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武庫川渓谷、旧福知山線
廃線跡ハイキング その3



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1回目 平成20年11月29日(土)  メンバー 私だけ

2回目 平成20年12月6日(土)  メンバー 私と妻その1

JR生瀬駅〜旧福知山線廃線跡〜JR武田尾駅



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長尾山第1トンネル(307m)または6号隧道

12:05
第2武庫川橋梁を渡り終えると直ぐにまたトンネルに入る。長尾山第1トンネルで、これもまた曲がっているので中は真っ暗。

長尾山第1トンネル(尼崎側)

12:09
トンネル内の枕木は全て流失したのか1本も残っていない。枕木が抜け出た跡も濁流に均されたのか、平らで歩きやすい。

集団が追いついてきた

12:12
真っ暗な中、ヘッドランプの光だけを頼りに足元ばかり見て歩いていると方向感覚が狂ってくる。真ん中を歩くと壁が見えず真っ直に進んでいるのか怪しくなり、壁際を歩くとなぜか吸い寄せられそうになる。

これぐらい明るければ歩きやすいだろうな

12:13
他のトンネルにもあったが、保線員のための待避坑が設けられている。中に立つと頭をぶつけそうで、しゃがみこむのが正しい退避姿勢のような気もするが、二人で入ったらちょっと窮屈そう。

トンネル内の退避坑


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

10:47
トンネル内部は側壁は石積みで、これまでのトンネルと同じなのだがアーチ部がなぜか違う。

側壁は石積み

アーチ部はこれまでの煉瓦巻きではなく、コンクリート巻きに見える。でも、薄っすらと煉瓦の陰が見えるような気がするところもあるし、よく分からない。

アーチ部は補修したのかな


12:17
福知山側出口付近はバラストも流失したのか、深くえぐられていて、両壁際には石蓋を乗せた排水溝と思われるものが露出している。本来はバラストの下に隠されているもので、他のトンネルも壁際を掘ったらら排水溝が現われるはずだ。

出口近くはバラストも流され
排水溝が露出している

12:19
福知山側ポータルは尼崎側と同じく開通当初のままと思われ、レンガ巻きの外側は石積みの古風なものだ。このトンネルが開通した明治時代は、隧道名を書いた扁額をポータルに掲げる風習はまだなかったのか、それとも阪鶴鉄道の方針だったのか少し寂しいたたずまいだ。

長尾山第1トンネル(福知山側)

12:20
トンネル内には1本もなかった枕木だが、外に出るとちゃんと並んでいる。今の紅葉が美しいこの風景からは、濁流がトンネルに流れ込む様子などうかがい知れない。

紅葉が美しい

12:24
さあ行こうとしたら、理不尽にもまた雨だ。今度は本降りになりそうな雨粒で、皆トンネルに戻り停滞。「うーん、困った困った駒鳥姉妹」。

トンネルで雨宿り、2回目

12:27
でも空模様の移り変わりは速く、数分で雨はやんでしまった。

下の写真のトンネルの先で川を渡っている緑色のは、道場の千刈水源地から西宮の上ヶ原浄水場へと水を送る「神戸水道」の導水管が、地上に姿を現す数少ない場所の一つだ。ちなみに、水源側は右でトンネルの通る左側の山へと続いている。鉄道隧道との交差は神戸水道が下だと思うがどうだろうか。

下流の緑色のは神戸水道


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

10:51
1週間まえにはなかったJR西日本の警告板が、ここにも忽然と出現している。でも、廃線跡はさらに上流へと続き、まだトンネルも残っているのに、ここから下流側だけが立入禁止とは解せない。

長尾山第1トンネル(福知山側)に
立っているJR西日本の警告板

10:53
列車が走り始めた後も、落石避けや護岸の工事などは廃線になるまで終わることはなかった。この長尾山第1トンネルの上流側の石積み擁壁に、工事時の石材節約のためか退避用なのか穴が開いていて、擁壁の裏側へ回ることが出来る。

これらの穴の裏側は今はハイカーのトイレとなっているが、ここだけは止めとけ。この武庫川渓谷沿いの鉄道工事ではたくさんの犠牲者が出ているが、昭和4年(1929年)3月26日にダイナマイトの誤爆事故があり二人が亡くなったところだ。

この穴の裏はトイレではありません


12:28
忙しい天気だ。今度は日が差しててきた。ハイカーも目だって増えてきて、後ろからも前からも現われ途切れることがなく、まるでハイシーズンの六甲山のメインルートのような込み具合になってきた。

武庫川の流れは穏やかになり
渓谷ぽさは薄らいできた

12:34
ハイカーというよりは、観光客が散策しているような風情の、小さな子供を連れた家族も現われ、廃線跡はそのままに周辺を公園のような整備がされている。

雨に濡れたもみじの紅葉が美しい

12:37
「さくらの名所“たけだお”案内図」があり、この辺の山上は「桜の園」で、水上勉の「櫻守」(新潮文庫・本体629円)の舞台になっている。

さくらの名所“たけだお”案内図
右奥の橋も廃線跡を利用したものだ

さくらの名所“たけだお”案内図

さくらの名所“たけだお”は、桜の園への玄関口です。
春は桜や新緑、秋には紅葉というように四季の変化が楽しめるよう、自生種・固有種のサクラ(ヤマザクラ、エドヒガン、カスミザクラ等)やイロハモミジ、ヤマブキ等を植栽しました。
サクラの園へ通じるJR廃線敷にサクラを植え、トンネルを抜けると満開の桜に目を奪われるような演出をしています。ハイキングの休憩場所として人々が利用できるよう、自然景観を損なわない広場を整備しています。
日本古来の「サクラ」をシンボルとした、豊かな地域資源の活用と貴重な自然資源の保全を図りつつ、人々が利用しやすい、四季の変化を楽しめるさくらの名所となっています。


たきび、たばこの吸い殻やゴミの投げ捨てはやめましょう。
ゴミは各自で持ち帰りましょう。

平成13年3月 兵庫県・宝塚市

12:38
山側に大峰山へと登る味も素っ気もない階段道、そして正面の5号橋梁は短い。厚化粧して遊歩道の続きのようにしているが、これも廃線跡の鉄道橋を利用したものだ。写真では暗くて分からないが、橋の先にはトンネルが待ち構えている。

遊歩道橋にされてしまった5号橋梁


長尾山第2トンネル(147m)または7号隧道

12:39
5号橋梁を渡ると、切り通しの先に長尾山第2トンネルが見えてきた。真っ直ぐで長さもそれほどではなく、ライトを点ける必要ない。でも入口で出口が見えてしまうと、ちょと詰まらなく物足りなく感じる。

長尾山第2トンネル(尼崎側)

12:41
小さな子を連れた家族も歩いていたりで、もう隧道探検隊の気分にはなれず、トンネル内部を観察することもなくスーッと通り過ぎてしまった。

あれ、これまでとなんか違うな

12:45
公園化に際して、何はともあれ安全が最優先とトンネルの中に照明器具を付けたり、線路の枕木もバラストも除去し舗装して歩きやすく整備しよという意見も出ただろう。でも、なんたってここの売り物の筆頭は廃線跡という他所にはないもの。でも、枕木にけつまずいて転んで怪我をしたら、その責任は管理者の兵庫県と宝塚市にあると言い出す人は絶対にいると思う。

トンネルに何も手を加えないのは、公にしてはなかなかの英断だが大丈夫なのだろうか。

このトンネルも廃線時のままに見える


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

11:06
ここまでの明治隧道の側壁は石積みだったのが、なぜかここでは煉瓦積みになっている。おまけにアーチ部はコンクリート巻きのようだ。

側壁は煉瓦み

また、トンネルのアーチ部の煉瓦は長手積みだったのが、ここの側壁をよく見ると長手だけの段、小口だけの段と一段おきに積むイギリス積みになっている。同時期に開通した鉄道隧道群の中で、このトンネルだけは異質すぎて、大規模な改修工事がされた可能性がある。

側壁の煉瓦はイギリス積みだ

11:08
福知山出口が近づいてくると、いつの間にかアーチ部のコンクリート巻きが煉瓦巻きに変わっていた。そのコンクリート巻きと煉瓦巻きの境目を見たら何か分かったかもしれないが、気付くことなく通り抜けてしまった。

なお、側壁はイギリス積み、アーチ部はこれまで通りの長手積みになっていていた。

福知山側は全部が煉瓦だ


12:48
福知山側出口が近づいてきた。

今この記録を綴りながら水上勉の櫻守を読み進めているところで、武田尾駅から今は桜の園となった演習林へと、もう一つ福知山側の長尾山第3トンネルとこのトンネルを、列車運行の合間に通り抜ける場面があり、突然現われた臨時列車を側壁に抱きつくようにしてやり過ごしている。その当時のトンネル側壁は蒸気機関車の煤と蒸気で酷い事になっていて、顔も体も真っ黒にになったという。

この廃線跡ハイキングをより楽しいものにするためにも、櫻守を読んでおくんだったと後悔している。

もう直ぐ出口だ

12:49
福知山側ポータルは煉瓦巻きと石積みで、これまでのものと変化はない。

長尾山第2トンネル(福知山側)

12:51
6号橋梁も木製の欄干を付けられ遊歩道の一部になっている。脇の犬走りは半分腐り渡ることは出来ない。

6号橋梁


長尾山第3トンネル(91m)または8号隧道

12:53
一番短かく、これが廃線跡歩きの最後のトンネルだ。尼崎側ポータルはコンクリート巻きで延ばされ詰まらないものとなっている。また短いが少し曲がっているので出口を見通すことは出来ない。

トンネル入口近くの道標は「←親水広場桜の園300m : 休憩広場150m、武田尾駅1000m、トイレ350m→」となっていて、トイレは近い。別に私は我慢しているわけではないが、そろそろ限界が近づいてきたお嬢様方にとっては嬉しい道標だ。

長尾山第3トンネル(尼崎側)

12:55
トンネル側壁は石積み、そしてアーチ部は煉瓦巻きと標準的なものとなっている。



この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

11:13
アーチ部の煉瓦巻きは煤けたのやレンが色のものがあり、バラエティに富んでいるが、私の暗いヘッドランプでは光が届かず肉眼では見ることは出来なかった。

アーチ部の煉瓦巻き


12:56
あっという間に出口が近づいてきた。

もう出口だ

12:58
山側擁壁がポータルの一部を隠しているが、当初のまま残っている。100年以上も前なのに石積み煉瓦積みともに技術的には絶頂期を迎えていたのだろう。いまこれと同じものを造ったとしても、100年以上持つかは疑問だ。

長尾山第3トンネル(福知山側)

13:00
長尾山第3トンネルの福知山側は広場になっていて、休憩・昼食の場所としては最適だが、雨のため下草が濡れている。でも紅葉の季節とあって、武田尾まで車で来て散策する人が大勢行き来している。

草地は雨でまだ濡れている

13:01
長尾山第3トンネルの尼崎側にも同じものが立ってたが、この広場の隅にも細いが高い鉄塔が立てられている。長い年月により変形し少々曲がっているが、私の体重くらいは十分支えられるとは思うが、登ってみても誰も褒めてくれないし、いくら人目を気にしない私でも止めておいた。

ここで濡れた下草の上にシートを広げ携帯座布団を出し、お昼ご飯を食べることにする。

この鉄塔は何なのだろうか

13:23
広場隅の7号橋梁を渡り、武田尾へと残り少なくなったハイキング道を進む。7号橋梁の下を流れるのは武庫川支流の新田川で、長尾淵という案内板がある。

7号橋梁

13:26
ここまで常に足元にあった枕木がなくなり、ただの道になってしまった。道標に出てきたトイレは簡易トイレの豪華版といったもので、男女共用のブースが二つあるだけ。人が並んで待っていて、もう少し我慢できるなら旧武田尾駅跡の公衆トイレの方がよいかもしれない。

旧武田尾駅跡、武田尾駅にもトイレはある

13:28
僧川(ぼうさんがわ)と武田尾温泉へと通じる唯一の車道を一跨ぎする8号橋梁も改修され、遊歩道の一部に取り込まれている。

8号橋梁
(再掲:橋の名はこの記録の中だけしか通用しない)

8号橋梁の「けた下制限3.0M」は、上流側の築堤を切り崩し車道を通すことにより解消されていて、そのため橋梁からは短い階段で一般道に下りる。


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

11:24
駐車場があるだけの、あっけらかんとした道は旧福知山線の廃線跡で、この辺に旧武田尾駅があった。もう廃線跡の情緒も風情も残っていないが、これこそ廃線跡に間違いない。

僧川沿いやって来た車道は写真左手の川沿いの集落の中を通り、昭和9年(1934年)に架橋された温泉橋を渡り、武庫川左岸を進み武田尾温泉へと続いている。

この辺が旧武田尾駅跡か


13:37
廃線跡は車道となったが、さらに上流へと続いている。但し現在は武田尾駅前から先は通行止めなので、地理不案内の観光客の車が時たま通りかかるだけだ。

川にかかっている緑の橋は、下流にもあった神戸水道で線路跡を跨ぐ部分は鳥居のように上げられている。その先の赤い橋は現在の福知山線で、橋の左は名塩トンネル、右は第1武田尾トンネルへと続いている。

この左岸側の車道が廃線跡だ

13:42
武田尾駅は地形的な制約から、大部分は第1武田尾トンネル内、残りは橋梁上にプラットホームがあり、本来の意味とは違うが、まさしく橋上駅となっている。

武田尾駅(12月9日に右岸側から撮影)


草山トンネル(305m)または9号隧道

13:48
武田尾駅を通り過ぎて、なおも廃線跡を辿ると本当に最後のトンネル「草山トンネル」が見えてきた。左に見える真っ赤な武田尾橋は平成16年の台風23号により落橋したが、平成18年に復活したもので、武田尾温泉のシンボルになっている。

草山トンネル(尼崎側)

13:50
トンネル内は薄暗いが照明があり、路面も舗装されている。でも側壁は石積み、アーチ部は煉瓦巻きと鉄道時代そのままだ。

路面は舗装されている

13:51
少し進むと、なぜかトンネル途中にフェンスがありこれ以上奥へは入れない。風が吹いているので貫通しているのは間違いなく、フェンスを乗り越えるのも簡単だが、それでは人の道を外れてしまう。これ以上は進むのはやめておこう。この地点にて私の廃線跡歩きは終了。

このから先には進めません

13:53
でも、なぜかトンネル内の通行止めの手前には、車も通れる大きな横穴が開いていて、その先は武田尾橋へとつながっている。でもコーンが置かれ車両は通行できない

これは以前の武田尾橋が台風で落橋したとき、左岸の奥にある温泉旅館の孤立解消のために開けられたもので、そのときに武田尾駅からの左岸道も整備されたのだろう。

でも単線鉄道トンネル幅では車の離合は困難で、トンネル内で直角に曲がる線形も悪く、武田尾橋が復旧した今はこの開口部が車道として再利用されることはもうないだろう。

応急迂回ルートにしては立派過ぎるポータルだ

13:54
真っ赤に塗られた武田尾橋に私が写っているのが分かるだろうか。セルフタイマーをセットしてから突っ走ったわけではなく、数十メートルも届く安価な赤外線リモコンがあり、便利な世の中になったものだ。

武田尾橋にたたずみ物思いにふける私の背後を
怪訝な表情で振り返りつつ通り過ぎるカップル


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

11:54
ゴーッという前触れの後、第1武田尾トンネルから現われ走り去っていく特急北近畿。車窓から見たら一瞬の明かり区間にしか見えないだろう。

武田尾駅のトンネル側を走り抜ける特急北近畿

橋梁を一瞬で渡り切り
名塩トンネルと吸い込まれていった

名塩トンネルの今風のポータルに「名塩隧道」と、古めかしい扁額が掲げられているのはなぜなのだろうか。





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