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武庫川渓谷、旧福知山線
廃線跡ハイキング その2



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1回目 平成20年11月29日(土)  メンバー 私だけ

2回目 平成20年12月6日(土)  メンバー 私と妻その1

JR生瀬駅〜旧福知山線廃線跡〜JR武田尾駅



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堀かけトンネル


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

9:56
北山第1トンネルから出て、川岸の踏み跡を少し戻ると「掘りかけのトンネル跡」がある。第1トンネルを掘る前に試みられたもので、なんらかに事象が発生したため堀り続けることを諦め、北山第1号トンネルへと計画が変更されたものだ。

掘りかけトンネル入口

中には洪水のとき流れ込んだのか、または人為的に持ち込まれたのか定かではないが、壊れた自転車とゴミが少しだけあり水溜りになっている。一人で来ていたなら奥まで入っただろうが、今日は妻その1とのラブリィーなハイキングだ。あまり自分勝手な行動は出来ない。

入るのが怖そうなトンネル内部


10:35
北山第1トンネルから先は、枕木とバラストがそのまま残っている。枕木の上はもちろんのこと、バラストの上も歩ややすいとは言えないが、正に廃線跡歩きにふさわしい風景ではある。

下の写真、何一つ特別なものが写っているわけではなく、中年のおっちゃんが一人さびしく歩いているだけだが、こういう何でもない写真で何を伝えようとしているのか私自身も分からない。でも今回撮った千枚を越える写真の中で一番好きな、うまく撮れたなと思うものだ。

晩秋の廃線跡歩き

10:37
川岸から少しだけ離れた線路跡は、武庫川に吸い寄せられるように、いや山に押しのけられるように川岸に近づいていく。

晩秋の廃線跡歩き 2

10:42
川岸の追いやられた廃線跡には、保線作業員用待避所が川に突き出して残っている。しっかりした造りで20年経っていてもびくともしない。

紅葉がきれいだな

10:43
60kmの速度制限標識だ。下部のR300は曲率半径を示している。

これ以外にも標識はたくさんあったが、信号機やその跡は全くなかった。単線非電化区間なので、タブレット閉塞方式をとっていたはずだから、信号機などあるわけはないと後になって気付いたが、線路脇に立つ電柱にも電話線と思われるものしかなかった。

速度制限標識 60km曲率半径300m

10:46
私はここを列車に乗って通ったことはないが、妻その1は若い頃に通った記憶があるという。さぞかし素晴らしい風景が車窓から見られたことだろう。

正面の山をトンネルで抜けるようだ


北山第2トンネル(413m)または4号隧道

10:49
廃線トンネル群で一番長く413mもある北山第2トンネルだ。開通当初から存在したトンネルだが、ポータル部分は後年にコンクリートで延長されていて、本来の明治鉄道隧道のポータルは見せてくれない。

北山第2トンネル(尼崎側)

10:49
トンネル入口の方を向いている標識には「危険!転落注意」と書かれているが、これもハイカー向けではない。

昔の客車の扉は手動式で、1980年代前半に廃線区間を走行中の普通列車から身を乗り出していた小学生が誤って転落死したこともあり、列車の乗客向けのものだ。

鉄道にしては変わった標識だ

10:59
北山第2トンネルの中に入ると、どうしたわけか枕木がまるでシイタケ栽培のほだ木のように、延々と側壁に立てかけられている。どこかにシイタケでも出ていないかと見てみたが、クレオソートで防腐処理しているのでキノコなど生えるわけはない。

また枕木を抜いただけならバラストに多少なりとも陰刻が残っていそうだが、その跡もない。誰がどのような目的でしたのか謎だ。

立てかけられた枕木

11:08
さらに進むと枕木はバラストの中に、それほどの段差を伴わずに埋まっている。側壁から水が出ている箇所もあるが、地山の堅牢さのためか開通してから100年以上も経つのにトンネル自体には補修後はほとんどない。

列車の窓からはどのように見えたのだろうか

11:12
側壁が黒くなっているところは地下水が滲み出しているところだが、量は少ない。写真に写っているのはいつも私一人だけだが、結構な人数が行き来していて、次から次へと追い越され、武田尾からやってくる人も多い。

ライトを消したら正に漆黒の暗闇だ


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

10:20
トンネル内部の様子だが、路盤には枕木だけが残され、枕木とバアラストとの段差はそれほどでもないが注意しないと躓きかねない。

バラストと枕木は営業時そのままだろう

路盤隅には配水溝はなさそうだが、地下水が滲み出ている場所もあるのに、トンネル内はよく乾燥している。

排水溝はない

9:56
側壁分は表面が平らな大きさがばらばらの石を積んでモルタルで固めている。その上のアーチ部は煉瓦を長手積みにしていて、煉瓦は変色し灰色や黒くなっていいるものがほとんどだ。

側壁は石積み、アーチ部は煉瓦巻き

アーチ部は、煤で黒くなっているように見えるが、目地は白っぽく、そして側壁上部のものとそれほどの違いはないので、普通に劣化しているだけのかも知れない。

煤けているのかな、でも目地は白っぽいし


11:17
明けない夜がない様に、出口のないトンネルなどありはしない。でも外の光が見えてきて次第に大きくなり、外の景色が見えてくると心のそこから安心感が湧き上がり、ほっとしている自分がそこにいる。

もうすぐ出口だ

11:19
いくら最長の413mもあるトンネルだからといって、20分もかかるはずはない。それでは秒速0.34mと這うようなスピードではないか。いったい何枚の写真を撮ったんだ。

福知山側ポータルは開通当初のもので、木々に隠されていてよく見えないが、レンガ巻きの重厚なものだった、と簡潔に記しておく。

北山第2トンネル(福知山側)

11:20
このトンネルを出ると、また少々川岸から離れて進む。この辺りの川岸はどうなっているのか興味があるところだが、草木が茂り行くことが出来ない。

晴れていた空がいつの間にか雲っている

11:23
短い3号橋梁だ。線路側の両端は柵があり立入禁止にになっていて、犬走り部分に張られた縞鋼板の上を行く。でもレールを外しただけと思っていたが、線路両端の柵は廃線作業時に立てたものだろうか。

それから柵があったたとしても、この廃線跡全体が立ち入り禁止なのだから、論理的に思考すると立入禁止の中の立入禁止部分は「反対の反対は賛成なのだ」byバカボンのパパの法理により入ってもよいのではないかと、屁理屈をたれてみる。

短い短い3号橋梁

11:26
「ん、短いトンネルだ」なんて最初は思ったが、別にトンネルにする場所ではないし、それならロックシェッドかと思い直したが、都合よくこの数メートルを狙う落石があるわけもない。

橋台に見えないこともないが、対岸には対応するものもなく??のまま、行き過ぎようとした。でも、何か心の中にわだかまりを残したままでは、これから先のハイキングを楽しむことが出来ない。

これは何だろう

11:32
しばらく行ってから、このままでは私がだめになると思い引き返すと、裏側に鉄梯子とタラップが付いていた。高いところから下りるのは怖いが、高い方へと登るのはへっちゃらだ。でも斜めの鉄梯子といい、45度ほどのタラップといい、どちらもバランスが取り難く上り下りが厄介だ。

上って見た結論だが、この構造物は沢からの水を線路を跨いで川に落とす水路橋だった。なぜ路盤下に水路を通さずに、こんな大仕掛けを造ったのかという疑問は残ったが、??が?に減ったので、一応の心の平安を取り戻すことができた。

下りる時が怖かったな

11:33
アングル組みの見張り台だ。見習い見張り員になって、列車が近づいてきたらハイカーに退避するよう指示しようとしたが、ハイカーも列車もやってこない。しばらく待ってみたが、詰まらなくなってきたので先に進むことにした。

アングル製の見張り台

11:35
線路はまた川岸に追いやられて、高い護岸を築きその上を行く。渓谷も狭まり、音を立て激しくもみあい、うねり、落ちる流れが怖いぐらいだ。

下の写真の、私の手前の鉄蓋の下には川床までのタラップがあり、この激流近くへと下りられるが、水遊びには少し寒く水自体もきれいではないので上から眺めるだけにした。

落差はないが溝滝と呼ばれている

11:37
この辺が渓谷としては一番のビューポイントのようで「見返りの道」と書かれた古い案内板が掲示されている。

見返りの道

11:39
川岸に護岸を造るよりも、少し離れて切り通しにした方が工事量が減ると考えたのだろうか。見た目はたいしたことはないが、大量の岩石を砕き取り除くには莫大な量のダイナマイトと時間を要したに違いない。

美しい切り通し


溝滝尾トンネル(149m)または5号隧道

11:41
三番目のトンネルは長くはないが、これもまた曲がっているので中は真っ暗だ。この溝滝尾トンネルは5号隧道とも呼ばれているが、福知山線の起点の尼崎から順番に付けた番号で、北山第1トンネルが後から開通したり、一番目が昭和55年に廃止されたりで、北山第1トンネルが新3号隧道と呼ばれるように混乱している。

その上この生瀬〜道場間が廃止され、新たなトンネルが開通した今も、この番号制度は続いているのだろうか。

溝滝尾トンネル(尼崎側)

11:43
このトンネルのポータルもコンクリート巻きで延ばされ、明治鉄道隧道の雰囲気はなくなっている。それでも少し入ると側壁は石積み、アーチ部はレンガ巻きの足掛け2世紀前に開通した当初のままの姿を残している。

ここからが明治鉄道隧道だ

11:45
トンネル内部の様子は同じようなもので、149mと短いがこれも曲がっているので真っ暗だ。

ストロボを焚いているので明るいが
本当は真っ暗の暗闇だ


この部分は、1週間後の12月6日(土)に妻その1と再訪した時の記録だ。

10:39
側壁は石積み、アーチ部は煉瓦巻きと北山第2トンネルと同じだ。煉瓦は茶色や黒や白っぽいのも混じり、目地は白いところが多い。やはりこの黒いのは蒸気機関車やディーゼルの煤煙によるものか知れないな。

100年以上経つのに剥落はない

枕木はバラストに深く埋まり段差は少ない


11:47
出口が近づいてきて、なにやら赤っぽいのが見えてきた。

おっ、あれがうわさのあれかな

11:50
偶然にも私以外誰一人写っていないが、この風景は廃線跡の中で一番有名なところで、大勢のハイカーが立ち止まり写真を撮っている。トンネルから続く武庫川本流に架かる鉄橋の名前は、この記録中では4番目なので4号橋梁でもよいのだが「第2武庫川橋梁」という名前が付いている。

トンネルを出るとそこは橋だった

11:52
福知山側入口はポータルを延長しようがなかったのか、元のままのレンガがアーチを描く華麗なものだ。でも、私の興味は鉄橋へと完璧に移ってしまい、半分ほど鉄橋を渡ってから写真を撮っていないことに気付いて引き返す始末だ。

溝滝尾トンネル(福知山側)


第2武庫川橋梁(70m)

11:53
トンネルから出た線路はそのまま鉄橋へとつながる。フェンスがあり、過去の保線員への「橋りょう上歩行禁止!」の警告板があるが、この廃線跡全体が立ち入り禁止なので、鉄橋の線路跡を渡るのも、脇の犬走りを渡るのも同じことだ。でも誰一人としてフェンスを乗り越えようとしない。そりゃ、枕木を踏み外して10m下の武庫川にボッチャンは誰でも嫌だし、もともと人が渡るように造られていない。

ここは蛮勇を発揮するところではなく、おとなしく犬走りを渡るのが人の道というものだ。

第2武庫川橋梁(尼崎側)

11:56
写真を撮っているうちに、曇り空から雨がぽつぽつと降ってきてしまった。天気予報は快晴の一日のはずだったのに何たることだ。常にザックに入っているレインウエアを着ようかなと、トンネル内に戻り雨宿り。カメラを濡らすのも嫌だし、どうしようかと迷っているうちに大降りになることもなく、なんか止みそうな感じ。

トンネルで雨宿り、1回目

11:59
雨は止み空模様も回復傾向になってきたので、橋梁脇の通路に踏み出す。薄めの縞鋼板の下10mを流れる武庫川、私はなんともないが高所恐怖症だとちょっと怖いかもしれない。この通路は犬走りというよりはキャットウォークと呼んだ方がよさそうだが、そろそろペンキを塗り替えないとその内に錆びて穴が開きそうだ。

第2武庫川橋梁を渡る

12:04
橋梁の福知山側は枕木が乱雑に積み重なっている。これは橋梁と連続している長尾山第1トンネル内の枕木が、洪水による濁流のために流失したものだという。

重そうな枕木だけど水に浮いて
流れ出たんだろう



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