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城山・畑山・観音山・御大師山



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平成17年1月22日(土)  メンバー 私だけ

城山 しろやま 133m
畑山 はたやま 311.7m
観音山 かんのんやま 93.4m
御大師山 おだいしやま 109m

2万5千分の1地形図「笠原」を参照すること。


姫路市百名山

大人気の日本百名山にあやかり、播州野歩記流の「姫路市百名山」を選定しようと以前から考えていた。しかし調べてみると、今までに登った姫路市の山は50座にも満たず、知る限りの山々を合わせても80座に届かない事が判明した。

というわけで本日、姫路市内の全ての山を「姫路市百名山」に認定することにする。しかし市町合併により百を超える日がきたら、その時は播州野歩記の基本精神「山高きが故に貴(たつと)からず」に基づき、「姫路市二百・三百名山」に移行するように認定規則に定めることにする。

今日は姫路市百名山を極めるため、未踏となっていた姫路市東北部の城山・畑山・観音山・御大師山に登ってきた。

なお今日の山行の実行、及び記録の作成には、次のウェブサイトを参考にしている。(順不同)

まめのこずい  姫路市の山々が地図入りで詳しく紹介されている
ようこそ多駝の里へ  観音山・御大師山がある多駝の里にすむ方のウェブサイト
山田小ホームページ  観音山近くの小学校で校歌に「観音山」が歌われている
城めぐ.com  全国の城跡、当然城山も紹介されている
姫路ロータリークラブ  畑山の登山基地、太尾キャンプ場の情報源
神姫バスのぞみNavi  バス山行の友、神姫バスの路線図・時刻表・料金が検索できる


姫路市豊富町太尾の城山

姫路市豊富町太尾の城山は、2万5千分の1地形図「笠原」に山名が記載されているので、メジャーな山かというとそうでもない。ウェブを探したが山行記録は二つしか見つからなかった。

10:39
姫路市豊富町の太尾バス停(神姫バス姫路駅前10:00発、61系統野里・南山田経由北条行き)で下車。通常料金は490円だがエコ定期制度を利用し100円だけ払う。バス停のすぐ北に「姫路市太尾青少年キャンプ場」の立看板があり、そこから東に入る。

10:43
Y字路を左に、老人憩いの家で左に曲がり観音寺の石段下に着いた。「磨崖仏」の解説板があり、寄ってみる。

磨崖仏

観音堂の右裏手の岩肌に市内では珍しい像高54cmの磨崖仏が刻まれている。像上の岩肌に「薬師如来」と刻字されている。

平成13年2月 姫路市教育委員会

お堂の右裏の垂直な岩肌に磨崖仏が彫られている。大きな岩にこじんまりと彫られた薬師如来さまのお顔はかなり摩滅して表情は伺えない。台座や屋根などは後年に設けられたものだろう。

観音寺の磨崖仏

10:54
観音寺の裏からも城山へ登れるようだが、まめのこずい 城山〜畑山の登山ルートを忠実にトレースするため、西側の「太尾祖霊社」まで行き、その手前の石段を登る。動物避けの電撃柵が横切っているが、低く張られているので足の短い私でも簡単に跨ぐことが出来た。

太尾祖霊社脇の城山登山口

11:01
適度に整備された山道を5分も登れば「城山大神」の扁額がかかる木の鳥居、石灯籠が現れる。

11:04
相撲をとるには少しばかり狭い土俵(もしかすると小相撲が繰り広げられるのかもしれない)から石段を登ると「城山大神」の社がある。

城山山上の城山大神

社の右側からさらに奥へと道が延びている。城山らしく平坦な頂上で、どこがピークなのかよく分からない。山名板も登頂記念プレートもどこに付けたらよいのか迷ったのか1枚も見当たらない。

どこが頂上なのか分らない城山

城山の頂上を探しながら雑木林の中の道を行くと下りになってしまった。引き返すのなんだしこのまま進むことにする。まあまあの結構急な下りの先はぼちぼちな道が続いている。

11:19
緩やかな登りをこなすと二つ並んだ溜池の北側のピークまで来てしまった。ここで道は二手に分れ、左側は北東の神社印へ下るようだ。しかし、少し進むとシダの中へ踏み跡は消えてしまい行けそうもない。

11:27
右手に進むと開けたところに出て、また道は二手に分かれる。左は尾根伝いに行くと思われ、右は「池の土手へ」と道標がある。畑山からの下山に尾根伝いの道を使おうと思い、一度溜池まで下ることにする。

畑山を見ながら溜池へ下り始める

11:32
緩やかな下り、最後だけはトラロープが張られた短い激下りを終えると、二つ並んだ溜池を仕切る堰堤に下り立つ。風がなく池面にきれいに城山が映っている。

溜池の向うに見える城山


次ぎは畑山だ

狭い舗装道路(地形図の実線道)を東に行くと、池が終わる辺りで太尾キャンプ場のメインロッジが見えてきた。1965年に建てられてから40年、遠めにはきれいに見える。キャンプ場の営業は夏休み期間中だけで、今は誰もいない。

太尾キャンプ場

「コーラハウス」(キャンプ場のトイレによく付けられる名前らしい)という名のトイレ棟が道の左側にあり、その先の右手に畑山へ登ると思われる道が始まっている。案内は全くなく、マーキングのテープ類もない。間違いないか確認するため、さらに舗装道路を進むことにする。

11:39
舗装道路をそのまま進むと広場に出た。2002年に建てられたシャワールーム、2004年に焼失した二階建てロッジの基礎が広場の周囲にある。まめのこずいの地図(城山〜畑山)では実線道から畑山への登山道が分岐しているので、さっきの「コーラハウス」近くの分岐道が直接畑山頂上に登る道に間違いないだろう。

11:45
畑山へ登ると思われる分岐まで引き返し登り始める。5分も入ると赤ビニールテープのマーキングがあり、方向的にも間違いない事を確信した。

太尾キャンプ場内の畑山登山口

登山道に入るとすぐに溝に渡された短い丸太橋を渡る。

雑木の急斜面に開かれた九十九折れの道を登って行くのだが、去年の台風以来お約束になってしまった倒木が所々で道を塞いでいる。くぐったり乗り越えたり迂回したりと手間がかかるが、植林の総倒れとは違い、通り抜けるのは可能だ。ただ九十九の曲がり角の倒木を乗り越えてしまうと道がなくなるので注意が必要だ。

倒木のある九十九な道を登る

尾根が近づいてくると道は九十九折れを止め、斜面に斜めに緩やかに付けられた道を南へ登って行く。

12:24
最後は板と棒で作られた段差の大きな土留めのような階段道を登りきり、畑山から北に延びる尾根に出た。尾根には幅が5m以上はありそうな道が通っている。いやこれは火薬を製造している日本化薬工場を囲んでいる防火帯で「立入禁止 火気厳禁」の掲示板も所々にある。

尾根の防火帯を登る

最近防火帯の手入れがあったようで、両側から張り出していた木々は伐られ、防火帯に生えていただろう草木は全て除去されている。しかし夏になれば、あっという間にイバラやなんやらが茂ってしまうだろう。

12:31
二等三角点(点名:太尾)がある畑山頂上に到着。山名板「JH3JFF 畑山 311.7m」が1枚下がる以外には登頂記念プレートは1枚もない。防火帯が延びる北方向はまずまずの展望だが、西と東は雑木が茂り、南は電波反射板が邪魔をしている。

12:37
南側の電波反射板に行くが全開の展望は得られない。フェンスの中にある展望台に登ればよりよい展望を得られるかもしれないが止めておく(フェンスには破れがあり侵入は容易)。真南に位置する姫路セントラルパークの大観覧車がある遊園地が見え、ジェットコースターの走行音が聞こえてくるくる。

畑山からの展望

姫路セントラルパーク


どこから下りよう

12:45
防火帯はここから南西に尾根を下っていて麓まで下りられそうだが、次の目的地が遠くなるので電波反射板の北側の隙間を通り東に進むことにする。

12:50
5分も行くと赤ビニールテープがこれでもかと言うほど沢山巻きつけられている分岐がある。北の谷をキャンプ場へと下る道の分岐地点だが、キャンプ場の周囲の山々を周回する道もあるようで5分ほど行ってみる。しかし、倒木に惑わされたのか南東へ下る尾根に入ってしまい引き返す。再び畑山を訪れることはないと思うので、このルートの疑問を解消する日はこないだろう。

12:58
北の谷へのマーキングだらけの分岐点まで戻り、下り始める。最初は明確な道だが、荒れた谷に入ると最近人が通った気配がなく、マーキングもなく、ただの谷にしか見えず、本当にここを下りて行けばよいのか疑問が湧き出してきた。

荒れた谷を北へと下る

傾斜はそれなりに急で、邪魔な倒木もあり簡単に下れない。それでも落ち葉が積もった谷に矢印を書いた小さな道標があり道を誤っていないことが分った。

13:11
傾斜が緩くなってくると、いきなり道は幅2mほどに広がり明確になり、谷には音を立てて水が流れ始めている。

谷の下部は幅の広いよい道だ

13:22
太尾キャンプ場の一番奥に出た。表示がなく登山口は分りにくいかもしれないが、入口左側に赤ビニールテープのマーキングが巻かれている。

13:24
キャンプ場のシャワーハウスのある広場まで戻った。そこには「山火事防止 火気厳禁 姫路東消防署」の丸看板があり、その中に小さな字で「指定場所以外」と表示してある。この奥にあるキャンプファイヤー場のことを言っているのだろう。

太尾キャンプ場の広場に戻った


意外な事実

13:35
遅くなった昼食を食べながら溜池の横を行く舗装道路を戻ると、二つ並んだ溜池の下池の横で、道にチェーンが張られいる。「関係者以外立入禁止」「立入禁止」「これよりキャンプ場に付き関係者以外の立入禁止」と三つも警告板があり、キャンプ場は入ってはいけない区域になっている。

というわけで、ここまでの山行記録を読んで畑山に登りたくなった、ごく一部の人にとっては残念ながらこのルートを使うことは出来なくなってしまった。

立入禁止警告板

13:40
さらに5分ほど戻った閉鎖されている公園横でも道路にチェーンが張られ、立入禁止警告板が2枚ある。二重に立入禁止になっているので、よっぽどキャンプ場に入って欲しくないようだ。2004年のロッジ焼失が厳重な立入禁止の理由なのだろう。


観音山・御大師山へ

姫路市山田町北山田にある93.4m三角点がある山が「観音山」だ。周囲との比高は20mほどしかなく山らしさは全くない。

城山から畑山西麓のバス通りを1時間ほど北に歩く。

14:32
山田小学校の北にある多田バス停手前の道を東に入ればいいのだが、あまりに観音山が低すぎて平地の林と見誤り通り過ぎてしまい、観音山西側の実線道を行き西麓の墓地に着いた。そこには観音山頂上にある古墳「清盛塚」の解説板が立っている。

清盛塚

標高93mの観音山山頂に全長約40mの前方後円墳がある。竪穴式石室をもつが未調査のため詳細は不明。約400m南東に御大師山古墳(横穴式石室)、約500m西方に諏訪の岩穴(県指定、横穴式石室)があり、市川中流東岸域の首長勢力を想定させる。昭和17年発行の『神崎郡誌』には「中央土を盛上げ隅々又は段々に玉石及び埴輪をうづめてある」と記し、清盛塚の由来を載せる。北山田出身とされる平清盛の乳母が、清盛の信仰した観音の像を山頂に祀ったといい、清盛が乳母のために法華経を山田法華堂に納めたとされることから後世に清盛塚と呼ばれたのであろう。観音山の南一面は字法華堂であり、法華池が今もある。

平成16年8月 姫路市教育委員会

観音山西麓の墓地

14:41
墓地の脇から時計回りに山裾を巡る道がある。東側に回ると両側を竹林に挟まれた植林地があり、登ってみるとあっという間に頂上に到着。

頂上には四等三角点標石(点名:清盛塚)があり、こんな所にも「観音山 93.4M」の山名板が下がっている。周囲を木々に囲まれ展望は全くなく、前方後円墳の上に立っているはずだが全長40mとかなり大きなもので、どこが前方か後円かさっぱり分らない。

観音山山頂

14:47
南麓の「天満宮」に下山する。観音山はこの天満宮の鎮守の森のように見える。

観音山南麓の天満宮

14:54
次の御大師山は観音山南西の100mを越える山だ。天満宮南の車道に出ると西側近くに案内板と石仏が見える。「まめのこずい」で紹介されていた姫路市で二番目に古い道標だ。

北山田の道標

姫路市内で二番目に古い道標で、明和2年(1765)に造立されたもの。
自然石に地蔵像を浮彫にして下に「右たじま道」裏面には「明和二年酉谷口助五口」の銘がある。背後の一石一字法華経塔は天明8年(1837)の造立。

姫路市教育委員会 姫路市文化財保護協会
平成3年3月

姫路市内で二番目に古い道標

ちなみに姫路市内最古の道標は豊国にあり、この道標よりも88年前の延宝5年(1677年)に造立されている。私の庄山城跡(姫路)に石垣を求めてで紹介している。


本日四山目の御大師山

15:03
車道を東に進み「北山田公民館」の先を北に入ると「梅林寺」がある。わざわざ四国に行かなくても四国八十八カ所霊場巡りが出来ることで有名な?お寺で、石段を登り左側の梵鐘がない鐘突堂から一番札所が始まっている。

御大師山南の梅林寺

御大師山四国八十八カ所巡り

15:14
御大師山を周回するように付けられた山道の脇に石仏が並び、いつの間にか頂上近くまで登ってしまった。頂上は横穴式古墳になっていて中には不動明王が祀られている。

御大師山(おだいしやま)古墳

標高109mの御大師山の頂上に築かれた古墳で、全長約30mの横穴式古墳である。副葬品などについては不明である。現在、石室内には不動明王が祭られている。ここからは『播磨国風土記』にいう。
西方眼下の観音山(標高93m)の頂上にある清盛塚は、全長40mの前方後円墳だが、未調査のため詳細は不明である。

姫路市教育委員会 姫路市文化財保護協会
平成3年3月

御大師山頂上の御大師山古墳

解説には「多駝里(ただのさと)」が一望できるとあるが、今は木が伸びたためか、展望はさっぱりだった。

15:36
下山し西側の狭いバス通りにある「多田」バス停に着いた。次ぎのバスは40分後の16:16。南の「西山田」バス停からは別系統も合流するが、ダウンロードしてきた神姫バスの時刻表を見ても、これより早い便はない。ここで40分も待つのもなんだし、西山田まで行ってバスに乗ることにする。



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