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黍田富士から天下台山へ(1)



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平成21年2月7日(土)  メンバー 私だけ

竜野駅〜黍田富士〜亀岩展望台〜黒屎池〜天下台山〜とんび岩〜相生駅


黍田富士と天下台をつなぐルート

兵庫県相生市を代表する山はどこかと問われたら、私は天下台山(321.4m)と答えるだろう。市街地に近く頂上まで遊歩道が整備され、誰でも気軽に散歩がてらに登ることができ、そして頂上からは遮るもののない360度全開の眺望を得ることができる山だ。ただし、相生市の最高峰は市北部の三濃山(508.6m)で、赤穂郡上郡町の最高峰でもある。

その天下台山の東側、たつの市揖保川町に黍田富士(166m)と呼ばれる、北側から見ると富士山のミニチュアのような整った形をした山がある。黍田富士を含む山上にはたくさんの古墳が点在し遊歩道「ヤッホのこみち」が整備され、天下台山と同じく地元の方々の散歩道となっている。そして眺望も素晴らしい山だ。

そして、この二つの山を結ぶ道が存在する。

山行概念図(2万5千分の1地形図 相生、網干)

もっと分かりやすい地図がとんび岩通信天下台山から黍田富士へに山行記とともにある。

また、今回の山歩きはとんび岩通信とともに、山であそぼっヤッホの森〜天下台東尾根と、Mountain&Cycling展望良しMTB良し気候良し ヤッホの森から天下台山東尾根を参考にしている。


7年ぶり二度目の黍田富士

黍田富士(向山)一帯は「“ひょうご豊かな森づくり構想”に基づく里山林整備事業」により「ヤッホのこみち」として整備され、来場者専用の駐車場まで設けられている。そして下山予定地、天下台山の岩屋谷公園にも無料駐車場があり、そこへ自転車をデポしておけば一人でも周回することは可能だ。

だが自分の遊びのために車を走らせ、化石燃料を消費して温室効果ガスを排出し、地球温暖化を促進する行為など今の私にはできない。自然を愛するハイカーならローインパクトな山歩きを心がけているとは思うが、行き帰りに自家用車を使うようでは本末転倒もはなはだしい。という私も、公共交通機関の利用が不可能な山域へ行く場合や、単に楽したいだけで車を使うときも少なからずあるのは事実だ。

今日の山行の開始地である竜野駅(開業1889年)は、姫路駅から山陽本線で西へ四つ目の駅だ。この駅は平成の大合併以前は兵庫県揖保郡揖保川町にあったのに、隣接する龍野市の名前が付けられていた。おまけに姫路駅から姫新線で四つ目に本竜野駅(開業1931年)があり、合併後はどちらも「たつの市」になったが、紛らわしい駅名はそのまま残されてしまった。

7:58
竜野駅前ジェニオ広場には彫刻家新谷e紀(1937〜2006)の作品が一つある。野外彫刻偏愛者の私にとっては、これを見るのが今日の唯一の目的であって、後の山登りは付け足しにしか過ぎない。ただ、平成10年12月に設置してからブロンズ像の手入れは全くなされていないように見えたのが悲しかった。

JR山陽本線の竜野駅から歩き始める

8:08
竜野駅から西へ進み、右手に踏み切りが見える交差点を左に曲がり南へと進むと、揖保川支流の馬路川にかかる鳥井元橋を渡る。正面には標高166mの向山、別名黍田(きびた)富士が聳え、目をこらすと頂上に展望台らしきものが見える。

馬路川鳥井元橋からの優美な黍田富士の姿

8:20
山陽新幹線高架の先のT字路を西へしばらく進むと、左手に小学校の校舎が見えてくる。たつの市立神部小学校で、その向かいにヤッホのこみち来場車用駐車場があり、黍田富士への登り口は小学校横の脇道を入った奥にある。

たつの市立神部小学校

8:24
ヤッホのこみち拠点施設のどんぐり広場には、遊具が少しとログハウスが一軒そして移築した古墳が一墓あるが、トイレはない。あと、水道設備の存在は確かめていない。

ヤッホのこみち どんぐり広場

ヤッホのこみち案内図

黍田富士や亀岩展望台などから眺める揖保川の流れと町並み。歩道上に点々と見られる太古の人々の生きた証の古墳。谷のずっと奥に突然現れる花咲く湿地。これらがみんなこの里山の大きな魅力です。登っていくのに少し骨が折れる場所もありますが、そんなものを全て吹き飛ばしてくれる出会いが待っています。
また、この山を通して周辺の集落や、神部小学校、河内小学校のみんなが出会える山です。
尾根からまっすぐ黍田富士に登る道は健脚向きですが、そのほかはだれでも登っていけます。がんばって山での出会いを探しに行きましょう。


たきび、たばこの吸い殻やゴミの投げ捨てはやめましょう。
樹木などを大切にしましょう。

【”ひょうご豊かな森作り構想”に基づく里山林整備事業】
この区域は、地域の皆さん方のご協力のもと、景観や多様な動植物を保全し、保健や森林学習の場に活用するため、県内の林地を開発した方々の協力金により、森林の整備や歩道の開設などを行いました。

平成11年3月 兵庫県・揖保川町・(社)兵庫県森と緑の公社

「ヤッホのこみち案内図」に加えて「ヤッホの森遺跡案内板」も立っている。ここでいう遺跡は古墳のことで、山中には60箇所も存在するという。


健脚コースで黍田富士頂上へ

8:28
どんぐり広場から黍田富士頂上へは二通りのルートがあるが、行った道を引き返すのは私の性分に合わない。従って一直線に尾根を登り頂上を目指す健脚ルートしか選びようがない。別に私の足が健脚ではないが、7年前と同じルートを取ったことに気付いたのは帰宅後で、健忘症なのは間違いない。

その健脚コースの登り口だが、明確な道標はないように見えた。どんぐり広場から引き返すように擁壁の上の道を行くのが健脚コースへの導入路だ。

健脚コース登り口

8:32
尾根の突端はえてして急な場合が多いが、この黍田富士も例外ではない。でも最初の急な岩の多い部分をクリアーすれば、その後は写真のような美しい楽しい尾根登りが待っている。

絵に描いた尾根道のお手本のような道だ

8:36
この健脚ルート以外(私の歩いた道は一部だけだが)の「ヤッホのこみち」は全て丸太階段の遊歩道になっているが、この健脚ルートだけは山道の様相を残すべく周辺の下草を刈り込むぐらいで過剰な整備は行われていない。そんな風に私の目に映ったが、本当はどうなのだろうか。

健脚コースらしからぬ
緩やかな尾根道が続く

8:42
行く手が明るくなりもう頂上かと一瞬思ったが、いくら標高が166mしかないとはいえ幾らなんでも早すぎる。絶対に頂上ではないな、騙されないぞと登っていく。

頂上はもっと先のはずだ

8:45
思った通りというか、地形図を見れば一目瞭然(でもないな)なことだが西側から登る健脚コースは、黍田富士の肩とも言うべき東西に延びた小ピークを越えて、さらに登らなければならない。ここからは間違いなしの頂上が見えているので、いくら低山といえども心理的にも余裕のよっちゃんだ。

黍田富士の頂上が目前に迫ってきた

8:54
頂上直下の急斜面で、近所の人なのか身軽な格好のハイカーとすれ違い、そして頂上に到着。

黍田富士頂上に着いた

頂上には二層式の展望台があり、上層からでも下層からでも同じような、素晴らしい展望が得られる。山裾を頻繁に走り抜ける新幹線、緩やかに流れる揖保川、田畑の残る町並み、そして的場山などの山並み。北側だけに限られてしまうが、黍田富士頂上からの眺めは特筆に価するものだ。

不思議なのは、このヤッホのこみちが開設されてから大分経つのに、よその里山にありがちな登山記名簿入れや雑多なものが頂上に全くないことだ。この山でも毎日登山をしている地元の人は多いと思うが、このさっぱりとした頂上風景も特筆に価する。
頂上の展望台

暑くなりそうなのでジャケットを脱ぎ、「幸せの鐘」を鳴らしてから次なる目的地「亀岩展望台」を目指す。でも展望台といい、幸せの鐘といい、落書きで埋め尽くされているのは困ったものだ。

幸せの鐘

幸せの鐘

鐘の音にのせて幸せを祈りあなたの願いをとどけましょう

平成12年4月 揖保川町



見晴らしの道で亀岩展望台へ

古墳の石組みが崩れた跡なのか、はたまたただ岩が集まっているだけなのか私には判断しかねるが、もう4つもの古墳が現われた。私のイメージする古墳は、こんもりと盛り上がった墳丘に、玄室に続く羨道が開いているというステレオタイプなもので、「本当に古墳なの」というものばかりだ。で次なる目的地は、南に一つ山を越した亀岩展望台と呼ばれる、飛鳥の石舞台古墳のミニチュア版みたいな可愛らしい古墳だ。

9:12
黍田富士頂上南側斜面を右に行ったり左へ行ったりうねうねと下る階段道は、案内書の表紙になっていて知っている人も多いだろう。そのうねうね階段道がぶつ切りにしてしまったが直登する古道も存在し、何でこんな詰まらない階段道を通してしまったのか残念でならない。

でも三百歩ほど譲って、誰もが気軽に安全に山歩きを楽しめる遊歩道があるのも悪くはないと思う。

ここが有名なうねうね階段道だ

9:16
下草が刈られすっきりとした遊歩道周辺の風景は、かつての薪炭林としての里山風景を再現していると思う。ちょっと木がひょろひょろなのは貧弱な地味のせいだろうが、この心地よい景色を維持し続ける努力は凄い。

昔はどの山にもこのような風景があったんだろうな

9:17
山頂南の鞍部で、どんぐり広場からの谷道ルートが登ってきた。ここにも鐘があり鳴らすが、鐘と鎖だけでジャラジャラするばかりでよい音が出ない。公設道標が立ち、どんぐり広場まで500m、黍田富士山頂は250m、亀岩展望台へは960mとあり、黍田富士頂上と亀岩展望台の間のよく整備された遊歩道の名前は「見晴らしの道」となっている。

右はどんぐり広場へ下る谷道

アカマツ林について(アカマツ−モチツツジ群集)

この地域のアカマツ林は、植物社会学的にアカマツ−モチツツジ群集に区分されています。
アカマツ−モチツツジ群集は兵庫県では瀬戸内海に広く見られるアカマツ林で、この地域の代表的な里山林です。
アカマツ林は主に土壌の乾燥した場所にみられる林ですが、ここでは全山に広く分布しています。
このことは、この場所が全体的に比較的乾燥していることをあらわしていると考えられます。土壌の調査でもこの地域の土壌が薄くて乾燥しやすいことが確認されています。
また、この地域のアカマツ林は2つのタイプに分けられました。ここから、黍田富士に登っていくと、すぐにアカマツの背が低くなって行くのがわかると思います。この背が低いアカマツ林は、さらに土壌条件の良くない場所に生えるタイプの林で、背の高いアカマツ林には見られない、ススキやアリノトウグサ等といった明るい場所に生える植物が生育しているのが特徴です。

9:20
亀岩展望台手前の201m標高点ピークへの急斜面は、斜めに通された緩やかな階段道を延々と登っていく。

亀岩展望台を目指し登り始める

9:29
北向き斜面で明るさはないが、眺めはまあまあで、黍田富士南側のうねうね道もよく見える。自分の歩幅に合わないなどと階段道を嫌うハイカーが多いが、階段道ほど登り下りのしやすい道はなく私は大好きだ。

201m標高点への階段道を登る

9:33
長かった階段道がようやく終わった。こんなよい天気なのに、ここまでで出会ったのは一人だけと少々寂しく、この先は天下台山まで誰にも会わないだろうし、どんなに待っても誰も通りかからないだろうし、何でもない平場でも気を抜かずに慎重に歩かねばとの思いを強くした。

揖保川町の町並みとお別れだ

9:38
201m標高点かな、岩ごろごろを「山津屋古墳群 1号墳 (6世紀後葉) 主体部は両袖型の石室と思われる。 揖保川町教育委員会」としているが、本当に古墳なのかなという感じ。

山津屋古墳群 1号墳

9:41
平坦な山上には古墳が点在しまるで墓地公園の様相だが、案内板がなければどれも岩の集まりにか見えない。このような低い山だからといって、ここに墳墓を造ることのできたのはかなりの権力者だった人達に違いなく、そんな人達の墓でも千年以上が経ち、もう祖先の霊を慰めるために登ってくる縁者もなく、どれも無縁仏となっている。

古墳群の間を行く遊歩道

9:47
「金剛山古墳群 20号墳 (6世紀後葉) 横穴式石室の奥壁側から内部に入ることができる。 揖保川町教育委員会」と、本来の羨道側ではなく石室の奥に開いた穴から、盗掘者のように入ることができる古墳だ。

とりあえず中に入ってみるが、目ぼしいものどころかゴミの一つもない狭い石室は暗くがらんとしている。東隣の山の権現山古墳群51号墳からは5面もの三角縁神獣鏡が平成元年の発掘調査で出土しているが、この山の古墳群も片っ端から掘りまくったらもっと凄いものが出るに違いない。

金剛山古墳群 20号墳

横穴古墳

この大きな盛り上がりは「横穴式石室をもつ古墳」で、昔の人のお墓です。6世紀末(今から1000年以上前)に作られたものと考えられ、ここに埋葬されているのは河内地区の人あるいは家族だったのでしょう。
このお墓はまるで土が盛り上がったように見えますが、石を積んでできた石室で、この中は空洞になっています。歩道の側から見えるのはお墓の後ろ側です。また、このように小高い場所にお墓を作ったのは、死後も自分の住んでいた地区を見守り、またその子孫たちの活躍を見れるようにといった気持ちから作られたのでしょうか。古墳の上に大きな樹木が生え、歴史を感じさせます。
ここの里山の各主要地点への分岐点にも位置しています。
貴重な史跡です、壊さないように大事に見学しましょう。

9:50
この20号墳で、亀岩展望台への道から東の193.5m三角点への道が分かれていて、その名を「出愛の道」という。神部小学校と山を挟んだ河内小学校を結ぶ道なので、両小学校児童同士の偶発的遭遇時には紛争を起こさずに友好的態度を示しなさいという思いが込められている、と私は理解している。

道標は河内小学校河内っ子ワールドまで1.370m、亀岩展望台まではあと260mとなっている。

右は「出愛の道」

9:54
古墳こそなくなるが亀岩展望台への道周辺はよく整備され、見通しのよい林が広がる。但し下草が刈られ整備されているのは西側の平坦な部分だけで、東側の急傾斜地側は手付かずのままという、そのアンバランスさが可笑しい。

継続的な手入れが行われている林が広がる

9:56
亀岩展望台手前はほんの少しだけ登り坂になっている。でも数分おきに写真を撮りながらだと遅々として進まず、このままでは今日中に天下台山まで行けるのか心配になってきた。

もうすぐ亀岩展望台だ

9:58
ようやく亀岩展望台に到着。ここにある鐘はなかなかとよい音を響かせて鳴った。でもこの鐘を鳴らす行為にどのような意味が隠されているのかは謎だ。

亀岩展望台の鐘をキンコンカン

「金剛山古墳群 21号墳 (7世紀中葉) 2段築式の方墳と思われる。天井石が露出している。 揖保川町教育委員会」がある「亀岩展望台」、古墳が展望台なわけはなく、石組みに乗らずとも南側の御津山脈・石見坂を通して播磨灘に浮かぶ島々を遠望することができる。

金剛山古墳群 21号墳でシェー

亀岩

この奇妙な組み合わせの岩も、古墳です。遠くから見ると亀の格好に見えるため「亀岩」と呼ばれています。この巨岩は横穴式石室の天井石で、7世紀前半につくられたものと考えられています。いったい昔の人はこんな重い岩をどうやって、今のような形に組み上げたのでしょうか。
ここでは、この里山の中でも瀬戸内海の方向を見渡せる絶好のポイントになっています。目の前には河内地区が、その向こうには瀬戸の海と家島群島が見渡せ、空気が澄んだ日には明石大橋も見ることができます。なぜ亀岩古墳がここに作られたのかわかる気がします。

ここ亀岩展望台がヤッホのこみちの最南端で、7年前には「どんぐり広場」へと谷道を北へ下る周回路が続いているだけだった。それが今は、ここから黒屎池を経由して天下台山へと続くルートが始まっている。



黍田富士から天下台山へ(2)へ進む。



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