見逃し、何度も往復しやっと下り口を見つけることができた。下りは難しい。

15:25
鞍部に到着。登る時は9分、下りはかなり迷って28分かかってしまった。ここから東に下り市野保に行くことにする。

谷の南側斜面に付けられた道で、雑木の中を行くが日が差さないので薄暗く、展望もなく楽しくない道だ。傾斜は緩いので登りに使っても楽だろうが。

15:44
荒れた地道に着いた。こげ茶柱があり「城山城2.5km、祗園嶽1km」となっている。ここはどこなのだろうか。地道を南に下ると栗栖川の支流の横に出た。地道はススキに覆われはっきりしなくなったが、掻き分けていくと川に橋が架かっている。

橋を渡ると欄干にこげ茶柱が結わえ付けてある。「城山城2.8km、祗園嶽1.3km」とある。橋にはチェーンが掛けてあり車は入れないようになっていて、橋の袂には冷凍車の荷室だけが置いてあり「タケダハム」と名前が入っている。車を止めるスペースもある。

真っすぐな田んぼの中の道をバイパスまで出ると、道の向かいに「焼肉・元気鍋 八角亭」がある所に出た。バイパスを南に行き馬立に向う。

16:04
馬立集落奥の墓地に到着。

16:10
帰途に着く。

16:45
家に帰着。総走行距離37km。新しい靴の足慣らしとしては楽しい山行だった。祗園嶽の展望のよさには感激した。



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