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北山からは白鳥城は見えませんでした



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平成21年3月15日(日)  メンバー おひとりさま

大國玉神社〜北山(138.7m)〜太陽公園の前を通り〜白鳥台三丁目バス停



太陽公園の白鳥城(平成21年4月19日オープン予定)

姫路市打越にあるテーマパークでありアミューズメントパークの太陽公園近くの岩崎山に白鳥城が完成し、周囲の山々からはどのように見えるかを知りたくなり、これまで2回行ってきた。そして今回は北側の138.7m四等三角点のある北山に登ってみた。結果は、木々に視界を遮られさっぱりだった。

この山は以前から登らなくてはと思っていたものだが、今回のような動機付けがなければ私でも足を運ぶことはなかっただろう。なお、山名は北山1号墳から3号墳という名前の古墳があるので、北山にほぼ間違いないと思うが、地元の人に聞き取り調査はしていない。

山行概念図(2万5千分の1地形図:姫路北部)


大國玉神社から登る北山

10:48
姫路駅前発の緑台行き神姫バスを神社前バス停で下車(姫路駅前から33分、460円)。太陽公園へ行くのなら次の打越新田バス停が近い。

神社前バス停で下車

神社前バス停の前が大國玉神社で、「登山口は神社の裏」の法則から絶対にここから登山道が始まっているに違いない。航空写真からも明確な道が尾根に続いているのが認められる。

登山口を探す前に神社の沿革を読むと場所を変えたり、祭神を変えたり、名前を変えたりと、なんとも伝統なるものを軽視しその時代の流行を追う変化を好む神社だ。

大國玉神社

大國玉神社の沿革

当社の起源は、江戸時代の地誌「播磨鑑」に天文11年(1542)河内国より白鳥明神を白鳥池のほとりに勧請したとあります。
のち大年神を併せ祀り白鳥を大公と改め大公若王子両社大明神と改めました。
天和3年(1683)現在地に社殿を造り遷座しましたが、嘉永3年(1850)に社殿を改築したことが「氏宮普請入用帳」によってわかり、また瓦のへら書きからもわかります。
明治初年に伊和神社より大己貴神(大國主神)を勧進し、大國玉神社と改称しました。
当社は、天和3年に造立したこけら葺きの社殿と「奉造立王子大公両社大明神」の木札、鋳物製の狛犬、天和2年の一対の絵馬など、祖先が残した文化財を大切に保存しています。
このたび本殿は、主神大國主神にちなんで古代様式に則った大社造りに改築しました。
拝殿は旧来どおり入母屋造り割り拝殿に改築しました。

  平成13年9月吉日

打越自治会  
毛野自治会  

10:56
予想どうりに、社殿右奥の石碑や石灯籠の裏から山道が始まっているのを見つけた。あまりにも予定調和すぎて薄気味悪ささえ感じさせる始まりかたで、何かよからぬ結末を迎えるのではと心配になってきた。

北山登山口は社殿右奥の石碑の後

10:58
まずまずの道で、このまま野を越え山を越えて北に突き進めば伊勢山(353.0m)から大堤峠までへも行けるだろうが、今日は絶対にだめだ。年々花粉症が悪化し、そんな無謀なことをしたら、取り返しのつかないことになるに違いない。

ぼちぼちの道があった

11:02
尾根の東側は崖となっていて、ニホンミツバチの巣箱が数箇所に置かれている。ここまでの道は、この巣箱への行き来のために存在しているとしたら、この上はどうなっているのか心配になってきた。

ニホンミチバチの巣箱

11:06
コシダと雑木の尾根は、その昔は道があったと思われるが、今は通う人もない。つまり道らしいものも踏み跡もなく、そんなに急な登りでもないのに一歩一歩がきつい。

平地を準備運動代わりに歩くこともなく、バスを降りていきなり登り始めたこともあるが、一番の原因はスギ花粉病で頭がいつもにも増してボーッとしているためだ。どうやら足というか体は勝手に動いてくれるものではなく、五感から得た情報を脳が情報処理をして、そして神経を通じて筋肉の伸縮を適切に制御しするものらしい。つまり頭がボーッとしていては、山登りは難しい。

道はあるような、ないような

11:13
尾根の切開きは広く、足元のコシダとふんわりと積もった落ち葉が少々わずらわしいだけで藪漕ぎ状態にはならない。

白鳥城を見るために登っているのだが、切開きのある尾根の向きは白鳥城からそれていて、全く見えない。

道は消えてしまった

もうすぐツツジの花も咲き始めるだろうが、今の時期はアセビの白い地味な花しか咲いていない。冬枯れの山の中で、一番に咲き始めるという美味しいポジションを占めているにもかかわらず、華やかさがないアセビを愛でるハイカーは少ない。

みな流行のスプリン・エフェメラルばかりを追い求め、アセビの可憐さに気付くような繊細さを持つのは私だけだ。

可憐なアセビの花

11:25
振り返ると低山なりの眺めが得られるが、登り難き尾根を登るのが精一杯でその余裕がない。、なぜか、この辺の木々は途中から伐られたものが多く、もうすぐアンテナ施設があるのかもしれない。

エッチラオッチラ


北山の山上風景

11:27
地形図の「電波塔」印に着いたが、かなり以前に解体された様子で、廃材が放置され困ったことになっている。近くの山のはNHKの施設だったので、ここもそうだったのだろうが、この有様は天下のNHKとしては情けない。でも鉄塔部材だけは他に流用したのか見当たらない。

木々に囲まれて眺望は得られず、白鳥城も枝葉越しになんとなく見えるだけで、鉄塔が残っていたら展望台に使えただろうに残念だ。

たぶんテレビ中継所跡

11:29
北山の肩にあたる廃テレビ中継所からは、今回の山行きのハイライト部分が始まる。大國玉神社からここまでの道なき道から一変して、138.7m三角点標石がある北山の頂上へ快適なスカイライン歩きが楽しめるのだ。

広い雑木林の尾根を行く

11:31
左右の雑木林で視界は遮られているが、明るい緩やかな尾根道が続き、至福の時が過ぎていく。この広々とした切り開きは人の手によるものだろうが、伐った跡に何も手を加えなかったことが功を奏し、私の好きな雰囲気になっている。

コシダと雑木のコラボレーションが織り成す
妙なる音楽が聞こえてきそうな尾根だ

11:36
ふと横を見ると、5mほど離れて別の道が平行している。どこから来た道なのか確かめると、手前で気付かぬうちに別れた道で、麓から登ってきているわけではなかった。

快適な切開きが続く尾根

11:37
航空写真に写っている東からの九十九な道が合流してきた。このまま三角点標石から北の峠へ下る予定で、無理だったら引き返してこの道を下るのも計画に織り込んでいるが、実に快適そうな道で何の問題もなく麓まで下れそうだ。

東からの九十九道が登ってきた

11:39
東山麓からの道と合流して直ぐに。138.7m四等三角点標石(点名:打越)に着いた。8割ほどは視界が塞がれ、南東方向が少し見えるだけの小広い平地になっている。三角点標石はコシダに隠されていたが標柱が見えていたのですぐに分かった。

展望不良な北山の頂上
三角点標石はコシダの下

こんなマイナーな山に登る人はいないはずだが、登頂記念プレートが1枚だけあった。

MTB登山 大柿

加古郡播磨町吉田3-3-13
TEL0794-35-2353
'02.1.27.14:00
伊セ山より至る
朝しぐれていたが
晴れている。つかれた!!

苦情の持って行きようのある、住所も電話番号も書かれた困ったゴミだ。まあこれによって、ここから伊勢山へ行けるのが分かったから、まあ生ゴミぐらいかな。

展望はないが、もうこれ以上お昼ご飯に適したところはこの先にはないだろう。今日はローソンの「新発売 脂がのった 焼鯖寿司 じっくりと焼き上げた鯖を棒寿司に仕立てました。 450円(税込)」で、三角点標石の上に載せて写真を撮ってみた。

これは出掛けに近所のローソンで買ったものだが、店前で野歩記掲示板に何度か投稿して頂いている方に「松本さん」と声を掛けられた。山の中では度々のことで慣れてきたが、街中では二度目のことで驚いたが、とても嬉しかった。でも、できれば「松本さん」よりも「のあるきさん」の方が、油断しているときでも、声を掛けて頂いた意図がすぐに分かるのでありがたい。

お昼ごはんはローソンの焼鯖寿司


北の峠へ強行下山

12:06
山頂から北にも切開きが続き、明確な踏み跡も延びている。これなら楽勝に峠まで下れそうだが、航空写真からは道らしきものが見えないのが心配だ。

北山頂上から北へ切開きが続き
きわめて明確な踏み跡が延びている

12:08
快適な尾根の散歩道は少しの間だけで、踏み跡は次第に狭まり、行く手には切開きが存在しないように見える。でも、まだ大丈夫だ。

なんか切開きがなくなるような

12:12
丁寧に辿ってきた踏み跡だったが、斜面に入ると不明確になり、そしてあっけなく消えてしまった。これまでの経験では斜面では、歩くルートが一定しないのか、降雨によって薄れてしまうのか、踏み跡が消えてしまうのはありふれたことなので、それはかまわない。

この鬱蒼とした、そして急な茂みが数百メートルも続くなら引き返すしかないが、、あと50mも下れば峠へ着くはずだ。一歩一歩を慎重に下ろう。

12:20
雑木林が植林に変わってしまった。頭上からは目には見えない花粉が降り注いでいるにに違いない。

でも、間伐が行われていない植林は、幹につかまりながら下るには適度な密度で、雑木林のように枝葉に遮られることもなく簡単に下ることができる。

峠まで後どれくらいかな

12:30
20分ほどの苦闘の末、峠から東に外れた地点に下り立った。ひょろひょろの植林の中の平地には、東西に延びる明確な道が通っている。でも、利用されている形跡はない。

峠の東側に着いた


太陽公園、白鳥城へ

まずは東側がどこに抜けるのか見に行き、その後引き返して峠を越えて太陽公園・白鳥城へと足を運びことにする。

12:33
北側の谷間からの流れが溢れジュクジュクになった道を数分も行くと、田畑の縁にでた。ふーん、ここか。

峠道の東側

10:42
南北の山から下る道か踏み跡か、その痕跡でもないかと注意深く引き返すも、下山地点を過ぎて低い峠に着いたが、何もなかった。

北側の伊勢山方向は、緩くはないが登れないほど急でもなく、適当に植林の間を登って行けば、過去に確認済みの稜線の踏み跡《平成15年10月の姫路市大回り、その9(伊勢山)》が待っているものと思う。

峠の北側、伊勢山方向

南側の北山方向は、下ってきた斜面よりも大分緩やかで、次に登り下りする機会があれば(絶対にないと思う)ここしかないな。

峠の南側、北山方向

12:45
西へ峠を越えると、残念なことに建築廃材などのゴミ捨て場になっていた。その量は少なく新しそうなものもなく、今はもう悪しき習慣は廃れている。

峠の西側には建築廃材が捨てられている

12:47
こんなところに車がと、近づくと朽ち果てようとしている軽トラックだった。1969年から1989年まで20年間もモデルチェンジされることなくマツダが生産し続けたニューポーターキャブの前期型で、そんなに古い形式のものではない。かのコスモスポーツと同年代だが、この軽トラにはロータリーエンジンは積まれていない。

マツダニューポーターキャブ前期型

12:54
ここまで書いてきてふと思ったのだが、この山行記録を参考にして同じコースを歩く人など絶対にいるわけがない。展望もない登るのも下るのも辛い北山に、私はもう二度と登らない。まあ、せめて四等三角点ハンターの道標になれたら幸いだ。

途中省略し、出たのは打越新池の畔だった。

打越新池の東湖畔の地道に出た

13:14
白鳥城の写真を撮りつつ太陽公園前に着いたが、駐車場は一杯だし入園者も多い。現在の太陽公園のみの入園料は500円だが、白鳥城が4月19日(日)にオープンすると両施設共通+岩崎山登山モノレール代込みで一気に1,300円にアップしてしまう。そうなる前の駆け込み入園なのか、それとも太陽公園の人気がじわじわとアップしてきたためだろうか。

すでに各地からの太陽公園・白鳥城を目指すバスツアーが組まれているし、白鳥城がオープンしたら、周辺の道路は狭さと、駐車場の狭さ(姫路市内の大規模ショッピングセンターでは当たり前の数千台規模からみたら小さすぎる)の相乗効果でどのような混雑渋滞を引き起こすのか、楽しみのような恐ろしいような。

兵馬俑と石灯篭と狛犬と凱旋門が出迎える太陽公園

13:18
太陽公園の西側に東洋大姫路高校野球部のグランドと合宿所がある。プロ野球も高校野球も全く興味がない私にとっては、どこが勝とうが負けようが関係のないことで、ひいきのチームの勝ち負けを自分のことのように一喜一憂し、心の平安を乱している人は可哀想としかいえない。

東洋大姫路高校野球部グランド

以下は白鳥台三丁目バス停に向かいながら撮影した白鳥城。うーん、4月19日(日)のオープンが待ち遠しい。









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