姫路市大回り、その13(觜崎ノ屏風岩)
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平成15年12月23日(火) メンバー 私だけ
鶴觜山 | つるはしやま | 168m |
2万5千分の1地形図「龍野」を参照すること。
姫路市大回り
13回目を迎えた「姫路市大回り」、市町界の長さと里山の厳しさに打ちのめされ、なかなか思惑通りに進まない。今日の行程は以前に逆方向から回ったことがあるが、少しだけ経路を変えただけでえらい目に会ってしまった。
籔の中で迷うならともかく、林道で迷ってしまった。
今日の行程は国道29号線沿いの姫路市林田町中上下の「六九谷」バス停から出発し新宮町曽我井に抜ける峠道を登り、新宮町側の林道を南下し林田町上構に抜ける峠に達する。
二番目の峠からは南西に尾根伝いに屏風岩の上まで行くという計画だ。前半は林道歩き、後半は以前に逆方向から歩いたことがあり、すんなりいくと思っていたが前半の林道で引っかかってしまった。
迷いの林道
8:47
妻の運転する車で「六九谷」のバス停まで送ってもらう。二日前はこのあたりは雪で真っ白だったが、ほとんど融けてしまい日陰の所に少し残っているだけだ。
バス停の北から西に入る道を行く。右手の一段高いところに荒神社が建っている。始めは舗装してあったが山に入ると地道になり、そこには関西電力送電線巡視路の道標「火の用心39」があり巡視路は南西方向に山に入っていく。
私は峠に続く道を行く。道幅は広く普通車では無理だが四駆なら入れそうな道だ。まだ雪が残っていて道脇の笹竹が倒れている。道の両側は暗い植林だ。
9:11
峠手前の姫路市側にお堂が建っている。中にはお地蔵さんが祭られている。比較的新しそうなお地蔵さんだ。ここまでの残雪に人が一人往復した足跡があったが、このお堂にお参りに来たのだろうか。
9:35
地蔵堂前でスパッツを履き足ごしらえを固めた後、峠に向う。
数分で峠に着いたが、ここも植林に挟まれた薄暗い峠だ。峠を越えると道は次第に悪くなり倒木はあるし、10cm程の笹の切り株?が道一面に突き出している。笹が刈られていなかったら道は笹薮に戻ってしまっていただろう。
9:45
道の状態は次第に悪化し、とうとう消えてしまった。仕方がないので植林の中を行くとすぐに林道に出た。
新宮町からの林道は北へ延びている。新宮町からこの林道を登ってきたら間違いなくあらぬ方向へ行ってしまうことだろう。姫路市側の消え去った道への目印に落ちていたピンクリボン3本を使い三角形になるように結び付けておいたが、役に立つことはないだろう。
9:58
林道を下りていくと分岐地点に出た。途中で逆くの字型に曲がり峠を越えて姫路市林田町上構へ抜ける林道だ。
10:07
その林道を登って行くと、左への分岐があり地形図に載っていない林道が続いている。この新しい林道は逆くの字に曲がるところで合流することになる。
10:19
逆くの字に曲がるところに着いた。手前で分岐した道とつながっているが、地形図の南南西に続くはずの道が見当たらない。
西側の280mほどのピークへ登る切り開き、そのピークの北側を巻く幅1.5mほどの作業道はあるが、肝心の南に続く道がない。
林道を歩くつもりだったので、植林の中を行けばよいという単純なことに気が付かなかった。切り開きを少し登ってみたり、作業道があまりにも歩きやすそうなのでどこに行くのか興味があり、しばらく入ってみたりして時間を大分使ってしまった。
10:59
姫路市と新宮町を地図上ではつないでいる林道まで戻る。1時間ほど林道や作業道をさまよったことになる。林道歩きは難しい。
大正池から峠へ
11:02
国民宿舎志んぐ荘への分岐地点に着いた。ここは変形十字路になっている。曽我井からの舗装道路、志んぐ荘への閉まっているゲートのある道、北に行く轍のはっきりした林道、それから今出てきた「くらしを支える森づくり事業」の地図つきの看板が立つ道の4本が交差している。このうち3番目のは地形図に載っていない。
出てきた道と舗装道路の間に石仏の頭だけがぽつんと淋しそうに置かれている。
11:10
舗装道路を下り「みんなのまちをきれいに」の看板のある、鎖のかかった東に入る分岐に着いた。ここから東へ行くと大正池の畔を通り峠に行くことができるはずだ。この辺からは横山晴朗著、神戸新聞総合出版センター刊「はりま歴史の山ハイキング」で詳しく紹介されている。
11:25
極普通の溜池「大正池」脇を登り峠手前の分岐に着いた。道がつながっていれば来ただろう北への破線道の行方を調べに行くことにする。
11:31
破線道は予想どうり植林の中へ消えていた。その脇に動物捕獲用のオリが置かれていて、まだ何も捕まっていない。
11:38
引き返して峠に到着。峠は岩を砕いた切り通しになっている。南に続く道はあるが草が茂ってしまっている。
姫路市大回りのお約束の一つに三角点は必ず通ると決めたので、ここから南西の觜崎ノ屏風岩まで尾根伝いに行くことにする。
道なき道を觜崎山へ
ここから先は、逆周りだが今年の2月の山行「駅から始まるハイキング、觜崎の屏風岩コース」で紹介しているので省略するが、そのときよりも目印のテープ類が増えてはいるが、263.2m三角点ピークまでは踏み跡も薄く、特に最初のピークからの南面の下りは完璧な雑木の籔になっている。
「はりま歴史の山ハイキング」では「”密林”の中の道」と表現しているが実際は「踏み跡もない雑木籔」の方が正しいと思う。普通のハイキングのつもりで行くと痛い目を見ることになる。テープ類もあるが、地図とコンパスは絶対必要なコースだ。
12:46
263.2m四等三角点ピーク(点名:池ノ内)南の展望の岩場で昼食をとる。朝方は3度しかなかった気温が12度ほどになり霞がかかり遠望が利かない。
13:09
昼食後、屏風岩を目指し尾根を南西に進む。途中のピークも周りに遮るものがなく大展望が広がっている。今日は霞んでいてよく見えないが。
13:48
觜崎ノ屏風岩の上に着いた。峠から休憩を除いて1時間40分ほど。犬を連れた青年が登ってきていた。
14:03
青年の後を追い私も下りはじめる。屏風岩岩頭の南の一枚岩の急な斜面を下りきると、今度は軽装の青年が登ってきた。私の来た経路を逆に辿り国民宿舎志んぐ荘まで行くという。時間も遅いし道も悪いしで屏風岩までで引き返した方がよいと助言したが、私を知っていてHPを見たことがあるという。
下山後にもう一度会った時に言葉を交わしたが「凡太郎の山歩き」のダンノ凡太郎さんだった。山崎の国見山に登った時に凡太郎さんの記録を参考にさせてもらったことがある。
14:24
お墓の中を通り古宮天満神社に着いた。家に電話して迎えに来てくれるようお願いして、汗で濡れた服を着替え帰り支度をする。
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