山行記録にもどるホームにもどる



御津町の権現山と雛山



スポンサード リンク




平成14年12月13日(金)  メンバー 私だけ

権現山 ごんげんさん 140.3m
雛山 ひなのやま 92.4m


王子神社から権現山へ

御津町の、揖保川の西に位置する山々に登ってきた。王子橋の西の標高140.3m(点名:中島)の権現山、その南の三角点も標高点も無い標高92.4mの雛山で、両山とも地形図には名前が載っていない。

WEBの記録や点の記を参照し次のような計画を立てた。

揖保川に掛かる王子橋の北にある王子神社から登り始め、谷筋を西に進み、鞍部から南に登り権現山に。権現山から西に尾根伝いに下り、一旦道路に出る。

車道を南に進み碇岩集落を過ぎ、御津中学校の向かいあたりから標高103.5m(点名:前山)から南に伸びる尾根に登り、その後は、平成13年9月発行2万5千分の1地形図「網干」に記載されている破線道を行き、水道タンクの西の雛山へ。

雛山から東に車道に下りて、出発点の王子神社に戻るという周回コースの計画だ。

9:55
近所のガソリンスタンドで給油し、その隣のコンビニで昼食を購入し出発。中地ランプから姫路バイパスに乗り西進し、国道2号線で揖保川を渡り、正条の交差点を南に曲がり揖保川沿いに南下する。

10:31
狭い道を行き(ダンプカーなど大型車が頻繁に通るので要注意)御津町に入り直ぐの、「権現山古墳」の標識のある、王子神社の駐車場に車を止める。

神社参拝者用の駐車スペースは右側2台分だけで、その他は月極めの駐車場のようだ。私は気が付かず月極スペースに止めてしまった。

駐車場奥に権現山古墳の解説と地図の案内板がある。

権現山古墳

この古墳は、権現山の山頂に築かれた全長43mの前方後方墳で、高さ約3mの盛り土を築き、後方の中央部に竪穴式石室(高さ4.8m、幅は北1.15m、南1m)が設けられています。日本最古の古墳の一つで、当時のこの地方の有力者の墓です。
吉備で発生した埴輪の祖型、特殊器台と、大和的なにおいの強い三角縁神獣鏡という、二つの政治的意味合いの濃い遺物が出土したことにより、吉備と畿内の二つの文化の統合された葬送儀礼の最古のすがたです。

御津町教育委員会

地図には、権現山に登るには神社の左手から谷沿いに西に進み、鳥居の先の鞍部から南に上り頂上に行くようになっている。

10:40
準備を整え登山開始。神社左手から登り始める。雑木林の中の、少し暗いがよく手入れされている緩い谷道で、快適に登っていける。

10:43
道の右側の川側に赤い鳥居が現れた。駐車場の案内地図に載っていたものだ。「猿田神社」の額が掛かっている。

鳥居をくぐり川に下りていくと、藪の中にまた赤い鳥居が現れた。籔を掻き分けて入ると、大きな岩があり、そこに「猿田彦尊 少彦名尊 國常立尊」の石碑が建っていた。昔はここにも神社があったのだろうか。

猿田彦尊の石碑

10:50
初めの鳥居まで戻り、谷沿いの道を進む。

谷沿いの道、少し暗い

10:59
鞍部に到着。北に行く道もはっきりしている。ここは南に進み権現山を目指す。

11:04
石組みが現れた。古墳の石室だ。特に番号など振られていないが権現山古墳群の一つだろう。

古墳の石室

11:13
権現山頂上西の分岐点に到着。「山脈縦走路」の案内標識が木に掛けられている。室津から西の御津山脈縦走路にあった案内標識と同じ字体だ。縦走路の整備がここまで進んできたのだろう。西に行く道もきれいに整備されている。

11:14
東に少し行くと、権現山古墳群51号墳の解説看板が現れた。古墳は埋め戻され普通の土の盛り上がりにしか見えない。

権現山古墳群51号墳

権現山の山頂に位置するこの古墳は、平成元年に発掘調査を行い、五面の三角縁神獣鏡と特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪、他に銅鏃・鉄鏃・鉄剣・鉄槍先・鉄鎌・鉄斧・ノミ状鉄器・鉄鋸・砥石・ガラス小玉・紡錘車形貝製品・木製枕・土師器が出土し、有名になった古墳です。
古墳時代前期の前方後方墳で規模は全長42.7m、後方部の幅28m、前方部の幅22.8m、くびれ部の幅6.3mを測ります。
この古墳は畿内中枢政権の地方進展のあり方を考える上で重要な古墳の一つです。

平成11年3月

山崎営林署 御津町教育委員会

権現山古墳群51号墳

11:16
51号墳を越え、少し東に進むと権現山の頂上に着いた。標高140.3m(点名:中島)。周りは雑木・笹に囲まれ展望は無い。木の隙間から家島が見えるくらいだ。

権現山頂上

道はさらに東に延びていて、5分ほど行ってみたが、どうやら麓まで続いているようだ。尾根伝いに下りているのなら石見神社か中寺あたりに登山口があるのだろう。



古墳群路を西に

11:38
権現山頂上を後にして西に進む。「古墳群路」と表示のある案内標識があり、その名の通り沢山の古墳が散在している。石室がしっかり残っているのもあるし、大きな木が中央に生えてしまったものもある。落ち葉が踏み跡を隠しているが、テープ類も多くあり(少し多すぎるかも)道もしっかりしているので迷うことは無いだろう。

権現山頂上西の分岐点

11:59
さらに西に進み、100m+のピークを越え、おそらく昔の峠道と思われる道に出た。南側は木で柵をしていいて、北側に進むように誘導してある。

12:02
車道に出た。場所は峠の少し北側のフェンスの後ろ側だ。「御津山脈縦走路 登山口(ちがう字体で)塚黒山」と「縦走路 中島方面入口」の案内標識がある。塚黒山とは何処を指すのだろうか。

道の反対側には「御津山脈縦走路 北山登山口」の案内標識があり急な斜面にトラロープが下がっている。登ってみると整備された道が続いていてテープ類も沢山あった。標識の北山は標高201.2m(点名:東山)のピークのことだろうか。



雛山に登るぞ

くねくねした車道を南に碇岩集落に下りていくと、南に雛壇のようにも見える、雛山山塊が広がっている。


雛山山塊、左から3番目が雛山

12:34
点の記に「(南から)御津中学校の端に至る。そこより道路右側に小路あり。その小路を登ること約600mにして頂上に至る。本点は頂上中央部にあり。」とあり、小路を探すがそれらしきものは無い。

仕方が無いので御津中学校のテニスコートの入口付近から、無理やり取り付き登り始める。最初は竹やぶ、その後は雑木の林で、木々の間隔がそれなりにあるので結構登りやすい。けれども登るに従って、木々の密度が上がってきて籔漕ぎをすることになる。

雑木林を適当に登る

13:06
適当に登り山をうろついていたら、道に出た。北に進むと103.5m(点名:前山)の三角点に着き、その少し北に下りた所に送電線鉄塔があった。相生線の9番だ。その鉄塔から西に下りる道があるので、何処に下りるのか確かめるために下りてみた。プラ階段の関電巡視路だ。

13:16
車道に出た。場所は採石場の少し北側だった。「雛ノ山登山口」案内標識も掛かっている。ここを通った時は交通法規を守り道の右側を通ったため全く気付かなかった。

13:17
ここまでを無かったことにして、「雛ノ山登山口」から登り始める。さすが関電巡視路だ。よく整備され登りやすい。

関電巡視路のプラ階段を登る

13:29
送電線鉄塔「相生」の9番に到着。背丈の高い笹が茂っていて展望は今ひとつだが、北から東側がよく見える。そばに立っている鉄のように硬い4本足の不思議な形をした木に登ればよく見えるだろうが、そんなことは出来ない。


点名:前山からの展望

13:39
鉄塔から少し南に上った三角点の横を通り、巡視路を南に進む。地形図の破線道と一致している。

13:45
進む方向が北東になると、地形図には表示の無い墓地に出た。古墳ではなく現墳だ。墓地の東端から南に下りる道があり、また墓石を運搬する車両のための、キャタピラーの跡が残っている道が東に伸びている。

13:52
墓石運搬道を東に進んでいくと、道の左上手そばに鉄塔があり、下から見る限り見晴らしは悪そうなので、そのまま墓石運搬道を進む。

13:56
道の両側は竹やぶになり、民家が近くに見えてきた。しまった。山から下りてしまった。雛山の南の大年神社に出てしまった。

地形図を見ると雛山頂上は神社から真北に8、90m登れば着くように見えるので、神社の裏から竹やぶに取り付き適当に登ることにする。こんなことをするのは今日は2回目だ。

14:15
竹やぶを登り、雑木籔を上り、出た所が雛山頂上だった。

頂上の北側には送電線鉄塔(相生線7番)があり、巡視路は東西に伸びている。何処で道を間違ったのか確かめるため西に下りてみる。

14:22
送電線鉄塔(相生線8番)に着いた。墓石運搬道の直ぐ北側にあったものだ。あのとき、鉄塔を見に上がれば迷わずにすんだろう。運搬道には赤布が目印につけてあったが、意味を読み取ることが出来なかったことが悔やまれる。

14:24
青い字のことは無かったことにして、鉄塔8番から7番に登ることにする。さすが関電巡視路だ。雑木籔よりも千倍は登りやすい。

14:30
送電線鉄塔(相生線7番)に着いた。鉄塔の直ぐ南が雛山頂上で大きな岩が露出している。岩の影に石の祠があり、八大龍王分霊が祀られている。

ここもそれほど展望は良くなく、特に南側の瀬戸内海は雑木に邪魔され全く見えない。北側は送電線鉄塔が邪魔をしているし、東にも携帯の基地局鉄塔が建っている。

雛山から東の展望

雛山頂上の石の祠

14:58
雛山頂上を後にして東に下山する。直ぐに大きな「御津町第1配水池」のタンク2基が現れ、その横に関西セルラーの「御津通信所」のアンテナが建っている。ここからは舗装路だ。

南に下り、県道133号線に出て町の中を通り、石見神社・王子橋の横を行く。

15:35
出発地点の王子神社に戻る。

15:39
車を出し家路につく。

16:18
太子龍野バイパス、姫路バイパスを通り、家に帰着。総走行距離52km。

迷いはしたが、楽しい里山歩きが出来た一日だった。機会があったら、およそ12kmほどある御津山脈の完全縦走をしてみたいものだ。



スポンサード リンク



山行記録にもどるホームにもどる本ページのトップ