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獣道と林道の田幸山



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平成14年10月24日(木)  メンバー 私だけ

田幸山 たこうやま 448.3m


車は播磨科学公園都市への曲がり角の公園に

揖保新宮町に田幸山という標高448.3mの山がある。私も一昨日までは知らなかった山だ。どこかにいい山がないかと、地形図の「三日月」を眺めていると右下に田幸山があった。

インターネットで調べても登山記録は「兵庫の山 写真帳」に5年前の頂上から撮った写真があるだけで、何処から登れるのか分からない。

点の記を調べてみると、田幸山の北西の415.5の4等三角点(点名:田幸)には、栗町田幸集落奥の林道の防砂提から登れるとの記載がある。

防砂提から尾根を登り、点名:田幸に。そこから南に緩やかな広い尾根を行き、途中南西に方向を変えさらに尾根を行く。416の先の林道に乗り田幸山の南東400mまで行く。また広い尾根を西に、そして北に行けば田幸山頂上に着く。

下山は南に下りれば二柏野の東側の林道へ、北に下りたら田幸の集落へ、そのまま西に進んだら角亀トンネルの上の峠道へ、などが考えられるがそれは頂上についてから決めよう。

8:15
家を出発。最近私は晴れ男になったようで今日の天気は晴れ。

国道29号線に出て北に進み、追分で左折。揖保川を渡り新宮町に入り、国道179号線に右折。

9:08
播磨科学公園都市への分岐手前左側にある公園の駐車場に車を止める。車が6台止められるスペース、栗栖川親水護岸、トイレ、近くにはローソンもある。

播磨国風土記の石碑があり「栗栖里条」のくだりが5行ほど彫られているがさっぱり分からない。横に解説文が彫られた小石碑があった。

栗栖里(くりすのさと)

土壌は中の中。栗栖の地名は、若倭部連地子(わかやまとべのむらじいけこ)(出雲系の氏族)が仁徳天皇(第十六代)より渋皮をむいた栗の実をいただき、それを当地に植えたことに由来する。その後も、この栗の実には渋皮がなかった。
『播磨国風土記』は八世紀初頭につくられた日本最古の地誌。

播磨国風土記石碑
栗栖里条



点名:田幸(415.5)へ

9:17
準備を整え登山開始。来た道を少し戻り、ガソリンスタンドの前の栗栖川に架かる橋を渡り田幸の集落に入る。

玉渕山明専寺の前を通り集落の奥に入っていくと、舗装道路は林道栃原線になり、国道を走る車の音も小さくなってきた。

9:29
左手に点の記に出てきた防砂提が現れた。防砂提を渡り対岸に行くが、段差があり登れない。道を少し戻り河原に下り砂防提の下を渡り、対岸の木につかまりよじ登る。

防砂提の下を渡る
この先はどうなっているのだろう

9:46
尾根の取り付き点の傾斜は想像していたより急で、雑木林に切り開きはあるが、背の低い雑木がかなり茂っている。木につかまり必死に登る。

尾根の不明瞭な切り開きには踏み跡はないが、ところどころに赤プラ杭があるし、高い方へ登ればいいので、進路を間違えることはない。急な道なき道を休み休み登っていく。

10:21
やっと傾斜が緩やかになってきた。テープ類は全く無い。明瞭な踏み跡が現れたが動物のもののようだ。周りは雑木林で雰囲気はいいが、なかなか進まない。

雑木林の尾根
いい感じだ

11:01
359のピークに到着。ピークの少し手前に2本の木に赤色のテープが結んであったが、何の意味なのかは分からなかった。このピークで進路を北東に変える。

尾根の大部分は雑木だが北側の植林が尾根まで迫ってきてる所もあり、恐ろしいほどの急勾配に植林がされている。また木々のため展望は無い。

11:23
415.5のピーク(点名:田幸)に到着。周りは雑木に囲まれ展望は無いが、測量のためかごく一部木が切られていて、栗栖川の北の337.9のピーク、田幸山の頂上だけが、かろうじて見える。

三角点(点名:田幸)
淋しい三角点だ

田幸山の頂上
木々の隙間から見える



田幸山頂上へ

11:35
三角点ピークで小休止の後、出発。コンパスで進路を定め南南東に進む。少し下りると大きなヌタ場があり、赤プラ杭も出てきてどうやら目的の尾根に乗れたようだ。

11:43
植林の尾根を下っていくと、左手から「道」が現れた。東側を送電線が通っているので、関電の巡視路かもしれない。獣道よりも人間道の方が10倍は歩きやすい。予想していたよりもだいぶ時間がかかってしまったが、なんとか遅れを取り戻せそうだ。

関電巡視路
獣道より10倍歩きやすい

11:49
「火の用心」の標識のある分岐地点に着いた。やはり関電巡視路だった。来た道(北)は35番、西の尾根に下りる道は34番、南は33番になっている。現在位置は田幸からの林道の先を東に延長した先のピークのようだ。

11:54
道が異常に広くなってきた。なぜか車の轍もある。どうやら、東の奥善定からの林道がここまで延びているようだ。アマチュア無線のと思われるアンテナの基礎部分が地面に固定設置されている。人知れずここで無線を楽しんでいる人がいるようだ。

林道終点のアンテナ基礎
アマチュア無線の隠れ家

いつもは嫌いな林道歩きだが、今日みたいな山行途中の林道はなぜかうれしい。特に今日みたいな予想外の林道の出現はなおさらだ。

快適な林道歩き
平坦な林道

北側の展望
田幸の集落と登ってきた尾根

林道は上り下りがあまり無く、快適に歩けるが、林道の轍の間にススキが思いっきり茂っている所もあった。北の展望がいい所があり、田幸の集落・登ってきた尾根がよく見えた。

12:26
416のピークの西で地形図上の林道に出会う。「関係者以外車両の通行を禁止します。(社)兵庫県森と緑の公社」の看板があり、「粟町線 延長1800m、管理作業路開設事業」の白杭もあった。

12:44
地形図の林道の西端の曲がり角に到着。東側の谷に道が付けられている。田幸からの林道につながっているのだろうか。

12:46
曲がり角を行くと、地形図どうり林道は終点で広場になっている。曲がり角に戻り、尾根めがけ雑木の藪を漕ぎ登っていく。

12:54
細いがしっかりした尾根の道に出た。右に行ってみる。

12:59
なぜか林道終点の広場に出てしまった。さっき来たときには全く分からなかったが、ここから尾根道に入れるようになっている。しかし目印などは無いのでまず分からないだろう。

13:03
尾根道に入り戻ると、籔漕ぎして登った地点のすぐ左に分岐があり、赤テープ・足元には「井上」と彫ってある石柱があった。分岐に入り東に進む。若い植林の中の、狭いが非常にはっきりした道だ。ところどころにテーピングがしてある。

13:13
道が不鮮明になった。戻って周囲を観察すると、道は北に曲がっていて、紐も結わえてある。田幸山の南まで来たようだ。

北に進むと道は広くなり、しばらく行くと西に曲がり登っていく。今度は間違えなかった。

13:20
道の先にアンテナが見えてきた。三角点があり田幸山に到着したようだ。

テレビの共同アンテナが三角点の横にあり、周りは木々に囲まれ展望は無い。木の隙間から外界が垣間見られるだけだ。道は東から来た道と、西の尾根に続く道がある。ここで昼食にする。コンビニで買ってきた弁当だ。

田幸山からの眺め
木が邪魔で見えない

頂上のテレビ共同アンテナ
登っても展望は変わらない



急降下で田幸へ

13:54
下山開始。西の尾根に行く道に入り少し行くと、古い朽ち果てたTV共同アンテナがあり、そこから北に下る道がある。西の尾根に続く道があるかどうか確かめもせず、誘い込まれるように北に下りる道に入ってしまった。

道は真っすぐに北に下り、電線の無い鉄パイプの電柱がところどころにある。古い共同アンテナ用の電気を送っていたのだろう。

雑木林の中の道は異常に急で、地形図を見ると300mで210m下っている。35度の坂だ。1歩進むごとに56cm下る計算だ。急すぎて植林ができなかったのだろう。

周りが植林になって、道が少し緩やかになってきた。それでもかなり急だ。電柱に古いTVブースターがついている。真空管式のものだ。頂上のブースターでは麓まで電波が届かないので付けたのだろう。

真空管式TVブースター
いつごろのかな

下山路のすぐ東横にV字型の溝がついている。深さ3mぐらいで、昔、木を下ろすのに使ったものかもしれない。

14:40
左下に砂防ダムが見えてきた。そっちに行ってみる。最近造られたもののようだ。砂防ダムに下りて(写真の赤線)東から西に渡り下りていくと、民家の裏庭のような所に下りてしまった。

砂防ダム
新しいな

14:51
表通りに出るとそこは、田幸集落の玉渕山明専寺だった。

15:00
公園の駐車場に戻る。

15:30
残してあったコンビニのおにぎりを食べ、帰途につく。

16:27
国道29号線の下水道工事のため時間がかかったが、無事家に帰着。総走行距離57km。今回の山は展望が無かったが、地図を読む訓練に向いている山だった。



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