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京見山から白毛山、蒲田城跡へ



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平成15年2月4日(火)  メンバー 私だけ

京見山 きょうみやま 216.1m
白毛山 しらけやま 215m


登山口は春日神社

今日は姫路市と太子町の境、夢前川の西に位置する、京見山に登ってきた。

南西端の山戸にある春日神社から登り始め京見山へ、東に進みアンテナ塔が建っている白毛山へ。そこから北に町界をたどり行ける所まで行く。行けなくなったら下山する、というかなりいい加減な計画だ。

登山口周辺には車を止められそうな場所がなさそうなので、電車で行くことにする。

10:25
バスで姫路駅に出て、JR山陽線に乗り、二駅目の網干に到着。

網干駅の北側に出て東に進む。北に朝日山・檀特山が見える。大津茂川を渡りさらに東に進む。

左手に勝原小学校を見ながら橋を渡り、勝原橋の信号を直進すると姫路市営バスの勝原小学校前バス停がある。平日は5本、土曜・日曜は午前中に3本あるだけだ。バス停の所から左側の狭い道に入る。

10:47
網干駅から22分かけ、春日神社に到着。予想通り周囲に車を止められる場所はない。

春日神社
この奥に登山口がある

春日神社

拝殿・幣殿・瓦葺一間社流造りの本殿からなり、八幡・稲荷・金毘羅の摂社がある。延喜式内社の阿波庭神社であったという。境内には嘉永元年(1848)の狛犬、嘉永2年の常夜燈及び絵馬や、安政期(1854〜60)の手洗い石がある。

平成14年3月 姫路市教育委員会

ごく普通の神社に見える。社殿左側には二頭の鹿の彫像があるが、かわいそうに雄鹿の角が片方取れている。



京見山へ登山開始

10:54
春日神社社殿の左奥に登山口があり、登山開始。「京見山 登山口 山戸」の案内標識があり、1.3H、2kmと小さく書いてある。1.3Hとは1時間と18分のことだろうか。

登り口付近は遊具が一つだけある児童公園になっていて、道がたくさんついている。しかしどの道を登っても最後は1本にまとまっていいる。

11:00
地形図の破線道を行くが、最初は緩やかな雑木林の道で、少し行くと古墳入口の木札が下がっている。左手に少し入ると天井の落ちた小さな石室があった。この山には大きな石が無かったのか、小さめな石で造られている。

11:03
地形図(2万5千、網干)の標高50m線を過ぎる頃、行く手に擬木の階段道が現れる。真っすぐに付けられた急な階段だ。

11:09
階段を登り終えると、南側の展望が広がっている。町並みや臨海工場地帯、御津町の山々、その先には家島の島々も見えるが、今日は立春らしく春めいていて霞んでいる。

最初の展望地
逆光の上、霞んでいる

ここには不思議な標識がある。この先にも点々とあるのだが、「火の用心」と書かれた木札が木にくくり付けてある。関電の送電線巡視路の標識なら鉄アングルに留められたプラスチック製のはずで、実際この山中でも見ることが出来るが、この木札は思議な標識だ。

関電巡視路の標識のパロディなのだろうか。それとも巡視路標識の意味が分からず模倣しているだけなのだろうか。はたまた本当に関電の地球に優しい木製の巡視路標識なのだろうか。不思議だ。

私設送電線巡視路標識?
木製の札

倒木が全く無い、良く手入れされた、緩やかな尾根道を行くが周りを雑木に囲まれ展望は無い。しかし所々に展望の良い所があり、西の檀特山や姫路の町が見える。

京見山の尾根道
展望はよくない

11:26
送電線鉄塔(浜田線No.30)が現れた。標識があり、西の来た道は「山戸 春日神社」、これから進む東は「京見山」、南に下る地形図の破線道は「熊見」となっている。

それから、京見地区住宅地造成工事のため尾根道から京見地区には下りられないとの、新日本製鐵の通行止めのお知らせ板が立っているが、去年の12月2日からは下りられるとなっている。地図つきなので現在位置が良く分かり便利なものだが、もうすぐ撤去されてしまうだろう。

11:35
「京見社宅跡西」の分岐に着いた。ここにも通行止めお知らせ板があり、立入禁止の理由が「京見地区住宅地計画宅地造成工事(挟撃の恐れあり)」となっている。ブルドーザーに挟み撃ちになるのかもしれない。

11:38
また、「京見社宅跡西」の分岐についた。通行止めお知らせ板の地図によると、前とここの分岐は途中で合流しているようだ。

11:40
今度は西側の「勝山町 下コース」の分岐に着いた。この尾根道には分岐がたくさんあるが、全てに標識があるので分かりやすい。特にここの標識には地図が付いていて、この分岐と京見山頂上から町界沿いに下る(上コース)は途中合流し勝山町の薬師神社に下るのが一目瞭然に分かる。

11:53
「勝山町 上コース」の分岐に到着。地形図の破線道と町界が合流する所だ。

分岐方向には「勝山町 上コース(鉄塔経由)見晴らし台、古墳あり 薬師神社まで下山して1.6k」と「原 一部急坂あります 1k」。非常に詳細な案内だが、同じ道に二つの行き先があると少し分かりにくいかも知れない。

来た道は「山戸春日神社 1.7k」「熊見、勝山町にも至る 1.2k」とこれも少し考えてしまう標識かもしれない。東向きには「京見山 0.3k」と単純で分かりやすい。

12:02
京見山頂上に到着。木のベンチや登山記録ノート入、温度計(8度を指している)、手鏡などがあり、「広畑・大津・勝原 まちづくりの会」の名前が入っている。登山道の整備や標識の設置なども行っている方々なのだろう。

頂上の周囲の雑木は途中から切られ、眺めがよくなっている。南の瀬戸内海、西の檀特山がよく見える。パンをかじりながら展望を楽しんでいると、西から犬を連れた女性が登ってきた。軽装なので散歩代わりに登っているのだろう。すぐに下山していった。

京見山頂上から南の展望
逆光だ

また頂上には三等三角点<点名:熊見>があり、標識もたくさんある。来た道は「山戸 春日神社、熊見、勝山町 方面」、北東方向には「原 35分」、東の町界方向には「白毛山方面 四ッ塚古墳」となっている。しかし、南に下る道には標識がなさそうだ。今は通行止めのお知らせ板が良い案内標識になっているが。



東の白毛山へ

12:27
京見山頂上を後にして、白毛山を目指し出発。道は少し狭くなるが良く手入れされている。また、ここまでには無かったビニールテープのマーキングが多数付けられている。

12:33
「則直方面」への分岐に到着。大きな岩が道の横にあり、どうしたわけか茶色の土管が2本半分土に埋まって立てられている。古い壊れかけた標識があるが、それによるとここは「一本松」というらしい。周囲には松は見当たらないので枯れてしまったのだろうか。

12:37
「才」への分岐に到着。

12:40
「泣き坂峠」に到着。地形図の破線道との交差地点だ。峠の名前の由来が書かれている。

泣き坂峠

秀吉の播磨攻めに落城した英賀城の落武者が悔い泣きながら、原村方面に落ち延びていった。という哀しい伝説があり泣き坂峠と呼ばれている。

ここの標識は、北は「原」、南は「才」、西は「京見山」、東は「白毛山 四ッ塚古墳」と分かりやすい。

この峠から東の白毛山へは少し急な登りになるが、それも少しで、また緩い尾根道になる。途中夫婦のハイカーに出会う。

泣き坂峠から東の尾根道
良い道だ

12:54
右側に「四ッ塚古墳」の標識があり、行ってみると、蓋がある石室があった。10センチほどの蓋の隙間から、三脚にカメラをつけ石室の中に入れ撮影してみた。やはり小さめの石で造られた石室だった。

四ッ塚古墳の石室の中
本邦初公開

13:16
白毛山南の「才」への分岐に着いた。「トンガリ山」を通り下山するようだが、余り良い道ではない。

13:20
白毛山頂上に到着。春日神社から2時間半ほどかかっている。白毛山頂上には三角点は無く、NTTの「白毛無線中継所」のアンテナが建っている。ここからは夢前川を挟んで苫編山塊が良く見える。

白毛山から東の展望
苫編山塊がよく見える



町界はどこだ

13:31
白毛山を後にして、点検道路を少し下りると、「Mountain&Cycling」の京見山の記録「里山遊びその2 京見山縦走(2001.2.11)」に出てくる、赤テープが点検道路の右下に現れた。

下りてみると籔がかってはいるが境界杭、赤テープ、明確な切り開きが続いていて、何とかなるような感じだ。2年間で切り開きが下界まで伸びている可能性を期待し下りていく。

13:42
下っていくと、大きな岩が現れた。「Mountain&Cycling」に出てくる「近くの木に登って、そこから岩に移る」岩のようだ。その記事の通り切り開きはそこまでで、その先はどう探しても籔しかない。籔に突入するとえらい目にあうのは分かっているので、引き返すことに決定。

14:06
点検道路まで引き返し、服を脱ぎ背中に入った小枝を取る。

14:07
服をバタバタさせながら道路の先を見ると、テープが掛かっている所がある。行ってみると、テープには「広 大 勝 まちづくりの会」と書かれていて、あの「火の用心」の木札も下がっている。

そこから入っていくと、植林と雑木林の境に真っすぐに切り開きがあり、急な下りが続いていた。テープ・杭もところどころにあり、この切り開きが町界なのだろう。

白毛山北の町界切り開き
急な下りが続く

14:22
急な下りの後、少し緩やかになり、地形図の80m+の鞍部に到着。東西からも道が上がってきている。

そこには古い標識があり、下ってきた南には「白毛山」、西側は「原」、東側は「下野」となっている。正面は後から付け加えられた「蒲田城跡」となっていて、狭いが切り開きがある。その切り開きにも「広 大 勝 まちづくりの会」のテープと「火の用心」の木札もある。

左右には行かず、正面の切り開きに行くことにする。

14:34
腰ぐらいの背丈の笹が茂る斜面の切り開きを登り、140m+のピークに到着。姫路バイパスの夢前トンネル出口がほぼ正面に見える。

140m+ピークからの姫路バイパス
少し曇ってきた

ここで切り開きは左右に分かれている。右側は南東の岩の印のある尾根を下っていくと思われるが標識は無く、はっきり分からない。左に入ると、「まちづくりの会」の黄色テープがあり「右鞍部へ」となっていて、逆方向からの案内と思われる。左に行くことにする。

14:47
岩のピークに到着。木の高い所に「山を美しく 下住」の木札が下がっている。新幹線の「京見トンネル」の上までは達していなく、下には姫路バイパスの姫路サービスエリアが見える。この辺が「蒲田城跡」なのだろうか。東の展望がいいので昔は見張りのための砦を築いていたのかもしれない。

蒲田城跡?
展望抜群

蒲田城跡からさらに北に進むと、正面に鉄塔が見えてくる。

−平成16年3月28日追記−
この岩場から南に7分ほどの所に「蒲田城跡 平成16年1月吉日 京見山愛好会 広畑・大津・勝原まちづくりの会」の杭があり、そこが蒲田城跡です。展望はありませんでした。
平成16年1月3日の山行記録「姫路市大回り、その16(桜山池から京見山)」を見てください。

正面に鉄塔が現れる
切り開きははっきりしている

14:57
鉄塔の左近くを通過すると、十字路に出た。新幹線の京見トンネルの北の148mのだ。正面と右側は送電線巡視路で良い道になっている。左に入ると判別できない古い朽ちた標識と、「火の用心」の木札が下がっていて、ベニヤ板の標識には鉄塔の絵が描いてあり「鉄塔 右折」と書かれている。これも逆方向からの標識のようだ。ここはある理由から左の切り開きに行くことにする。

6日後、このピークから町界沿い北に行った山行記録

15:02
送電線鉄塔の真下に出た。鉄塔の名前札の文字は消えていて分からないがJRのものではないかと思う。「高電圧注意」の黄色いプレートが付けられている。

鉄塔から切り開きは左側に付いていて、南の「姫路YMCA太子キャンプ場(地形図姫路南部の京見トンネルの南に点在する建物群)」方向に下っているようだ。

15:18
南に尾根を下り、途中鉄パイプを組んだ小さな展望台の横を通過し、キャンプ場に下山。下山地点はキャンプ場の一番奥の広場、北東の端に建築中のロッジがあり、ロッジ横の階段に下り立った。広い敷地には宿泊用建物が点在しているが誰もいない。

NTT白毛無線中継所に登る道路にはゲートがあり鍵が掛かっているが、道路沿いには車を止められるスペースはある。新幹線の南側溜池の横にもゲートがあるが、これには鍵は掛かっていなく開閉は自由だ。

どこから公共交通機関に乗るか迷ったが、出発地点のJR網干駅に向うことにした。

16:40
下山してから1時間20分、網干駅に到着。

予想以上に町界を北にたどることが出来たが、最後の鉄塔の前の十字路を右に曲がって関電巡視路を行けば展開は異なっていただろう。山田トンネルの北の178.0mの三角点を過ぎ青山に抜けられるかも知れない。

今回はここまで北上できるとは思っていなかったので、地形図の姫路北部・龍野を持ってきてなく山田トンネルの北側の様子が分からず、北に進むことが出来なかった。



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