札楽山(ふだらくさん)を歩く(たつの市)417.7m
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平成26年3月15日(土) メンバー 私だけ
新宮町善定の公民館〜中山寺跡〜送電線鉄塔播磨線29〜△417.7m〜作業道〜〜善定と二柏野(ふたつがいの)を結ぶ峠越え林道〜大屋集落
札楽山は善定山の南
『補陀洛とは古代サンスクリット語の観音浄土を意味する「ポータラカ」の音訳である』(Wikipediaより)。音が同じ札楽も観音浄土の意なのだろうが、よく聞く極楽浄土と観音浄土は違うのだろうか。
けれども、世のため人のためなど思いもせず、自分さえよければ「後は野となれ山となれ」を人生訓として生きてきた私にとって、極楽浄土も観音浄土も事象の地平線の彼方の存在で、一生いや死後か、知ることのない世界だ。なんて、私の内的世界のことなど書いても芥ない。
播磨灘にそそぐ揖保川を遡っていくと、たつの市の鶏籠山の北で西から栗栖川が合流してくる。その栗栖川を遡ると平野集落近くで札楽川が合流してくる。札楽川は奥名坊で善定川が合流してくる。その札楽川と善定川に挟まれた山は『札楽山』と呼ばれている。地元の古老がいうので間違いない。
「TAJI&HM の 兵庫の山めぐり」では札楽川の南側の山を札楽山としているが、それも私は正しいと思う、札楽川集水域の谷は千もあるといい、その谷と山の全てが札楽山なのだ。死んでも行くことのできない観音浄土だが、ここ札楽山はいつでも行ける観音浄土なのだ。本当だろうかと登ってきた。
尾根の東端に善定公民館があり、その上が中山寺跡だ。そこをスタート地点として尾根を西へ辿り、送電線鉄塔・△417.7mを経て、帰路は林道を使うという計画を立てた。
善定公民館から送電線鉄塔
7:50
揖保川沿いに国道179号線を北へ進み、新宮町新宮の「新宮三差路」を西へ栗栖川沿いに、そして「新宮大屋橋」で左折し2qも進むと道が二股に分かれている。その分かれ目に善定公民館がある。今日も妻その1に送ってもらい、帰りも迎えに来てもらうという楽ちん登山だ。
公民館の二股を左に行くと、すぐに中山寺跡への登り口がある。
7:53
入口に案内はないが、ここを登ると戦後に廃寺になった中山寺跡がある。ネットを探してもここから札楽山に登ったという記録を見つけることは出来なかった。だが、必ず登山口があると確信している。
車道の登り口の先にある案内板は、ここから農村舞台がある松尾神社までの札楽山南向斜面を「災害に強くしたいな」といったもので、遊歩道を整備して里山公園にするといったものではない。
災害に強い森づくり(里山防災林整備)
〜県民緑税の活用〜たつの市新宮町善定は旧跡も多く、ヒメボタルが飛び交う自然豊かな地域です。
この地域では平成16年の台風で、山の木が倒れるなどの災害が起きました。
この地域に限らず、兵庫県内の手入れ不足の山では木が倒れたり、土砂が流れ出して建物などにも被害が多く発生しました。
兵庫県では、平成18年度から県民緑税を取り入れ、みなさんの力で災害に負けない強い森を育て、美しい緑を未来に残すため、「災害に強い森づくり」を進めています。「災害に強い森づくりの取り組み」
暗い森の中を明るくするために木を伐ったり、人家の裏山で倒れそうな木々を取り除いたり、土砂の流れを防ぐ施設をつくり、地域の人々を災害から守ります。兵庫県・たつの市・(社)兵庫みどりの公社
7:58
中山寺跡に登ると、大き目な東屋・宝篋印塔・板碑・観音様の石仏などがある。
町指定文化財 中山寺跡の宝篋印塔と板碑
当寺は正歴年中(990〜994)開基と伝えられる真言宗の寺院で、慈観上人がこの地で入定(即身成仏)したという伝承がある。戦後、廃寺となったが、境内に宝篋印塔と板碑が残る。
宝篋印塔は流紋岩製で現高54p(相輪欠矢)。塔身には月輪(がちりん)を刻み、中に胎蔵界四仏の種子を印刻する。基礎に「当時開山時観上人(右束)、永正7年2月18日(左束)」の銘文がある。
板碑は全長202pで、底面に直径9.5p、深さ9pの柄穴が穿たれている。碑身の四面には次の銘文が刻まれている。「南無阿弥陀仏 光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」(正面)
「南無阿弥陀仏 願似此功徳 平等施一切 文明九年丁酉」(左側面)
「南無阿弥陀仏 同発菩提心 往生安楽園 十一月二日」(右側面)
「南無阿弥陀仏 二千日不断念仏供養 願主時観上人 敬白」(裏面)南無阿弥陀仏は名号で、その下は仏の教えや徳を讃える詩句の偈頌(げしゅ)である。偈頌が刻まれた例は県下では非常に珍しい。
宝篋印塔・板碑とも時観上人の名前が見え、同上人は文明9年(1477)〜永正7年(1510)の約33年間当地に止住していた可能性があり、伝承の慈観上人と同一人物と思われる。なお、当地は明応8年(1499)に落城したという記録が残る中山城跡の可能性もある。平成9年6月 新宮町教育委員会
8:09
GPSをセットしたりしたりして山登りを始める。登山日和の良い天気で、今日の想定ルートでは迷うような箇所もないし、目論見通りの山歩きが楽しめるだろう。
8:10
実は、中山寺跡へ登る舗装道路脇に、鹿柵の開閉部があることを登るときに見つけていて、第一関門の「どこから登ろうか」問題は解消している。はたしてここが登山口と決まったわけではないが、私の第六感はここで間違いないと訴えている。
8:13
「あれま、遊歩道だ」と思わず笑みが漏れてしまった。平成16年の台風被害を復旧するときに、ついでに札楽山に遊歩道を通したのかなと、嬉しくなってしまった。
8:19
遊歩道を登り尾根に達すると、そこにあったのはコンクリート製の立方体、おそらく配水池と思うが何も表示がなく、フェンスの周りを1周しても出入り口がないという変な施設だった。
私が遊歩道と思っていたのは、この施設のための点検道だった。
8:21
配水池から先に遊歩道が続いているわけはなく、それでもシダの中には踏み跡が続いている。
テープ類のマーキングは全くなく、踏み跡の中に所々に境界調査のためのプラ杭が打たれているだけだ。だが、迷うようなポイントはなく、ただ高みを目指し(誤用かな?)登っていけば送電線鉄塔まで一本道のはずで、前回の北側の善定山のような迷走はない、かな。
8:24
踏み跡にしては広い道だ。天気も良いしルンルンだ。
8:29
150m程のピーク。偶然に倒れた木の枝だろうが、「この先には行ってはいけません」と誰かが置いたようにも見える。でも、この尾根に足を踏み込むようなチャレンジャーな私は、そんな枝をバキバキと折って進む。
8:33
ほとんど下りのない尾根だが、ちょっとした下りの先にはは私がこれから歩く尾根の連なりが見える。この辺までは木々がまばらで、外界が見えているが、もうすぐ枝葉に遮られ見えなくなってしまう。
8:37
次の登りとの鞍部に小さな濁った水溜りが二つあった。獣たちの共同浴場のヌタバだ。周辺の木々には入浴後に体をこすりつけるのか泥が付いている、視界を遮る垣根はないが、この二つの水溜りは男湯と女湯に分かれているのかもしれない。
ヌタバ近くに動物の足跡があり、偶蹄目で副蹄の跡があるのでイノシシだろうな。
8:41
日当たりのよい斜面にはシダが茂っている。昨夜の雨のためシダに付いている滴がパンツを濡らすがそれほどでもない。
8:45
「うーん、堀切跡かな」、この尾根の東突端に明応8年(1499)に落城したという中山城があったというし、でも西から攻められたらこんな堀切があっても標高の低い東側は辛いだろうな。
それとも城(小さな砦かな)が落城し山奥へ敗走する際の、敵をここで足止めするための堀切なのかな。
8:48
まだシダが茂っているが、膝までしかなく、踏み跡は明確で何も問題はない。
8:50
私が歩いている右側に尾根に沿って浅い溝が出来ている。明らかに人の手によるもので、城跡関係というよりは伐採木の搬出路だろうか。
8:54
標高220m程のなだらかな尾根だ。南麓にある松尾神社はかつては山上にあったというが、こんなところに祀られていたのかもしれないな。
8:59
先行者の残り香はなく、マーキングも皆無で、境界杭が時たま現れるだけの一人だけの山歩き。周囲を木々に遮られ眺めは皆無だが、我が身が山と一体になるというか、山のエキスが体に染み込んでくるというか、なんか楽しい。
9:03
支索のワイヤーが3本掛けられた立木があった。おそらく南側の松尾神社付近に伐採木を運び出すため索道のワイヤーが張られていたものと思う。
9:08
同じような緩やかな登りが続く。周りの様子も変化がなく、特筆すべきことはない。若木が切り開きに育ってしまったためか、そもそも切り開き自体が存在しないのか、明確な切り開きはなくなり、木々の隙間を適当に登っていく。
9:10
根元から幹が分かれている木が、其処かしこに生えている。樹木に疎い私にはその木の名前は分からないが、この付近にか生えてなく、誰かが植樹したものだろうことは想像できる。
9:19
切り開きはあるのだが、なんか両側の木々が覆いかぶさりトンネルのようになっている。鹿や猪ならそのまま進めるが人だと頭を屈めなければ通れない。
9:23
320m程のピークに登りついた。ここから南へ150m程のところを林道が通っているはずだが、当然ながら木々に阻まれ感じ取ることも見ることもできない。なおこのピークには33の赤プラ杭が打たれている。
9:29
320m程のピークから進行方向を北に45度振るのだが、西側の鞍部へ下り、そして高い方へ進むだけだし、おまけに北側雑木林・南側植林の境を登るだけだ。
9:34
緩くもきつくもない中ぐらいの登りだ。下の画像では尾根の形が明確ではないが、実際に右を見ても左を見ても広々とした斜面で、そこを適当に登っているだけ。下りなら、予定外の尾根に迷い込むかもしれないが、登りなら適当に高みを目指して登ればよいだけなので、気分は楽だな。
9:36
350m等高線を越すとまた緩やかな登りとなり、その地点には29の赤プラ杭と17の赤プラ板が打たれている。逆方向から来た場合は、ここで慎重に進行方向を確かめないと、変な方向に行きそうなポイントだ。
ここから獣道・踏み跡・不明確な切り開きから、広い山道に変わった。
9:40
ここまでは道が明確か不明確か、下りか登りか、急なのか緩いのか、周囲は雑木林か植林か位の違いしかない。見えるのは地面と周囲の木々ばかりで、詰まらないと言えば詰まらない山登りではあるが、誰も登らない山に一人で登るという非日常性が楽しい。
六甲山のメジャールートみたいに、一日に何百人ものハイカーが行きかう道を歩くのも好きだが、こんな山歩きも大好きだ。外界を見ることが出来ないと言ったが、北側が急な斜面でそっちに道を外すとなんか見えそうな気がするな。
9:43
道から北側に離れると、枝越しに外界が見えるではないか。見えたのは北側の善定山の尾根で、送電線鉄塔が建っているのが見える。
一時期、国土地理院の地形図から送電線が消滅したが、ハイカーからの苦情の嵐に恐れをなしたのか近頃復活したという。誰の目にも見えるものを消してしまうというのは、戦前に地図から軍事施設を消したように、政財官の都合だけで何でもできる時代に戻そうとする、その先駆けだったのだろうか。
9:46
両側ともに雑木林になっただけで、風景は変わりないな。でも、先ほどの根元から幹が分かれている木の名前が分からなかったように、周囲の木々の名前はさっぱり分からない。
木々の名前を幹を見ただけ、葉を見ただけで分かるようになれば、播州野歩記はさらに高貴なHPとなるのにと思うが、木々の名前を覚えたからと言って、私の品性が上がるわけでもないしな。
9:51
実はここが387m標高点ピーではないかと写真を撮ったが、帰宅後にGPSログを見るとまだちょっと手前で、空振りになってしまった。
山行中は何も言わないGPSロガーは、家に帰りパソコンに取り込むと秒単位でその時の現在位置を知ることが出来る。でも、山行中は迷子製造機の役しか果たさず、撮らなければいけないポイントを逃さないためには、違うかなというポイントでも撮らなければいけない。
そのため、私のコースタイムは、普通に歩くよりも2倍はいかないが1.5倍にはなっている。
9:54
387m標高点は、密に茂った植林と雑木林の狭間で、薄暗い。薄暗いが前方が変に明るいな。
9:58
雑木林が皆伐されていて、スギ・ヒノキでも植林するのだろうか。作業道も見えていて、鹿除けネット沿いに南に下ればどこかで林道に通じていて下山できそうだ。でも、今日は尾根を歩き通して417.7m四等三角点奥善定まで行くのが目的なので、ここから下山するわけにはいかない。でも、どこに通じているのだろう。
9:59
尾根を鹿除け沿いに進む。不慣れな鹿が網に絡まっていて、助けたお礼に鹿のお宿に招待され、鹿のお姫様に接待され、鹿江・鹿子・鹿代の舞い踊りを楽しみ、お土産に玉手箱をもらえるかなもと思っていたが、空振りだった。
鹿除けネットは送電線鉄塔手前まで250mほど張られていた。で実際の話、鹿除けネットに鹿が絡んでいたら、どうしよなどと思わずとりあえず110番しよう。ここの地元の人が鹿をネットから外そうとして、鹿に恩を仇で返され死んでしまった人がいる。
10:05
送電線鉄塔播磨線29に着いた。北隣の善定山の尾根に建つのは紅白に塗り分けられた鉄塔だったが、ここのは灰色一色の地味なものだった。
この鉄塔の鉄塔番号プレートが付けられているB脚(送電線鉄塔の4本の足には名前があるのだ)には、送電用サージカウンターが取り付けられている。この送電線鉄塔に被雷した雷の数を数えるもので、カウンターの数値は0だった。
送電線鉄塔から、木々の伐り払われた南北方向を眺めることが出来るが、同じような標高の山々ばかりで、「ウワッ」と感動するようなものではない。
△417.7mに登り、林道で下山
10:15
送電線鉄塔の西隣りは、まるでそこにもう1本の鉄塔を建てようとするかのように、ぽっかりと開けた空間になっている。おそらく近くまで来ている林道から資材を荷揚げするための索道基地があっただろうな。
10:17
送電線鉄塔手前の伐採地までは、人の通わぬ尾根の切り開きといった感じだったが、鉄塔から先はよく整備された山道となった。
10:23
390m程のピークから先は緩やかな下りになる。正面に見えているピークが417.7m三角点ピークだろうな。
10:26
地形図に記載されていない林道が現れた。でも地形図にはなくても航空写真には写っている。
国土地理院の地理院地図(電子国土Web)なら、各種の地図・航空写真を見ることが出来て便利だ。
地形図にない林道が航空写真には写っている。でも、山道レベルだと航空写真では判別できないな。
10:31
林道は山道の領分を侵すことなく並行していたが、ここから北側は、林道が無理やり山道を上書きしている。
この赤土の林道は、札楽山の北側の林道群と南側のものを繋ぐために最近になって切り開かれたのかな。
10:34
赤土林道は三角点ピークへ登らずに東へと逸れていく。私は三角点ピークへ赴くため赤土林道から離れ山道に復帰する。
10:35
植林の山の中に三角点へ向けて道が伸びている。
10:38
雑木林とも植林ともいえない雑然としたピークに、417.7m四等三角点標石(点名:奥善定)があった。当然ながら展望は皆無で、地形図では登ってきた山道は記載されていないが、なぜか別の2本の破線道が記載されている。
その2本の破線道で下る気がなかったので、真剣に探すこともなかったが、あるのかないのかはっきりとしなかった。
10:43
林道まで引き返えせば、この札楽山の北側にも南側へも下りられるが、三角点から北側に下りるとすぐに林道があるはずだ。北側は急斜面一歩手前の植林で、なんかマーキングもあり、間伐の切り株も点々とあるし、道はないが下りられそう。
10:58
適当に下りていくと林道らしきものが見えてきて、さらに下ると4m程の土崖の下に林道が通っていた。
上から見ると垂直に見えるが、実際はせいぜい60度ほどで、ずるずると滑り降りることもできそう。こんなこともあろうかと(靴紐が切れた時を想定)持っていた5m程の細引きを用いずるずると下りたが、もう少し太く長いロープがあったらよかったなと思う。
11:01
林道を西へ行くと札楽山の北側に、東へ行けば南側に下りられるが、今日は西へ進み北側に下りよう。
しばらく進んでも林道の山側斜面は、石混じりの土崖が続き高さも同じぐらい。417.7m三角点からは、率直に来た道を引き返すべきだ。
11:13
路肩が落ちて痛んでいる部分もあり、自動車を乗り入れるは止めた方が身のためだ。そんんところに出くわしたら方向転換できるスペースもなし、延々とバックする羽目に陥る。
11:19
二柏野と善定を結ぶ自衛隊水道道路(播州野歩記命名)の峠に出た。峠を行き交う人々の安全を願い、江戸時代の末年に建立された地蔵菩薩石仏が祀られている。ここから先はたつの市の善定山393.7mで歩いている。
11:42
この林道の下には水道管、6600V配電線、そして電話線も通っている。普通車でも、時たま落ちている石をどかかせば通れるが、無理に通らなくても、光都へ行くなら国道179号線・県道44号を使うのが普通だな。
12:13
林道ゲートを過ぎ、麓まで下りると、奥善定の集落手前に、車道から離れてお堂がある。前回は何だろうなと思うだけで立ち寄らなかったが、今日は寄ってみることにした。
でも石碑に気を取られ、お堂の中を見るのを失念してしまった。おそらく地蔵菩薩が祀られているものと想像するが、もう一度訪れなくては。
史蹟 地蔵之森
平成六年十一月吉日京洛建都壱千貮壱百年祝祭の日、西角家当主弘司氏訪院あり、曰く、祖先伝来之地に地蔵尊祭祠の古伝あり、地の故老「地蔵の森」と呼称さる、今荒廃せり茲に復興し後世への伝承と人心の安寧を祈念し再興せんと余応諾し氏の為に之を書す、鳴呼大燈国師因に因縁之地、永却の仏法興隆と四海安寧を改め茲に祈念す
大徳寺塔頭黄梅院主太玄謹書
茲今五百五拾五年
平成八年五月吉日建之
施主 西角家
12:24
運行本数は極めて少ないし、休日は運休だし、使い方が難しいが、公共交通機関の「たつの市コミュニティーバス」のバス停が善定のお寺の近くの橋の上にある。今日は土曜なので、あと1時間11分待つだけで播磨新宮行のバスが来るが、それだけ待つなら歩いたほうが先に駅に着いてしまう。
たつの市コミュニティーバス時刻表(抜粋)
新宮駅 方面行き
月曜・水曜・金曜 8:33と11:00と13:35
火曜・木曜・土曜 13:35だけ運賃 1乗車100円
運休日 日曜・祝日、12/29〜1/3
12:43
大屋集落近くの、妻その1との待ち合わせ場所に着いたので、本日の5時間弱の山行はこれにて終了。
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