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五月五日は五助山の日



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平成21年5月5日(火)  メンバー おひとりさま

エクセル東バス停〜住吉道〜五助山〜六甲ガーデンテラス〜六甲ケーブル山上駅



ゴールデンウィーク最終日となる5月5日の、元来は女性の節句だったのが、鎌倉時代に語呂合わせで男の子の節句とされてしまった、わけの分からなさでは山中の無様なマーキングと引けをとらない端午の節句に、表六甲の五助山に登らなければ六甲山狂の仲間入りができないと聞き、危ぶまれる天候だったが万難を排しなんとか登ってきた。これで私も名実共に六甲山狂となることができたと思うと、とてもうれしい。

「5月6日も休みだよ」って、4月29日の「天皇誕生日」が「みどりの日」から「昭和の日」になって、追い出された「みどりの日」が5月4日に移って、今年は5月3日の「憲法記念日」が日曜なので、変わりに5月6日が「振り替え休日」になったのか。この調子で行くと、100年後には1年中が休みになってそうだな。

閑話休題、五助山は西山谷のように少なからぬ確立で滑落し命を持って行かれることはないが、道迷い遭難が何度も起きている魔の山域だ。私は五助山を登るのは今回で二度目(2年前の2月に登った、一度目の山行記録はこちら)なので迷うほうが難しいが、いつもメジャーコースばかり歩いている、そして事前にルート情報を収集しようともしない、地形図もコンパスも持たずに自分の歩いている位置を確認しようともしない、おまけに超うっかり屋さんの迷う気満々のハイカーならば、三ケ所ほどこれはというところがある。

でも、そんな迷いやすいポイントは五助山に限らずメジャールート以外なら数限りなくあり、なぜ五助山での道迷いが遭難までに至ってしまうのか、おそらく通るハイカーも稀な砂防堰堤が行く手を阻む東西の谷に引き込まれてしまうからだろう。でも尾根歩きをするはずが、いくら迷ったとはいえ谷まで下ってしまうのが理解できない。

でも一番の原因は、私のような、なんちゃってハイカーがいとも容易くお気楽に登ったように見せかけて、本当は必死のパッチでかろうじて登りきった山行記録を真に受けてしまう事かもしれない。

山行概念図(2万5千分の1地形図:西宮、宝塚)

今回の五助山山行は前回と全く同じに、JR住吉駅から「ハイカーの友 くるくるバス」で山際まで上げてもらい、住吉道を五助堰堤の先で別れ、五助尾根名物「ないふりっじ」を通り五助山へ、その後は深いササの海を泳いで六甲ガーデンテラスへ這い上がるというもので、全く目新しいものはない。


いつもの「住吉台くるくるバス」で

JR住吉駅南側の駅前広場で何時間待ってもバスはやってこない。タクシー乗り場があるので、お大尽様は「住吉台の住吉道入口まで」と乗り込む手もある。でも、私みたいな庶民にも手が届かない者は、さらに南の国道2号線まで出てバスに乗るしかない。もし200円のバス代さえ出すのが惜しければ歩くしかない。

国道2号線に出ると、渦森台行きの神戸市バスのバス停もあるが、住吉道へ行くならば一番西側にバス停がある「住吉台くるくるバス」が便利だ。平日なら15分おき、休日でも20分おきにバスがやってきて、料金200円は前払いだ。

JR住吉駅南の国道2号線の
「住吉台くるくるバス」バス停

渦森台の大通りばかりを走る神戸市バスと違い、住吉台の狭い道に入るくるくるバスは小さい。でもノンステップ車なので天井は手が届かないほど高い。私以外の唯一の乗客だったお兄ちゃんが降りたあと、後のエンジンの上の眺めのよい席から車内を撮ってみる。

基調はグレーだが、シートの青、手すりのオレンジ、ボタンの黄色と地味のような派手のような、取り留めのないカラーコーディネイトがいかしている。

くるくるバス車内


エクセル東から住吉道へ

9:19
この右奥に高級眺望マンション・エクセル住吉台が建っているので、終点のバス停の名前は「エクセル東」。すでに標高は260mほどもあり、ここからの眺めは素晴らしい。

くるくるバスは道の反対側で乗客を降ろしてから、東向きに方向転換し、次の発車に備えるわけで、バスから降りて歩き始めるように見える下の写真には、大幅な演出が加味されている。このことは私のHPの全ての写真にも言える事で、どのような演技ややらせが行われているかも知れず注意が必要だ。

終点のエクセル東から歩き始める

9:22
エクセル東バス停から東へ戻り、突き当りで北を向くと「住吉道」の入口が見えている。まあ本来の住吉道は、明治7年に大阪・神戸間に鉄道が通じて住吉駅が開業し有馬温泉へのメインルートになったのが始まりで、この辺りではもっと東の住吉川沿いを通っている。したがって、見えるのは「住吉道へ通じる」道の入口かな。

バスを降りたらすぐに住吉道登山口

9:27
すぐに、本当の住吉道が合流してきた。公設案内柱には「←五助ダム・六甲最高峰 ↑住吉・御影(住吉道) 住吉台団地→」とあり、初めてここへ下りてきたハイカーなら、迷うことなく狭い急な下りの住吉道へ入ることだろう。

公設標柱の脇には、次の私設のくるくるバスへの案内が立ち、バスの時刻表も掲示されている。公共交通機関が長い間通じていなかった、そして高齢化の進む住吉台の住人が「くるくるバス」を応援するために立てたものだ。一度目は住吉道を下り、二度目からは「くるくるバス」を利用する事を勧める。

冗談みたいな名前で、胡散臭いと思うが大丈夫
私も最初はそう思い住吉道を下ってしまった

9:31
有馬温泉へのメインストリートだった住吉道は、明治32年に阪鶴鉄道(現在の福知山線)が開業し客を奪われ、昭和13年の阪神大水害で壊滅的被害を受けた。昭和48年からハイキング道として修復されたが、六甲山最高峰を目指すハイカーの大部分は『阪急芦屋川駅〜芦屋ロックガーデン〜魚屋道』を選び、住吉道はいつ来ても静かだ。

いつも静かな住吉道

9:37
左は「石切道から六甲ガーデンテラス」、右は「打越山・横池から魚屋道」の十字路だ。石切道は一度だけ下り、打越山方向は未だ足を踏み入れたことがない。正面の小山は黒五山と呼ばれているが、五助山との関連はあるのだろうか。

石切道・打越山分岐
住吉道は直進

9:43
昭和13年阪神大水害の後で造られ、昭和42年水害(1日当たりの雨量や1時間当たりの最高雨量は阪神大水害を上回った)の被害を食い止めた「五助堰堤」(高さ30m、長さ78m、総和32年3月完成)が現われた。落水量はそれほどでもなく、これなら五助尾根始まりの渡渉で靴を濡らさずにすみそうだ。

五助堰堤

五助砂防堰堤(ダム)

 六甲山系は、武庫川右岸の山麓から六甲山、摩耶山、再度山などの山並みを連ねて、東西に約30km南北に10kmの地域で、大部分は花崗岩で形成されているが、風化が進んで崩壊しやすい状況となっている。
 昭和13年7月5日に発生した阪神大水害は、下流の神戸市、芦屋市。西宮市の市街地一帯を泥海に変え土石流で埋めた。
 当時の惨状は、谷崎潤一郎の名作「細雪」にも描写され、また、住吉川の川沿いには、流失した巨大な転石で建立された、水害記念碑によって語り継がれている。 六甲山系の直轄砂防事業は、この阪神大水害を契機に始まり、現在までに住吉川流域では45基の砂防ダムが建設されている。
 なかでも、この五助ダムは、六甲山(標高931.3m)を源とする住吉川と、支流五助谷とが合流する位置に、8年7ケ月の長年月をかけて昭和32年3月に完成した、高さ30m、計画貯砂量374千立方mの、六甲山系では最大級の重力式砂防ダムである。
 昭和42年7月に発生した豪雨に際して、上流からの流出土砂12万立方mを、一挙に貯留してくい止め砂防ダムの効果を遺憾なく発揮して、下流沿川の災害を未然に防いだのである。
 花崗岩の割石を美しく積み上げて、水通しからきれいな水が流おちるようすは、周囲の風景によく溶け込み、四季を通じてハイカーの憩いの場として親しまれている。

建設省六甲砂防工事々務所

住吉道

表六甲と有馬を結ぶ道としては、魚屋道が一般に利用されていたが、明治7年、東京−神戸間に鉄道が開通し、住吉駅が出来てから有馬への道として、この住吉道が脚光を浴びた。しかし、明治40年に阪鶴鉄道(今の国鉄福知山線)が開通してからは三田駅が有馬の表玄関となり、住吉道は衰徴そ、そのうえ昭和13年の大水害でひどく損壊したが、その後、自然歩道として復活し、今日では数多くのハイカーに親しまれている。

昭和60年8月 神戸市

9:49
9階建てのビルに相当する高さの五助堰堤を越えると、五助谷と住吉谷の流れを木道で一気に左岸側に渡る。木道から鉄パイプ杭が飛び出していて情緒を欠くが、好きなところだ。

木道で流れを渡る

9:50
木道を渡ると、道端に短めな木道が放置されている。かつてはここにも流れがあったのか、はたまた湿地だったのかも知れないが、謎のトマソン木道だ。

誰も渡らない謎のトマソン木道


五助尾根を登り五助山へ

9:51
謎のトマソン木道のすぐ先が五助尾根への取り付きだ。公設の道標や標柱はないが、その昔に五助尾根に取り付くための木道の名残の木杭と丸太が川岸に残っている。木杭には青と黄色のビニールテープが巻かれて目印になっている。

ここが、五助山・五助尾根の一番目の迷いやすいポイントで、気付かないと住吉道を五助尾根への取り付を探して彷徨うことになる。ここ以外にも私の知らない五助尾根への取付は数箇所あるようだが、核心部の「ナイフリッジ」を渡れるのは、ここだけだ。

ここで流れを渡る

小さな不安定な石を並べた飛び石は、わずかに水面から出ているだけで、どうにかこうにか靴を濡らさずに渡ることができた。でも雨上がりにはどうなっているか保証はできない。

9:55
流れを渡り斜面を登ると、意外なことに普通の山道が続いている。ちょっと行くと「土砂崩壊防備保安林」の地図付き案内看板があり、山道はさらに延びている。

この看板が重要

その案内板には手書きで「←迷五助谷 ↑五助山 五助ダム→」と書き加えられている。真っ直ぐ進めば五助谷へ入れるようだが、ここから先には入ったことがなく分からない。

ここが二番目の迷いポイントで、注意力が不足しているうっかり屋さんは真っ直ぐに進んでしまい、五助谷を楽しむことになる。五助尾根・五助山へは案内板で右に曲がる。

案内板の書き込み

9:59
いきなりの核心部だ。五助尾根の先端近くが右を住吉川の流れ、左を五助谷の流れに削り取られて狭くなっていた道が、北側100mほどの近くを東西に通っている五助橋断層が震災の時に動いたのか、狭い尾根の両側が崩れ落ちて20mほどの区間が礫層のナイフリッジになっている。前半は両側に木々が生えていて恐そうでもないが、後半は両側の直下に流れが見えていて高所恐怖症の方には厳しいかもしれない。

震災で崩れた当初の状況は知らないが、少なからぬハイカーが通りすぎたためだろうか、踏みしめられた土のナイフリッジは一応安定しているように見え、2年前との違いは感じられなかった。

ナイフリッジを行く

10:09
ナフリッジへを過ぎて少し、道を塞ぎ六甲ガーデンテラスから下ってきたハイカーを住吉川へ下るように誘導するトラロープが張られている。ナイフリッジを通らない五助尾根なんか、真昼の月食のようなもので味気ない。

トラロープがナイフリッジへ行かせまいとする

10:13
尾根に続く道自体は非常に明瞭なもので、他の六甲山の超マイナーなルートとさほど変わるところはなく、特に問題はない。でも下の写真の道は、まるで私のような恥ずかしがり屋さんなのか写真写りが悪く、普通の山道を歩いているようには見えない。

ちゃんとした道を歩いています

10:15
道端にツツジの花が咲いているが、コバノミツバツツジ、モチツツジ、ヤマツツジのどれでもなく、モチツツジとヤマツツジの雑種のミヤコツツジなのかな。

ミヤコツツジかな

10:16
この五助尾根には公設の道標は皆無だが、「建 境界」の赤黒プラ杭が打たれていてよい目印になっている。一つ一つに「P104」みたいに連番が振られていて、六甲ガーデンテラスに近づくにつれ数字が減っていき、後どれくらいかが分かるようになっている。

ただし、枝尾根や谷筋にも同じプラ杭が打たれている可能性も高く、このプラ杭が続いていたとしても正しいルートを歩いているとは限らない。

道案内の赤黒プラ杭

10:19
前回の五助尾根の記憶は、もっともっとササが茂り、ササの海を溺れるように登ったことしか覚えていないが、ここのは普通のミヤコザサだな。

いつものように数分おきに写真を撮っているが、いつになったら六甲ガーデンテラスに着くのかだろう。計画では「12:00 フードテラスでジンギスカンラーメンを食べる」となっているのだが、こんなんでこの山行記録のタイムスタンプに意味があるのだろうか。

まだ可愛らしいミヤコザサ

10:21
少々ササの背丈が高くなってきたが、まだ腰当りまで。2年前はこのササの葉に雪が残っていて難儀したが、乾いてるササなんか歩く分には空気と大差ない。

ふーん、結構風が吹いていたんだな

10:24
ササのない尾根には広い道が存在し、「六甲山の全ての尾根と谷には道が存在する」仮説がここでも成立している。おそらく禿山になった六甲山の緑を取り戻すための、植林の作業道として使われてきたのだろう。

ササがないところは広い道がある

10:28
単純な尾根ならば、登るに従い支尾根が次々と集約されていき、高い方へと登れば90%は間違いなく目的地へと誘ってくれる。でも真冬に雪が積もり、道も踏み跡も分からない真っ白な世界、おまけにガスがかかり視界が遮られるという最悪な条件で、おまけに下りなら、下の写真のような支尾根と主尾根が合流する地点で、真っ直ぐに突き進み五助谷へ迷い込むこと可能性はある。それでも10歩進んだら普通気付くな。

今の時期なら迷いようがないが

10:32
この五助尾根にはビニールテープのマーキングはほとんど見当たらないが、なぜか赤スプレーが目立つ。2年前に付けられ今も残っている緑スプレーの上にも、赤スプレーが吹きつけられている。最近、芦屋ロックガーデン周辺で無残な赤スプレーマーキングを付けていた犯人が捕まったが、この尾根のも彼なのか、それとも同じく自称善意の塊の別人によるものなのだろうか。

いくら道迷い遭難が多発した尾根だからといって、勝手に無様なマーキングを付ける権利など誰にもない。

2年前の五助山では一人だけ、今日はなんと倍増の二人ものハイカーに出会った。一人はここで、赤いオスプレイケストレルを背負った単独男性ハイカーに『追い越され』た。私の山行形態だと老若男女を問わず追い越すことはなく、常に追い越されるばかりなので、何も感じない。

この赤スプレーマーキング
流行りそうなやな予感がする

10:34
この五助尾根に欠けるものは展望だ。ごく一部から、それも狭い範囲の眺望しか得られない。この外界を知ることができずに、自分の位置を判断することが困難なことも、道迷いを誘引しているのか。でもこの五助尾根で道を違えるようなハイカーは、地形図の読み方もコンパスの使い方も知らない、ただマーキングを辿ることだけに汲々とする私のようなハイカーに違いない。

展望の尾根ではない

10:36
下の写真、撮った本人の私にもなんでもない尾根のようにしか見えない。何らかの撮影動機があったはずなのだが、もう思い出すことは出来ない。

前の写真を撮ってから2分しか経っていないので、休憩代わりではないし、なにかどうしても伝えなければならないことが写真の中にあるはずだ。おそらく「五助尾根にもササのない、どこにでもありそうな普通の尾根もあるよ」ということかも知れない。

五助尾根で一番撮る事が難しい写真
『何も特徴のない普通の尾根』

10:40
一人目のハイカーに出会ってからまだ10分も経っていないのに、二人目と今度はすれ違った。この時間にもう下山しているとは、ハイカーの鑑のような人だ。

ときどき、どうしてセルフポートレイト写真を撮っているのかと聞かれることがある。仮に下の写真に私が写っていなかったら、ただのササが茂った雑木林として認識されるだけだろう。私の底無しの自己顕示欲を満たすためでもあるが、写真に私が写りこむことによって、笹薮の中に道の存在が明確に感じ取られるようになる。さらに撮影に手間隙をかけてコマ送り動画にすると、その場の雰囲気が風の動きさえ感じられるようになる。

撮ることは別に難しくもなく、リモコンで連続してシャッターを切ることが出来るカメラ、またはタイマーリモートコントローラーなどと三脚さえあれば、誰にでも簡単に撮る事ができ、面白い作品に仕上がる。

ほとんどを私が隠しているが、ここにも赤スプレーが立ち木に吹き付けられている。この手前から五助山頂上までの間に、赤スプレー被害が多く見かけられた。

10:45
岩に吹き付けれれた赤スプレー矢印、迷いようもない真っ直ぐに登り下りする急な坂道にもし必要なら「ガンバレ」の文字だろう。事実「ガンバレ」にたびたび出会う山が、播州には数多く存在するが、そんなのも要らない。

緑スプレーの上に赤スプレーが

10:50
どういう人なら、こんな酷いことを良心の呵責なく当たり前のように行えるのだろう。自分では社会的常識をわきまえ、自然を愛する心を人一倍持っていると思っている、どこから見ても極普通のハイカーの仕業なのだろう。

街中に氾濫するの訳の分からない落書き(ヒップホップ・カルチャーにおける“グラフィティ”と呼ばれる、文化でありライフスタイルでありアートでさえあるらしい)以下の、愚劣な行為だ。でも困ったことに、こういった山の中で他人の財産を傷つける、正に犯罪行為といえるものを、有り難がり感謝するハイカーが多いというのも事実のようだ。

こんなHPで私がいくら吼えたところで、スプレー狂には届くことは思えないし、なにかよい方法はないのだろうか。

愚劣なスプレーが続く

10:56
ササの背丈が高くなってきたので写真を撮ってみたが、もう私が写っているだけでは臨場感不足はぬぐえない。風景写真といえども「人が写っていないのは写真ではない」主義を家訓として信奉していたが、「動かないのは写真ではない」主義に宗旨替えしなければならないのだろうか。

ササの背丈が高くなってきた

10:58
「うーん、動画最高」。でも画像一つが1メガバイトを越していて、いまどきダイヤルアップ接続の人はいないと思うが、もしもいたら大変だろうな(実は2%程だが、いたりする)。

六甲山のメジャールートしか歩いたことしかないハイカーの多くは、こんなササだらけの中を歩けるのかと心配する人も多いだろうが、ササの中にはしっかりした道があり、すでに書いたがササは空気のような存在でしかない。

でも播州野歩記にそそのかされて、この五助山や、播州のそれこそ道も何もない山に足を踏み入れた挙句に迷って遭難しても、山登りは自己責任の世界で、自分の分も迷惑をかけた分も最終的には自分で清算しなければならない。

足元には明確な道が続いている

11:01
636.6m四等三角点標石(点名:五介山)のある五助山山頂に着いた。でも山頂というよりも、五助尾根の肩というほうが正しく、山頂らしさは微塵もない。

木々に取り囲まれているが、東側が抜け落ちていて土崖になっている。そこからの展望はまずまずだが、足元を覗き込むとオーバーハングになった崖の上に立っていることに気付き、思わず後ずさりすることになる。

五助山から東の眺め

登頂記念プレートは1枚もなかったが、立ち木に「五助山」と鉈目が入れられ、赤スプレーも吹きかけられている。文字を削り取ることも根元から伐ることもできず、困ったものとしか私には言えない。

鉈目を入れられた立ち木

三角点標石から少し離れてヤマツツジが花を付けている。曇り空の暗い五助山頂上だが、そこだけは花が咲いたように明るくなっていた。あれ、なんか表現がおかしいな。

五助山頂上のヤマツツジ


五助尾根を登り稜雲台へ、あれ六甲ガーデンテラスだったかな

11:14
私は7年前の、平成14年11月24日で営業を終了した「回る十国展望台」があった時代の稜雲台を知らない。初めて登ったときから、もうすでに六甲ガーデンテラスの時代だった。

三度目の五助山がいつになるのか、これが最後になるのかと、別れを惜しみつつ六甲ガーデンテラスを目指し登り始める。いや、曲がりなりにも頂上なので一旦下り、そしてまた登り始める。

11:16
五助山頂上から歩き始めてまだ2分しか経っていない。こんなことをしていては六甲ガーデンテラスが遠のくばかりなのは分かっているし、山行記録も盛り上がりに欠けるままだらだらと長くなり、その結果は詰らないものになるのも目に見えているが、「動かないのは写真じゃない」。

薄いササのの中を行く

11:19
3分後、実際に歩いたのは2分だけで100m位しか進んでいないが、ミヤコザサの中のルートがあまりにも魅力的なので、また「動かないのは写真じゃない」。

もう山登りを楽しんでいるのか、HPのネタ作りに夢中になっているのだか自分でも分からない。こんなことが出来るのも二度目の五助尾根だからで、新鮮味も緊張感も何もなく、もう「熟練者向きコース」を歩いているという自覚は消えうせてしまった。

けれども、この尾根で道迷い遭難が多発したのも事実だ。この五助尾根コースを初めて歩くなら、私以外のもっとしっかりした山行記録を参考にして、迷いやすいポイントを事前にしっかりと把握し、真摯な態度で臨んで欲しい。

ミヤコザサの茂る尾根道

11:26
「うーん、動かないと詰らない」、でもこの写真を撮るためには三脚をセットし構図や自分の立ち位置を決めてと、普通に山登りするようなわけにはいかない。最近、自分撮りを活用した山登りHPが増えてきたが、やってみてその煩わしさが理解できたのではないだろうか。

分岐点でも展望所でもない
なんでもない山行風景を撮る決断するのが
一番難しい

11:28
ここは、尾根を真っ直ぐ下ると五助谷へと迷い込みかねないポイントだ。でも、薄れてはいるが行き過ぎると×印マーキングが立ち木に書かれているので分かるだろうが、下ばかり見て歩いている私のようなハイカーには恐いところだ。

五助山頂上までの何でもないところに、無駄に派手に赤スプレーマーキングを吹き付けてあったが、なぜかここには付けていない。どこが重要なポイントなのか判断できない登山不適格者が、果たして正しいルートだけにマーキングしたのか非常に怪しい。

うっかり真っ直ぐ下ってしまいそう

11:34
前回の五助尾根は、ササが茂りまくっていた印象しか残っていない。思い出すのは、雪を被った頭上を越えるササの中を行く、なんともいえない楽しい山歩きだけだ。

それが今日の五助尾根は、ミヤコザサが林床を覆う美しい雑木林ばかりで、本当に同じ尾根を歩いているのか、もしかしたら違う尾根なのではと思わずにはいられない。

ミヤコザサの茂る六甲山らしさが溢れる尾根だ

11:39
五助尾根最大の迷いポイントにやって来た。もうあまりに有名になりすぎて、ここで迷うのは難しいとは思うが、右手のピークへ明確な迷い道が出来ている。

正しいルートなら登るか下るかで一人当たり1回しか通らないが、迷い道は一人が行って戻り2回通るので、迷い道のほうがより明確な道になるという説があるが、ここはその説が成り立つみたいだ。

右側(東側)の高みに方向へは進まずに、道を通せんぼしている2本の倒木(倒れているがまだ生きているので伐るわけにもいかない)を乗り越えて、左へ急降下するのが正しいルートだ。

ここならどんな派手なマーキングをしようと、行き止まりをトラロープで塞ごうと、正しいものなら誰からも苦情は出ないと私は思う。でもなぜか、マーキング魔の登山不適格者はここにはマーキングを付けていない。

2本の倒木を跨ぎ左に急降下

11:43
「うん、ここだな」、五助尾根はササの海という間違った観念を私に植え付けたのは。確かに頭を越すササが道を覆い隠すように茂り見通しは悪いが、10mも続かないし、通行には全く支障のないレベルで藪漕ぎでもなんでもない。

ただ、3年前に六甲山を歩いていて、妻その1にしか見せたことのないところがマダニの被害にあい、皮膚科で「これは珍しい」と写真を撮られるわ、摘出手術を受け一針縫うわ、抗生物質を1週間飲むわでえらい目にあったことがある。そのときのダニへの恐怖感はようやく薄らいだが、おそらくこんなササの中に潜んでいるような気がしてならない。

そのときのに聞いた皮膚科の先生の話。

  1. マダニに食いつかれるのは交通事故に遭うぐらいの確率で、めったにあることではない。(何百回も登っている私も初めての経験だった)
  2. 関西のマダニは病原菌(ライム病・日本紅斑熱・エーリカ病・Q熱・野兎病などなど)を持っていないので、それほど心配をする必要はない。(ただし用心のため、抗生物質ビブラマイシンを1週間服用)
  3. 食いつかれて半日ぐらいまでなら、ピンセットなどを使えば引き抜くことも出来るが、それ以上経つと皮膚に完全に固着するので無理に引き抜くと口器などのマダニの一部が残ってしまう。(24時間以内なら感染の可能性が低い)
  4. 無理に引き抜くと、マダニの体液が逆流し感染が高まる危険性があるので、皮膚科で完全に摘出してもらうのが、最良の方法。(マダニなどの虫刺されは皮膚科へ)
見ての通りに
しっかりした道が続いている

11:46
本当のササ藪を楽しみたかったら、ルートから数メートルも離れてればよいのだろうが、私はそこまでの被虐嗜好はない。今が盛りの氷ノ山のスズコ狩でチシマザサの藪へ突入したことがあるが、このクマザサの竹の子も食用になるのだろうか。チシマザサよりも茎が細いので、それはそれは可愛らしい小さな竹の子と思うが、採って食べたという記録が見当たらない。

苦いのか硬いのか、皮をむいたらなくなってしまうのか、機会があったらクマザサやミヤコザサの竹の子を探してみよう。

こういうところは本の少し
けして五助尾根を代表する
風景ではありません

11:49
最後の鞍部への下りには、ちょっとした岩場があり、真っ白なシロバナウンゼンツツジがたくさん咲いていた。オオイワカガミのピンク色の可憐な花も今回の山行の目的の一つだったが、残念ながらまだ蕾さえもなく、私はいつになったらオオイワカガミの花に出会えるのだろうか。

シロバナウンゼンツツジ

11:57
またまたササが生い茂る道だが、背丈は胸ほどもなく面白味に欠ける。なんてことなく普通に歩けるが、道を被い尽くしていて、ササ藪を漕いでいるように見えないこともない。

これで、こんなササ道はお終い

12:01
下の写真と、その次の写真の撮影時刻は10分以上も開いているが、違いはほとんどない。こんな感じが五助尾根の上半分を代表する風景となるが、マーキングもほとんどなくすっきりとした快適な尾根道だ。

五助尾根上部はこんな感じ

12:14
シロバナウンゼンツツジの咲く岩場辺りから、六甲ガーデンテラス近くのアンテナ塔群が時々見えたり、BGMさえ聞こえてきたりもするが、もう麓は見えない。しばらく同じようなミヤコザサの尾根道が続く。

シダの道も好きだが
ミヤコザサの道もいいな

12:22
この五助尾根には「東の天狗岩」なるものがあると聞く。でも六甲ガーデンテラスに近づくと、大きな岩が何箇所にもあり、どの岩が「東の天狗岩」なのか分からない。この岩崖は違うと思うが、シロバナウンゼンツツジがきれいに咲いていた。

六甲ガーデンテラスが近づくと
岩場が現われる

12:30
1箇所だけ海の見える狭い展望岩があり、その横には、これも今回の目的の一つ「ベニドウダンツツジ」が花数は少ないが、ピンクのコバノミツバツツジをバックに咲いていた。

花数が少なく少し寂しい
ベニドウダンツツジ

12:36
私の「東の天狗岩」候補の中の最右翼の大岩だ。山頂側には荒地山新七衛門ーと同じような岩穴があるが、ルート脇にあり近づく必要もないことから、人物と一緒に写った写真がなく穴の大きさが分からなかった。

穴は人が通り抜けられる大きさはあるが、底の岩が滑り台のように傾いているので上を越えたほうが安全だ。

東の天狗岩?のー

12:40
六甲ガーデンテラスへの最後の登りは、深いササの海の中の溝道登りだったのが、なんとまあきれいに刈り込まれてしまった。ここまでにも一部に道脇のササを刈り込んだ跡があったが、多くのハイカーが通るわけでもないし「わっ、新たな巨大砂防ダム建設の作業通路だ」と、悪い予感が。

最後はササが刈り込まれ広くなった道を登る

12:45
エクセル東から歩き始めて3時間半弱、ようやく六甲ガーデンテラスの少し東側の六甲全山縦走路に登りついた。前回の残雪の五助尾根に比べたら時間短縮が出来たが、普通に登れば3時間はかからないと思う。天気があまり芳しくないためか、いつもの大勢のハイカーが行き来する風景はなく、静かな縦走路だ。

六甲全山縦走路に着いた

あらゆる情報がいながらにして、それも只で手に入れられる時代が到来し、五助山・五助尾根の情報も取捨選択に困るほど蓄積されている。公設標柱にある「迷いやすく危険です」は、事前にそういった情報を収集できず、迷いやすい下り方向だと当てはまるだろう。

でも「熟練者向きコース」は、五助谷のような堰堤ばかり多くて道もない情報も少ない、それとも西山谷のように少くらからぬ確立でハイカーを死に追いやるようなルートを呼ぶものだと思う。

六甲全山縦走路の
五助尾根入口に立つ標柱
何はともあれ、最初の
五助尾根はここから
下るべきではない


六甲ガーデンテラスとその後

12:50
縦走路を西へ50歩、いや100歩だったかな、進めばそこは薄着の観光客が「寒い寒い」と震え上がっている、気温14度の六甲ガーデンテラスだった。実は汗をかいて登ってきた私も寒くなり、危うくカゼを引くところだった。

それでは恒例のシェーを展望台の中の、お立ち台で執り行う。雨が今にも降りそうな曇り空で、視界はあまり芳しくないが「シェー」。

ガーデンテラスのお立ち台でシェー

展望カジュアルレストラン「ビューパレス」は、車で登ってきた観光客向けで、軽食コーナー「フードテラス」はハイカー向けと思いがちだが、そんなことはない。観光地価格はビューパレスもフードテラスも競い合っているし、狭苦しいフードテラスよりもビューパレスの方が店内が広々としていて気持ちがよい。

しかしながら、今にも雨が降りそうな寒空なのに、ゴールデンウィークとあってビューパレスもフードテラスも満員。でも今日は外で食べたい気分なのでフードテラスのオープンデッキを選択。

注文した(食券・フルセルフサービス)ジンギスカンラーメンは相も変わらず麺もスープもぬるくて、味の方もなにか一本、いや二本は抜けていて、まさに軽食コーナーの望まれる料理像というか、期待に背かないというか、うーん、どう言ったらよいのか困った、困った、駒鳥姉妹。とりあえずビールは美味しかった。

ジンギスカンラーメンと生ビール
六甲フードテラス 定番メニュー
 
うどん・そば
 きつねうどん・そば550円
 肉うどん・そば650円
 六甲おろしうどん・そば700円
 かすうどん・そば700円
 カツカレーうどん・そば800円
 
ラーメン
 醤油ラーメン600円
 和風ラーメン600円
 醤油バターラーメン650円
 チャーシュー麺800円
 ジンギスカンラーメン800円
 
こだわり風味おでん
 おでん550円
 おでん定食(ご飯・香の物・みそ汁付)700円
 
カレー・丼物
 ビーフカレー700円
 エビカツカレー850円
 カツカレー900円
 ソースカツ丼(ご飯・香の物・みそ汁付)800円
 
サイドメニュー
 ご飯(香の物付)200円
 おにぎり(香の物・ふりかけ付)300円
 フライドポテト300円
 フランクフルト300円
 明石焼き450円
 フライドチキン450円
 フライドチキン&フライドポテトセット650円
 
ソフトドリンク
 コーヒー(ホット・アイス)300円
 紅茶(ホット・アイス)300円
 ミルク(ホット・アイス)300円
 カフェオレ(ホット・アイス)400円
 オレンジジュース300円
 
アルコールドリンク
 生ビール(中ジョッキ)500円
 生ビール(カップ)400円
 琥珀の時間(樽生限定ビール)(中ジョッキ)500円
 琥珀の時間(樽生限定ビール)(カップ)400円
 お酒(日本酒)350円

わずかとはいえアルコールを飲んでしまったので、今日の山行をこれ以上続けるわけには行かない。世の中には頂上で酒類を飲み、そのまま続けて山行する人たちもいるようだが、私には信じられない。だってケーブルカーのすれ違いがこんな風に見えるんだもの。

六甲ケーブルのすれ違い、ゴーッ

最後に繁忙期の六甲ケーブルの乗り方。下駅から乗車定員の少ない市バスへの乗換えを最優先し、座席に坐ることなく、麓側先頭車両の下東側扉前のポジションを確保すること。そして下駅で扉が開いたら、「わっ、あの人変な人」と思われてもバス乗り場へ全力疾走すること。

これで超満員のバスに坐ることができ、そして極自然にお年寄りに席を譲ることで「わっ、あの人素敵」と、思いもよらぬ出会いのきっかけとなるかもしれない。



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