さようなら ありがとう 姫路市営バス
平成22年3月26日(金) メンバー 私と妻その1
姫路駅前市営バスターミナル〜日の出車庫
また会えたらいいな 姫路市営バス
昨年の秋、35年間の眠りから目覚めた姫路モノレールの車両のように、本日最後の営業運転を終えた姫路市営バスも車庫の中で永い眠りにつくのだろうか。いや車両も神姫バスに譲渡され、神姫バスの衣をまとい再び私達の前に現われる日は近い。
バスのみならず、鉄道(姫路モノレールは鉄のレールの上を走る)、そしてロープウェイも運行し栄華を誇った『姫路市交通局』は、「おごれる平家、久しからず」の例え通りに終焉のときを迎えてしまった。姫路市の公営交通事業の歴史を簡単に振り返ってみよう。
1945年 (昭和20年) |
8月15日 | 第二次世界大戦が終わる |
1946年 (昭和21年) |
11月1日 | 民間バス事業者の不甲斐なさに、姫路市自ら荷台を幌で覆い客席を設けたトラック5台による、無許可無料運転開始 |
1946年 (昭和21年) |
12月 | 免許を受け有料でバスの営業運転を始める |
1947年 (昭和22年) |
初代姫路市長に石見元秀氏が当選 | |
1958年 (昭和33年) |
3月19日 | 書写山ロープウェイ開業 |
1964年 (昭和39年) |
昭和39年度の市バス旅客数1,951万人 この年が市営バスの最盛期だった | |
1966年 (昭和41年) |
5月17日 | 姫路モノレール開業 |
1967年 (昭和42年) |
20年に渡り姫路市長だった石見元秀氏が落選 | |
1974年 (昭和49年) |
4月11日 | 姫路モノレール休止、運行を再開することなく4年後に廃止 |
2003年 (平成15年) |
4月 | 初代姫路市長三男の石見利勝氏、姫路市長に当選就任 |
2006年 (平成18年) |
4月1日 | 書写山ロープウェイを姫路市観光交流推進室に移管し、そして神姫バスが指定管理者となる |
2007年 (平成19年) |
7月1日 | 姫路市交通局は、水道局と統合し姫路市企業局交通事業部となる |
2008年 (平成20年) |
9月16日 | 市営バス全路線を2年間かけて民間事業者への移譲を発表 |
2009年 (平成21年) |
11月15日 | 35年の眠りから目覚めた姫路モノレール1日だけの公開 平成23年より常設展示予定 |
2010年 (平成22年) |
3月26日 | 最後に残った7路線15系統のバス事業を廃止 |
2010年 (平成22年) |
3月27日 | 全ての市営バス路線を神姫バスに移譲 |
姫路市営バス全路線の民間移譲が決まる1年前の、2007年(平成19年)3月24日に書写駅線と大池台線が神姫バスに移譲されてしまったため、普段の足として姫路市営バスを使うことはなくなってしまった。だが姫路に移り住んでから10年以上も利用してきた姫路市営バスが、ついに3月26日を以って全ての路線が廃止されてしまうという。
去りゆく姫路市営バスへの哀愁もあるが、JRの寝台特急「北陸」と急行「能登」がこの3月に廃止された折の、「乗り鉄」や「撮り鉄」ならぬ「葬式鉄」が注目を集めたが、はたしてそのバスバージョンは存在するのかを解明するため市営バスの本当に最後の便に乗ってきた。
まずは姫路駅北口の市バス乗り場から出て行く、在りし日の姫路市営バスの姿から見てもらおう。なお最終日は金曜日なので、真面目なサラリーマンの私には当日昼間の市営バスを撮影することは出来ない。そこで、用意周到で何事も計画的に行いたいと願望している私が、天気のよかった3月14日の日曜日に撮ったものだ。
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姫路市営バスの走らない姫路市なんて
私一人で行くつもりだった姫路市営バス最後の日の最後のバスに、なぜだか分からないが妻その1も一緒に行くという。
21:18
最後の最後の姫路市営バスは、姫路駅北口バスターミナルを22時15分に発車する日出車庫行きだが、早めに神姫バスで姫路駅前に着いた。
バスターミナルでは姫路市営バスの最終便のための式典・セレモニーの用意は全くされていなく、市バス職員の方が簡単な記念品を配っているだけだった。本日の午後に日出車庫にて、姫路市長・議会議長を迎えて執り行われた事業終了式の記念品「姫路市営バスの歩み〜64年の軌跡〜」ではなく、A4サイズの印刷物2枚だけだったが、 何も期待していなかっただけに嬉しかった。


上の画像をクリックするとpdfファイルが開く(左777KB、右1.06MB)。
21:24
21時30分発の、思案橋・見野古墳群(循環)・姫路港行きの3台のバスが入ってきた。いずれもそれぞれの路線の本日の最終便だ。
1台は乗り場と直角に、2台はその後に乗り場に平行にという車両停止位置は、昔も今も変わらなかった。
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時期折々の前幕広告を付けて走る姫路市営バスだが、最後は「長い間 ご利用いただき ありがとうございました 姫路市営バス」で、これ欲しかったな。
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21:30
いずれも数名の乗客を乗せた思案橋・見野古墳群(循環)・姫路港行きが発車した。これで姫路駅前バスターミナル発は、残るは日出車庫行きの3便だけとなってしまった。
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乗り場にも前幕広告と同じような案内が掲示されている。
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長い間 ご利用いただき
ありがとうございました
姫路市営バス本日も、姫路市営バスをご利用いただきまして、ありがとうございます。
来る、平成22年3月26日(金)をもちまして、事業を終了いたします。
長年のご愛顧に心からお礼申し上げます。
お客様各位姫路市営バス
バスターミナルのここには売店があったはずだが、なんと気の早いことにもうすっかり取り壊されている。
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一便飛ばして、ラス前の22時発日出車庫行きは「日産ディーゼルKL-UA 西日本車体工業 大型ノンステップバス」。結局、私を含めて10人程の葬式バスマニアが参列しただけで、もう撮影は自由。前から横から後からと何も制限されずに、どこからでも写し放題。
鉄道趣味は昔から盛んでその人口も多いが、バス趣味はよりマニアックなのか、こんなにも寂しいものとは思わなかった。
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22:00
定刻に日出車庫行きのバスが発車し、残るのは22時15分発だけになってしまった。
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もう二度と姫路市営バスには乗れない
22:01
ついに最終の22時15分発日出車庫行きが入線してきた。車番は「姫路200 か ・364」で車種は「日産ディーゼルKL-UA 西日本車体工業 大型ノンステップバス」。
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この最終バスが、歩いて帰るには遠すぎる姫路港行きならば乗らなかったが、日出車庫なら歩いても知れている。妻その1とともに乗車する。
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姫路市営バスは姫路市営であるが故か、慢性的な赤字経営にもかかわらず車両の更新を怠ることなく、この最終便の車両も5年ほどしか走っていない。だが、ICカードはもちろんスルッとKANSAIカードにも最後まで対応することはなかった。
神姫バスに譲渡され車体の色を塗り替えられても、この座席の緑のチェック柄はそのままだ。
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発車までに時間があるので、一旦降りてバスの写真を撮っている人たちを写してみる。
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10:24
定刻から少々遅れて
「はい、長い間ご乗車ありがとうございました。まもなく発車しまあす。」
『ピポピポォーン、発車します。ピポピポォーン、ご注意ください。』……自動音声
姫路市営バス関係者と、最後の市営バスを写すために残ったバスマニアに見送られバスは一路日出車庫を目指し、ファンファンとクラクションを鳴らして走り出した。と、書きたがったが、そのときには市営バスターミナルを封鎖すべく作業車と作業員が南側に並んでいて、バスはどんなにハンドルを切っても転回できなかった。
誘導員の笛で少しバックしてから、再度クラクションをファンファンと鳴らし、残る人たちの万歳三唱の大きな声に見送られ、最後の姫路市営バスは一路日出車庫を目指して走り出した。
10:31
途中の停留所で数人の一般乗客?を降ろし、最後の姫路市営バスは日出車庫バス停に到着し7分間の運行を終えた。
「はい、日出車庫終点。ありがとうございました。」
『日出町車庫、終点でございます。ご乗車ありがとうございました』……自動音声
路線移譲先の神姫バスの運転手さんは、運転するよりもアナウンスに力を入れがちな方が多いが、姫路市営バスの伝統なのか最後の運行なので、もっと長々とした挨拶があるかと思っていいたが肩透かしだった。
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普通なら早々に駐車場所に向かうのだろうが、今日は行先方向幕もヘッドライトも点灯したまま事務所前でしばしの撮影タイム。
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日出車車庫バスヤードを見ると、市営バスに混じって神姫バスの車両が明日からの運行のためか駐車していた。
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