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書写山圓教寺で紅葉狩り



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平成16年11月28日(日)  メンバー 私だけ

書写山 しょしゃやま 349.9m(三角点)

2万5千分の1地形図「姫路北部」を参照すること。


登りは置塩坂参道、下りは東坂参道

姫路市を代表する紅葉の名所、書写山圓教寺へ行ってきた。寒さが足らないのか今年の紅葉は色づきが悪いというが、それなりにきれいだった。

書写山圓教寺のことなら書寫山圓教寺 公式ホームページが、6本の参道についてなら私の書写山圓教寺、6本の参道を歩くの方が一層詳しい。

今回は、書写山東側の書写吹から「置塩坂参道」を登り、349.9m三角点(点名:書写山)を見つけ、下山は南側の「東坂参道」を下る予定だ。

書写吹の登山口案内

8:37
雪彦山行きの神姫バスを「書写吹バス停」で下車。終点の雪彦山まで行きそうな人が4人ほどいたが、私がどの山に登るのか不思議だっただろう。

バス停から少し戻ると「竹尾ぶつだん店」の南側に「書写吹 書写山登山口」の案内板が立っている。附近に車を止められそうなスペースもなくバス登山専用の登山口だ。


見所たくさん置塩坂参道

8:40
うるさく吠える犬に見送られながら山道に入っていくと、道が2本に別れている。

左 書写山

親切で的確な案内に従い左へ行く。これ以外に道標はないが、ここ以外には終点まで分岐はなく迷うことはない。置塩坂参道は全体的に緩やかで、数箇所しかない岩場にはステップが切られていて極めて登りやすい道となっている。

緩やかな「置塩坂参道」

今年の台風による倒木は随所に見られるが、全て整理されている。1本だけ大きな木が参道を越えて掛かり木(伐採した木が他の木に掛かってしまい倒れない状態)状態になっている。

9:13
大岩に石仏が彫られていて、その前は石を積んだ祭壇になってる。石仏の前は展望がよく、空気が澄んでいたら播磨灘まで見えるだろう。

さらに登って行くと「左 そさ かんのん道(一部?)」と刻まれた道標があるので、この石仏が「曽左観音」なのだろうか。

置塩坂参道の磨崖仏

お顔のアップ

9:29
道端の岩に線刻の五輪塔が彫られている。ここから上には小ぶりの五輪塔が時折現れ、参道らしくなってくる。

線刻の五輪塔

9:42
曲がり角に五輪塔1基と石仏3体が祀られている。いずれも小さいものだが心をなごませる。置塩坂参道は東向き斜面にあるので午前中は明るいが、午後は薄暗くなり雰囲気が一変する。前回ここに来たのは1年前の10月の午後2時で、この石仏の印象もだいぶ違ったものだった。

石仏三体のお出迎え

9:49
これを越えれば圓教寺の境内に入る最後の平坦なピークは、台風の風の通り道となったのか沢山の木々が倒れた跡がある。太い倒木も通行の邪魔になるものは全て整理されている。

なかでも幹の直径が2m位はありそうな樅の木が根の裏を道に向け倒れていて、見上げるようなその高さには驚かされた。数百年間ここに立っていた主のような木を、このまま朽ちさせるのは淋しすぎる。大きすぎて動かすのもままならないだろうが、何か有効に使えないものだろうか。

見上げるような巨大な根

9:58
圓教寺の境内までわずかのところに、古い道標が立っている。持って帰って床の間に飾りたくなるような気品のあるもので「左たんこみち」(「ち」はGLの下)と石仏のレリーフが彫られている。

古い道標


書写山圓教寺の紅葉

10:02
書写山の境内に到着。参道入口から1時間20分かかっているが普通に歩けば1時間だろう。ロープウェイや東坂参道で登ると有人の志納金所を通り規定の金額を払わねばなないが、この置塩坂参道を含め5本の参道を登ってくると、無人の志納金所があるだけで金額も明示していなく、自分の思う志納金を自らの意思で入れることができる。

志納金寄付のお願い
整備保存のためご協力をお願い致します。

史跡文化財管理
上水道管理
公衆トイレ管理清掃

書写山 圓教寺
書寫山史跡保存会

赤・黄・緑とそれなりの紅葉が摩尼殿を包んでいる。時間が早いのかまだ参詣者は少ない。

圓教寺の紅葉

摩尼殿と紅葉

10:31
常行堂、食堂、大講堂の三つの伽藍が並ぶ一角に来た。2年前の10月に「トム・クルーズ」主演の「ラスト・サムライ」が撮影されたのはさらに奥にある「奥の院」ようだ。ミーハーな私はその撮影の時、ロープーウェイの麓駅駐車場で1時間半ほど待ち、彼の乗った車の撮影に成功した(トム君は写っていなかったが)。

トム・クルーズが乗っていた車(2年前)


奥の院から三角点へ

10:34
「奥の院」の南側から始まる「鯰尾坂参道」に入り、北方にある349.9m三等三角点を目指すことにする。WEBによると途中から分岐し「行者堂」方向へ進むと三角点があるようだ。

奥の院から鯰尾坂参道へ

最初は狭い道で、南側の谷筋を登ってくる「刀出坂参道」からの声が聞こえてくる。4分ほど行くと右側が石垣になっている広いT字路に突き当たる。鯰尾坂参道は左だが、ここには案内はない。

10:43
お地蔵さんと石の道標が立つ分岐点に着いた。車でも通れそうな広い道は「ねむり地蔵尊」へと続いていて、「行者堂参道」へはそれなりの山道が延びている。

(左) ねむり地蔵尊 すぐそこ
(右)行者堂参道

石仏のある分岐点

3分も行くと覆い屋をかけられた社があるが、行者堂ではない。左手の覆い屋の中の社は「弁天堂」だ。

10:55
「右行者(ここから下は土の中)」の石の道標と「行者堂参道→」の案内が道端にあり、その手前を左に10mも入ると三等三角点(点名:書写山)がある。周囲はスギ、雑木が茂り展望は全くない。

1枚だけ登頂記念プレート(平成16年2月21日付け)が下がり、航空測量用の目印つけた柱が倒れている。

三角点 書写山

登頂記念プレート

時間をかけ丁寧に作られた登頂記念プレートだが、ここは広い尾根の途中でピークでも何でもないし、ましてや書写山の頂上などでない。

書写山の最高地点は摩尼殿北西の白山権現附近で、きっとそこにも同じプレートが下がっていそうな気がする。


北へ進み行者堂へ

行者参道をさらに北へ

11:09
道はさらに北に延びていて、「是ノ右行者道」の道標から尾根の東側へ下る。正面の尾根には赤テープのマーキングがあり、そのマーキングは書写吹と新在家間の173m標高点のある峠へと導いてくれるのだろうか。

行者参道の道標

11:13
尾根を東に外した道を下っていくと、平地があり目的の行者堂があった。石灯籠が2基と行者堂があり、その奥に屋根にブルーシートをかけられた役の行者を祀る本堂(扉を開けなかったので定かではないが)がある。

行者堂から折り返すように下る道があり、すぐに行場に着く。不動明王像の裏の木の根元から湧き出した水が導かれ、滝行場が造られている。圓教寺は天台宗で、ここは行者堂なので真言密教なのだろうか。

行者堂に到着

行場そばの不動明王像

11:47
行者堂から尾根の道標(11:09に通過)まで戻り、木々に付けられた赤テープを北に辿ってみることにする。

尾根には不明確な切り開きがある。赤テープは行者堂の上まで付けられているが、そこから北側には付けられていないようだ。広い尾根を適当に下れば、173m標高点の峠へ行くことも出来るだろうが、本日の計画は三角点まで行くことで、すでに予定範囲外に出ていることだし圓教寺に引き返すことにする。


ねむり地蔵を見て東坂参道で下山

12:07
20分間尾根をうろつき、道標まで戻る。お昼の時間になったが適当な場所もないので、歩きながらのお昼ごはんを食べることにする。コンビニで買ったサンドイッチとおにぎり2個をぱくつきながら歩く。

12:26
石仏がある分岐点(10:43に通過)から1分ほど広い道を行くと「ねむり地蔵尊」がある。大きな岩に浮彫された地蔵像だ。

ねむり地蔵尊

圓教寺の境内に入ると大勢の参詣客が紅葉狩りを楽しんでいる。

瑞光院の紅葉

摩尼殿から仁王門を過ぎ、ロープウェイの駅へ向う観音様が両側に並ぶ参道も大勢の参詣者が歩いている。しかしロープウェイの最大輸送能力(1時間に840人)の制限があり無茶な込み方には絶対にならないのが書写山のいいところか。

観音様が並ぶ参道

13:04
ロープウェイ山上駅近くに志納金徴収所がある。一応寄付ということになっているが、ここを素通りするすることの出来る人はいないだろう。

拝観寄付のお願い志納金寄付のお願い

史跡円教寺境内並びに重要文化財の護持の為に多額の費用を要し、寺の経費のみでは守りきれません。
誠に恐れ入りますが、応分の御寄付をお願い申し上げます

書写山 円教寺
書写山史跡保存会

史跡保存のために
お一人300円お願いします

一千年の歴史を誇る史跡圓教寺には、多くの重要文化財がございます。この貴重な財産である文化財を後世に伝えるよう最大の努力をいたしておりますが、何分にも相当の維持管理費が必要でございます。
何卒、宜しくお願いします。

書寫山 圓教寺
書寫山史跡保存会

特別志納金について

一人につき1,000円志納されますと
1.拝観志納金
1.食堂宝物館入館料
1.マイクロバス往復乗車できます。

ここから西国二十七番札所摩尼殿納経所まで約1km、徒歩約20分です。少し上り坂となっております。

ロープウェイ山上駅からの姫路市街や広峰の山々が広がる大展望を期待していたが、今日はあいにくと霞んでいて残念。

七番目の参道 姫路市営ロープーウェイ

13:17
近畿自然歩道でもある「東坂参道」を下る。書写山には6本の参道があるが普通の人が利用するのはここだけのようだ。

東坂参道

東坂参道は岩場が半分以上を占め、真っすぐに下ると激下りだが、九十九折れの道も造られていて緩やかに下ることも可能だ。大勢の人が登り下りしていて、姫路の山の中ではは最も賑わっている登山道だろう。


最後は如意輪寺女人堂

13:39
20分ほどで下った先は左右に分かれている。ほとんどの人は駐車場に戻るため東に行くが、西に行けば如意輪寺女人堂がある。

応永5年(1398)から明治5年(1872)の500年ちかくの間、書写山は女人禁制だった。その間女性の巡礼は女人堂にお札を納めたという。

女人堂

守護使不入石標

如意輪寺の文化財

1002(長保4)年に書写山円教寺開祖性空上人が開基の古刹で、本尊は六臂如意輪観音菩薩である。
1398(応永5年)年書写山は女人禁制となり、心空慈傅上人は女人堂を建立し、女人巡礼の札所とした。

姫路市指定重要有形文化財(彫刻)平成8年12月2日指定
如意輪観音菩薩半跏像 一身區

       時 代 観応2年(1351)
       作 者 法眼康俊(運慶五代孫 東寺大仏師と号す)
       法 量 像高41.0cm 膝張28.0cm 膝奥20.8cm
       品 質 木造(檜材)漆箔(頭髪彩色)玉眼嵌入

宝冠をいただき六臂を有し、頭部を右方に傾け、右膝を立てる通常の如意輪観音菩薩半跏像で、髪部以外は全て漆箔仕上げとしている。
体部の構造は明らかでないが、像底に朱漆銘があり、観応2年11月仏師康俊によって造られ、願主は伝燈大阿閣梨権少僧都昌尊、開眼導師は書写長吏実祐であったことがわかる。南北朝時代の如意輪観音菩薩半跏像の好例である。


姫路市指定重要有形文化財(彫刻)平成8年12月2日指定
薬師如来座像 一身區

       時 代 室町時代
       作 者 不詳
       法 量 像高48.0cm 膝張40.1cm 膝奥32.0cm
       品 質 木造 寄木造 漆箔 玉眼嵌入

本像は右手は屈臂して施無畏印、左手は膝上に掌上を上にして与願印を結ぶ。左足を上に結跏趺坐する。作者は不明であるが、制作は14世紀中頃と推定される。


姫路市指定重要有形文化財(彫刻)平成8年12月2日指定
聖徳太子立像 一身區

       時 代 鎌倉時代から南北朝時代(14世紀)
       作 者 不詳
       法 量 像高77.0cm
       品 質 木造(檜材)寄木造 彩色

通形の十六歳孝養太子像と称されるものである。肉付きのよい丸顔で眉、眼にも締りが認められ、孝養太子像特有の一種の厳しさをもっている。右手に執笏、左手に柄香炉をもつ。本像は14世紀後半の作と推定される。


守護使不入石標

この石標は、元夢前川の東岸実御立村と東坂本村の境に立てられていた。その後、西坂本村の「おりと橋」の横石に用いられていたものを移したものである。
「守護使不入」は書写山領へ守護使が入ることができないことを榜示したものである。


石造地蔵菩薩立像

書写山道が旧因幡街道の横大道から分岐する夢前川畔の地蔵堂に祀られていた「河原地蔵」が1882(明治15)年、水難により破損したので、如意輪寺境内に移されたものである。

平成9年1月   姫路市教育委員会

13:51
南のバス通りに出ると神姫バス「書写バス停」がある。1時間に4本以上姫路駅前行きの便があり、市営バス「書写ロープウェイ駅バス停」の1時間に3本以上より多く便利だし必ず座れる。



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