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上月町の高倉山・行きはよいよい、帰りは



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平成14年11月29日(金)  メンバー 私だけ

高倉山 たかくらやま 357m


南光町から登ろう

南光町、佐用町と上月町の境界にある高倉山に登ってきた。頂上には三角点は無いが、地形図に山名は載っている。昔々、羽柴秀吉が上月城を攻めるときに本陣を構えたという山だ。展望が良いという情報があり期待して登ってきた。

平成14年3月1日発行の2万5千分の1地形図「上月」には、高倉山の北側の峠を越える破線道が記載されている。この道で尾根まで登り、南光町と佐用町の町界尾根を南西に進み、高倉山頂上に行こうという計画だ。

問題は東西どちらから峠に登るかだが、西側の佐用町真盛に車を止められそうな場所が無かった記憶があるので、東側の南光町菰田側から登ることにした。

9:07
家を出発。天気は快晴。

国道29号線を追分で左折し新宮町に。国道179号線で三日月町を抜け、姫新線播磨徳久駅前を直進し県道368号線に入り、千種川に沿って南西に進む。

10:26
那手の駐在所から奥に入る道(地形図の「中島」の字の間を通る実線道)を行き、パワーシャベルが置いてある広場に出たが、尾根に取り付けそうなところは無かった。

10:34
県道に戻り、菰田の千種川側に車を止められるスペースを見つけ、車を止める。道の向かいに土建会社があるところだ。

10:40
準備を整え、登山開始。というか登山口探し開始。

川下に少し行き、地形図の破線道に入ると、すぐに畜舎の並ぶ牧場に入ってしまう。

牧場入口

上に送電線も通っているし、この道で間違いないと思うが、私有地に入ってしまうし、大きなトラ猫もいるし。

少し入らさせてもらい、上の写真の右手の建物の奥から送電線鉄塔めがけ、ススキの急斜面を這い登ると畜舎の北側に地形図の破線道が見えるではないか。畜舎の横を通り一番奥まで行くと、破線道の入口があるのだろう。

10:56
ススキをかき分けていくと、ようやく道らしいものに出ることができた。「火の用心」の標識もある。送電線巡視路になっているようだ。

右下にパワーショベルがある広場が見えてきた。道は尾根を進むのではなく、北側に下りて植林の中を進んでいく。道は植林の中の登りでは不鮮明になるが、しばらく登ると明確な道になる。

11:20
峠に到着。「兵庫県造林緑化公社分収造林地」の白い杭があるだけの、植林の中の暗い峠だ。関電の巡視路は北側の尾根に向かっているが、私の進む南の尾根には道は見当たらない。5分ほど峠の西側に進んでみたが非常にいい道が続いていた。

11:28
峠手前まで引き返すと、南側植林の中に踏み跡というか獣道というかあまりはっきりしない道があり、そこから登ってみることにする。

11:30
無事に尾根についた。尾根には踏み跡らしきものは無いが、切り開きがあるので進むことができそうだ。

11:36
尾根の木々が間伐されそのまま放置してあるので、かなり歩きづらいが、250のピークに到着。ピークから進路を少し左に振り、次のピークを目指す。尾根は植林と雑木林の境になっているが、展望は無く、歩いていてつまらない道だ。

植林の尾根

11:53
途中、背丈ほどあるひどい笹薮地帯、雑木の籔もあったが、基本的に高い方に行けばいいので、どうにかこうにか通過し、290のピークに到着。笹薮の中には散弾銃の薬きょうが落ちていた。

頂上手前の尾根

12:13
高倉山から南東に延びる尾根との合流地点に到着。ここから右に向きを変え頂上を目指す。

12:15
高倉山頂上に到着。いつもの山なら頂上付近にある三角点が無いので、本当にここが頂上なのかはっきりしないが、周りにここより高そうな所はないし、城跡らしく頂上は平らになっていて、郭跡のような削平地に囲まれているし、堀跡のようなのもあるし、また来る途中まったく無かったビニール紐のマーキングがあるし、まず間違いは無いだろう。

けれども、展望が良いという情報はガセだった。昔は良かったのかもしれないが、雑木が茂り、枝の隙間から佐用川の西側にあるゴルフ場の高い建物、大撫山頂上の天文台、佐用川沿いの集落が見えるだけだ。

高倉山頂上



下るのは難しい

13:01
お昼ごはんを食べ、写真を撮り、枝の隙間からの展望を楽しみ(葉が茂っていたら全く見えないだろう)下山開始。

見通しは悪いし尾根も広いし、下山では道迷いに注意しないといけないと思っていたが、北向きの尾根に乗り換えてすぐに東の斜面に迷い込んでしまった。これはすぐに気付き、尾根に登り返し事なきを得た。

290のピークから笹薮を避けるために西に回りこみ、笹薮を迂回して尾根に戻ったが、尾根を通り越してしまった。しかし明確な踏み跡があったのでそのまま下りていくと、炭焼窯跡が現れた。

14:02
さらに進むと明確な道に出てしまった。

明確な道に出た

14:02
明確な道を下っていくと、石垣を組んで作った棚田跡が現れた。山に囲まれているが南向きの谷なので植林が無ければ日当りは良いのだろう。

14:04
次はお墓が現れた。跡ではなく現役のお墓だ。植林の中にある暗い墓地だ。車の走る音も近くになってきたので、もうすぐ山から出られるだろう。

14:10
民家や畑が見えてきたが、その間に獣避けの乗り越えられない柵があり、どうしようと思いながら柵に沿って進むと、開閉できる所があった。向こう側から2箇所も縛ってあるので苦心して解き、針金のフック2箇所を外し、小型のカラビナを2個外し、なんて厳重なんだと思いながらようやく開けることができ、通ることができた。

獣避け柵と扉

出たところは菰田の「多賀橋」の少し南だった。以前みたいに反対側に下りてしまう間違いにくらべたら、道迷いに入らないくらいだ。

14:23
車に戻り、家路につく。

15:27
家に帰着。総走行距離91km。

4百数十年前に羽柴秀吉が本陣を構えた高倉山に登ることにロマンを感じる人、または山城跡が好きな人なら登るかいがあるかも知れないが、展望もないし、道もはっきりしないし、あまりお勧めできない山ではある。

今回の登山開始地点は南光町で、頂上は佐用町と上月町の境界にあり、高倉山を何処の町に分類するか迷ったが、上月城と歴史上縁が深いので、上月町にすることにした。



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