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太市の「日の出の山」と山城跡



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平成16年1月11日(日)  メンバー 私だけ

日の出の山 ひのでのやま 170mぐらい

2万5千分の1地形図「龍野」を参照すること。


山城跡?再訪

昨年の暮、姫路市と龍野市の境、龍野クラシックゴルフ場の東側の三角点もない標高260mほどのピークに山城跡のような人為的に手を加えたように見える地形を見つけた。頂上は広く平らにされ、その周りも数段の削平地になっている。そのときの記録は姫路市大回り、その15(槻坂「けやきざか」)を見てください。

もう一度登りたくなったが、その時と同じ経路では面白くないので、WEBを調べていると太市の筍 たけのこ掘りの「日の出の山登山」ページに218.7m三角点ピークを経由して山城跡?に至る経路が示されている。

冬場限定のルートのようで、これまでの経験から想像するにかなり籔っぽいルートだろう。


破磐神社に参拝

8:44
JR姫新線「太市駅」の北、山陽自動車道の南側の「破磐神社」の駐車場に着いた。車はこの後、神社まで付いてきた妻が使うため取り上げられてしまう。夫婦で神社に参拝する。

破磐神社

御祭神
息長帯日売命(神功皇后)
帯中津日子命(仲哀天皇)
品陀和気命(応神天皇)
須佐之男命(明治40年合祀)

由緒

応昔息長帯日売命が三韓を討征し凱旋された時、忍熊王の難があったので御船を妻鹿の湊に寄せられ三野の荘麻生山で天神地可祇に朝敵退治を祈られ麻積速祖笠志直命に弦を求めるように仰せれれたところ大巳貴命の神託により一夜の中に麻生をその麻を弦として三本の矢を試射された、第一の矢は印南郡的形に虚矢となって落ち、第二の矢は飾磨郡安室辻井に、第三の矢は太市郷西脇山中の大磐石に中って磐を三つに破った。神功皇后これを吉兆して、この地に矢の根を祭られ後に仲哀天皇、応神天皇、御ニ柱を崇め奉り破磐三神に称し奉った。この地は当神社より西南1.7kmの地にあって現在宮ケ谷とよばれている。破れた大磐石は現存し、その大きさは高さ6.5m、前巾5.5m、後巾6m、奥行7.5mで、その容姿は神化を思わせ見る人をして驚嘆させるばかりである。この山地は狭盆で祭事に煩があるので徳川初期現在地に遷座し奉った。
神仏混淆の世になり三尊の弥陀を前に安置し三所大権現と称し奉る様になったが明治戍辰の神仏分離令の布告により仏体は取り除かれ神功皇后、仲哀天皇、応神天皇並びに矢の根を尊祟、明治2年9月旧号破磐神社に復した。明治7年2月郷社に列し、明治40年建速神社を合祀し現在に至っている。

この破磐神社の起源について

  神のさち吹風弓のかぶら矢と
    いかで岩をも通さざらめや

        と詠まれている


例祭  10月18日
千燈祭   7月31日
奉点燈祭   8月15日
厄除祭   2月18日
破磐神社
時間が早いのか誰もいない


観音堂から登る

9:01
妻と別れ破磐神社から山陽自動車道の下を北に行く。218.7m三角点ピークの南東、集落の外れにある観音堂から登山道が始まっている。

観音堂
普通の観音堂だ

観音堂の右上の竹林に石の鳥居があり、そこから長い石段が始まっている。暗い石段を登って行くと、一番上には山門のような古びた建物がある。門をくぐるとどこかの異世界に連れて行かれそうな雰囲気があり、ワクワクしてきた。

石段の上の山門
異世界への入口か

9:13
山門の中には異世界が待ち構えていた。崖と竹林に挟まれた暗闇に廃屋のようなお堂と祠が並び、たくさんの石仏やタヌキやカエルやヘビが祀られている。不気味さが満ち満ちて異様な空間が形成されている。

石仏が並ぶ
心霊・廃墟スポットに推薦しようかな

暗いお堂
中は真っ暗

祠や石仏をじっくり観察し、心霊写真が撮れないかとたくさん写真を撮ってみたが、私には霊感が全くないのかさっぱりだった。

お堂の横を進むとよく整備された明るい山道が現れた。道端には石を組んで造られた祠がたくさんあるのだが、中は空っぽでがらんとしている。どうやら石仏は全部下ろされているようだ。

山道脇の祠
中は空っぽ

登るにつれ展望が広がり南の馬山、桜山貯水池、瀬戸内海に浮かぶ家島が見えてくる。山道は一部に磨耗した石段もあり、かなり昔に整備された様子が見える。

9:36
展望の広がる岩場に着いた。ここにも空の石祠が三つあり、一つは崩れている。ここが「日の出の山」だ。


「日の出の山」からの展望
南東方向の展望がいい

一番奥の祠には一升瓶が供えられている。中身が入っているのかと思ったが、空だった。今年の元旦に地元の人たちが持ち込んだものだろうが、それ以外はゴミ一つ落ちていないきれいな「日の出の山」だ。


観音寺ピークへ

9:57
北西の三角点ピークを目指し出発する。「日の出の山」まではいい道だったが、一挙にシダと雑木の尾根となった。青リボンが所々に付けられているが、籔の薄そうなところを探して高い方に登ればいいので道に迷う(道はありません)ことはない。

シダと雑木の尾根を行く
腰までのシダ籔だ

シダも腰ぐらいまでしかなく、籔としては緩いほうだ。しかし、ここを真夏に登る気はしない。

10:13
四等三角点ピーク(点名:観音寺)に到着。周囲は雑木が茂っていて展望はあまり良くない。葉を落とした木々の間から西側に的場山、東にとんがり山・明神山、南には瀬戸内海の家島が見える。

観音寺ピーク
展望も冬期限定

10:20
観音寺ピークを後にし北西の鞍部を目指す。鞍部には送電線が通っているので、送電線巡視路に出会うことが出来るだろう。

北向斜面なのでシダはないが、雑木の間隔が狭く手こずる。踏み跡はあるのだが不鮮明ですぐに見失ってしまう。

10:32
鞍部に立つ送電線鉄塔が下に見えてきた。左に大分ずれているので修正しながら下りていく。

下りは雑木籔
踏み跡はあるようなないような

10:43
鞍部近くの尾根の送電線巡視路に下り立つ。比較的狭い巡視路だが歩きやすそうな道が東西に延びている。下りてきた尾根には赤テープで印が付けられている。

11:25
送電線巡視路の東の登り口を確認するため国道29号線まで下りて再び戻る。往復40分ほどかかったが下界に下りられることが分り、安心して山行を継続できる。

11:27
鞍部に立つ鉄塔は尾根からちょっと下にあり「西播線20」だ。

快適な巡視路

巡視路は尾根から外れ、山腹を次ぎの鉄塔を目指し西へゆっくりと登っていく。幅は狭くなるが快適な道が続く。

11:42
送電線鉄塔「西播線21」に着いた。鉄塔は260mほどのピークの南側鞍部に立っていて、送電線巡視路はここから北に登っている。

帰りの道を探すため、南側の210mほどのピークへ向け少しだけ入ってみると切り開きはあったが大分古そうだ。南のピークまでは登れるだろうが、下りは南向きの斜面でおそらくシダと雑木のジャングルとなっているだろう。下山する時は巡視路を引き返すことに決めた。

「西播線21」からの登りは巡視路の中では悪いほうで、赤テープの目印が現れるほど不鮮明な個所もあるし、狭いし、急な登りにはプラ階段がない。

ここも送電線巡視路だ
滑りそうだ

しかし、不鮮明な個所も前後のつながりや、赤テープに助けられ道を見失いことはない。

12:03
巡視路は260mほどのピークの南西をかすめ、すぐ西の同じく260mほどのピークに延びている。東側260mピークは極普通の雑木のピークで取り立てて書くことはない。

12:15
巡視路は西260mピークの南側を抜け、市町界尾根を南西に下っていく。その分岐地点近くには「西播磨開発487」のプラ杭が打たれている。


西260ピークは山城跡か

今回、西260mピークに再訪して、このピークに山城(砦のようなものか)があったことに確信が深まった。ピークは南北10m東西20mほどの平坦地で、東は1段、西は5段ほどの削平地が確認できた。人の手が入った地形にまず間違いないだろう。ここを「太市城跡」と名付けたい。

太市城跡??
非常に平らなピークだ

平成16年1月14日追記
読者の方々からこの山塊には「笠松城」(別名:西脇城・丸山城)があったというお便りを頂きました。その笠松城があった位置はこの260mほどのピークと違うような気がします。
私はこの260mほどのピークには笠松城の物見砦があったのではないかと妄想を膨らませています。

12:34
城跡の探索を終え帰途につく。東260mピークから東に下りられないか挑戦したが無謀な行いと分り、ピークに引き返しおとなしく巡視路を下ることにする。

13:03
南側の鞍部に下り、送電線鉄塔の脇で昼食を取る。風も弱く寒くはないが太陽の光が欲しい。

13:34
昼食を終え送電線巡視路を東に進む。途中に雑木林が伐採されていて西隣のトンガリ山がよく見える地点がある。

14:05
巡視路は、国道29号線と送電線が交差する地点が入口になっている。国道から車が入れる林道の15mほどのところに「火の用心」の標識がありそこから巡視路が始まっている。国道脇に巡視路標識を出さない関西電力の奥ゆかしさが、巡視路入口を見出すことを難しくしている。

国道に出る直前に姫路駅前行きのバスが通り過ぎ、次ぎのバスまで50分ほどある。待っていても寒いだけなので「長池」バス停まで国道29号線を歩く。



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