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魚屋さん、帰りに東お多福山へ寄り道をする



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平成18年6月4日(日)  メンバー 私だけ

有馬温泉〜六甲山最高峰〜雨ケ峠〜東お多福山〜東おたふく山登山口バス停

2万5千分の1地形図「宝塚」を参照すること。


有馬温泉から帰る

去年の11月23日に魚屋道で有馬温泉まで行ったが、その逆コースはまだ歩いたことがない。気温が高くなりハイキングには不適の季節になってしまったが、標高が高い有馬温泉から登り始めれば体力を消耗するこなく、楽勝だろうと今回歩いてみることにした。しかし同じコースを逆に行くだけでは面白くなかろうと、雨ケ峠からは東お多福山経由で下山することにした。ん、これでは1月22日に歩いたコースの逆回りか。

8:50
JR三宮駅南側に神姫バス阪急バス共同運行の有馬温泉行きバス乗り場がある。神戸市の敬老優待乗車証を使って有馬温泉まで無料で行ける唯一の公共交通機関で、元気そうな高齢者が長蛇の列を作っている。

待つこと10分弱、本日の有馬温泉行第一便9時00分発神姫バスがやって来た。終点の有馬温泉まで40分ほどもかかり、その上途中下車する人もほとんどいないので座れるかどうか危ぶまれたが、どうにか最後の席を確保できて一安心。

神戸市の敬老優待乗車証など持っているはずもない姫路市民の私が、なぜこの路線を利用するかというと、神姫バスの通勤定期券を持っているだけで、神姫バス便だけだが土曜・日曜・祝日は『有馬温泉まで680円のバス料金があっと驚きの85%引き、たったの100円』で乗れるという環境定期券制度(エコ定期とも言う)を活用できるからだ。(阪急バスの通勤定期券を持ってる人は、阪急バスだけが対象の同じような制度がある)

9:59
定刻に到着した有馬温泉バス停から誰もいない「炭酸泉源公園」に移動して身支度を整え登山開始、というか観光客が大勢いるバス停近くでは自分撮りをする根性がなかった。

炭酸泉源公園

炭酸泉源公園から急勾配のタンサン坂を登って行くと、出口に看板がある。「車両進入注意」となっているのだが、ヘアピンカーブの斜度が45°もあり、はたしてこの道を上り下り出来る車が世の中に存在するのだろうか??

タンサン坂の下り口側看板


魚屋帰り道で六甲山最高峰へ

10:06
「有馬稲荷神社」の急な石段を左に見て、「かんぽの宿 有馬」の前を通り過ぎると、今日歩く『魚屋帰り道』(神戸市東灘区深江と神戸市北区有馬町を結ぶ道を「魚屋道」というが、帰り道なのでこう呼びたい)の入口だ。

魚屋帰り道の入口

「太陽と緑の道 魚屋道経由一軒茶屋」の木札と「森林浴コース 六甲山頂を径て雨ケ峠・保久良神社」の案内柱があるが、『魚屋帰り道』という標示はまだなされていない。かつてはここから自動車で山越えに挑むチャレンジャーがいたのか、鉄ポールと蛇籠が車の進入を阻んでいる。

登山口から稜線の一軒茶屋へは、常に緩やかで幅広の道が続いている。おまけに登山口の標高がすでに400mほどあり、標高0m近くから登り始める南側からの道に比べると天国と地獄ほどの差がある。しかし、多くのハイカーは南から登りたがる。つらい山登りの後に待つ有馬温泉が楽しみなのだろうか?おみやげに炭酸煎餅を買いたいためだろうか?

極めて緩やかな

幅が広い道が続く

ハイキングというよりは森林浴の雰囲気

南無妙法蓮華経と刻まれた石

登り始めはの少し薄暗い道の脇に真っ白な「ガクウツギ」の花が目立つ。ただこの花の個性的な香りというか臭いはどうしても好きになれない。まだ早い時間なのに下山してくるハイカーに時々出会う。

的場山を半周して「南無妙法蓮華経」と刻まれた石付近まで登って来ると日当たりがよくなり、この辺りから「モチツツジ」の薄桃色の花が咲いている。日射量か標高差によるものなのかが知らないが、ガクウツギとモチツツジは見事に住み分けていて同時に見ることは出来ない。

ガクウツギ

モチツツジ

日陰の暗い道端にナルコユリが葉っぱに隠れるようにひっそりと咲いている。ナルコユリによく似たアマドコロは茎に角ばった稜線があるのが特徴だが、これは茎が丸いのでナルコユリと思う。しかしナルコユリなら1ヶ所から3個以上の花が吊り下がるはずで、アマドコロかもしれない。

林床まで日が差すところではニガナの黄色い花が咲いているが、この時期の魚屋帰り道は花が少なく淋しい。

ナルコユリ

ニガナ

枝葉が茂った雑木林の中を登る道からは展望は望めないが、それでも西に有馬三山の連なりを垣間見ることが出来る。標高が高くなってくるとモチツツジから朱色のヤマツツジに変わってきた。

一部に荒れたところもあるが、おおむね平坦な歩きやすい道が続いている。なんでもないように見える水平道だが山側も谷側もミヤコザサの茂る急斜面で、機械力がない昔に一部には石垣を築き、これだけの道を通すのは大変なことだっただろう。

平坦な道が続くが

ごく一部は荒れた道もある

ヤマツツジが彩る道

ヤマツツジ

11:37
登り始めてから1時間半、「←白石谷(有馬四十八滝)(熟練者向き・危険)」なる木札が下がる踏み跡道を右手に見て、水がチョロチョロと流れる道を登っていくと、右手すぐ下に「吉高神社」が見えてくる。何度も通っているが一度も行ったことがないので、どんなところかと下りて行ってみることにした。

小広い平地の一角に、小振りな石鳥居、狛犬、そしてこれも小振りな石社が祀られている。それらが水色鉄網フェンスで取り囲まれているのが、幾分不思議な風景だ。

吉高神社

なぜこのよううな神域に残していったのか理解に苦しむが、神社近くに登頂記念プレートが1枚吊り下げられている。

  1. 九十士・山歩会(加古川) 山名:吉高神社
    2002年12月3日 森昌平・高橋寿・大西泰治・芝田格

吉高神社への下り口から稜線までの短い区間は、どうしたわけか石畳舗装の道になっている。冬場だと雪が凍結して滑りやすく、少し怖いところだ。

石畳舗装の道、もうすぐ稜線だ


最高峰から雨ケ峠

11:52
車が列をなして走る車道を見なかったことにして、コンクリート舗装の道を登り「六甲山最高峰」931mに到着。自衛隊の無線中継所が一角に建ち樹木に囲まれた広場のような頂上で展望はない。多くのハイカーは大阪湾を見渡せる(今日は霞んでいてだめだが)南側に陣取っている。山頂標示柱の近くに一等三角点標石(点名:六甲山)がある。しかし角が欠損し十字の刻みも磨耗がはなはだしく、一等三角点標石の威厳はまったくない。

六甲山最高峰

一等三角点標石

頂上付近では「ウマノアシガタ」の黄色く輝く花が満開に咲き誇り、といっても誰の目にも留まっていないようで、ちょっと可哀相ではある。かつてはこの地に米軍の無線中継所があり頂上に立つことが叶わなかったが、今は自衛隊の無線中継所敷地以外は自由に歩ける。その入れない無線中継所のアンテナ鉄塔に登れたらさぞかし大絶景が広がっていることだろうが、各種の進入検知装置に守られて(進入撃退装置はないので敷地に入ろうと思えば簡単だが)いる。

頂上を彩るウマノアシガタ

表札は出ていないが
自衛隊の無線中継所

12:15
昼食に、姫路駅前のローソンで買ってきた助六すしを食べてから下山開始。

南の大阪湾は霞んでいる

車道脇の一軒茶屋

12:22
東灘区深江へと下る「魚屋帰り道」は一軒茶屋の脇から始まり、茶屋の中では大勢の人がビールを飲んだり蕎麦や丼物を食べたりで楽しそうにしている。この一軒茶屋以外にも、六甲山にはたくさんの茶屋あるが今まで一度も入ったことがない。六甲山を語るには茶屋を抜きにしては片手落ちというもので、これからは実食を含めてこの方面を重点的に攻めて行こうかと思ったりもしている。

稜線から一気に300mほど下る「七曲り」は2回登ったことがあるが、それほど急とは感じなかった。しかし登ってくるハイカーの皆さんはかなり辛そうに登っている。すでに低山のハイキング適期は過ぎて気温が高くなりすぎているせいもあるだろうが、ファミリーで登っている人のなかには「なんで私も登らないといけないの」と顔に書いてある人も大勢見うけられた。

両脇に石を組んだ道

ヤマツツジがちょこっと

ヤマツツジの花が少しあるだけで、彩の少ない七曲りを快調に下っていく。すると足元にベニドウダンツツジの花びらが散らばっているが、すでに花期は終わったようで見上げてみても花を付けている木はなかった。

言うほど急ではない
七曲り

だが、最後は
本当に急な石段道

12:55
七曲りを下り終え、ハイカー達が木陰で休憩する先の飛石を渡って、土樋割峠から下ってくる林道終点の広場に着いた。かつてはこの広場をベースにして周辺の砂防ダムを築いた時期もあっただろうが、すでに役目を終えた今は植栽を復元するべきだ思う。ここから北東へ林道を登ると土樋割峠を越えて芦有道路の東おたふく山バス停へとエスケープ可能だ。

この流の先が七曲りだ

土樋割峠からの林道終点

12:59
本庄砂防ダム(昭和44年12月完成、高さ20.0m、長さ102.65m)の左岸側の道を下っていくと、右手に急降下する石段の道が分岐している。真っ直ぐ進む道と先で合流するのでどちらに進んでも同じだが、ここを下ると「本庄橋跡」を通ることが出来る。

13:00
急な石段を下った先が、長い魚屋道の中で唯一の木橋が架けられている「本庄橋跡」だ。左岸側のベンチの周りに、かつてここに架けられていたという石橋に使われていた石材がいくつか並べられている。石材の一つには「本」と刻まれている。

かつての本庄橋の石材を渡る

本庄橋跡

本庄橋は、魚屋道が住吉川の上流を渡るところにかけられた石橋でこのあたりが本庄九ケ村(東灘区東端の村々)の入会地だったことにちなんで名づけられたのだろう。     魚屋道は江戸時代初期から灘地方と有馬を結ぶ東六甲最古の山越え交通路で、当時の絵地図によると今の登山コースとほぼ一致して、東灘区森で西国街道からわかれて山に登り、風吹岩・東お多福山・本庄橋・一軒茶屋・的場山々腹、有馬のルートを通っていた。     幕府が灘から有馬への正規の街道を、西宮・宝塚・蓬莱峡・船坂・有馬と定めた後も、遠まわりを嫌って人々はこの道を利用しつづけた。そこで、街道沿いの西宮や生瀬などの宿場の商人は、これを「抜け荷の道」と称して大阪奉行所へその通行止を訴え、しばしば紛争がおこった。
この本庄橋自体の建設年代は不明だが、文化3年(1806)に灘と有馬の人々が道筋を大改修した記録がある。

(田辺真人記)

13:06
運が悪いことに、道が狭くおまけに先が飛石のところでハイカーの集団に出くわしてしまった。仕方がないので道端に寄って通り過ぎる人数を数えていると、なんと中高年が主体の50人ほどの団体だった。どこか遠くから来ていたのだろうが、そんなに大人数で歩いて面白いのだろうか。可憐な花が咲いていても立ち止まって愛でることもままならない団体行動など、私には考えられない。

団体をやり過ごして、飛石を渡る

13:17
飛石を渡ると急な登りが始まり、そして緩やかな登りになりと10分ほど「雨ケ峠」に着いた。ベンチや東屋があり10人ほどのハイカーが休憩している。「魚屋帰り道」はここから「芦屋カンツリー倶楽部」の中を横切り「風吹岩」へと続くのだが、ここから東お多福山へ寄り道をする。

雨ケ峠から東お多福山へ


東お多福山

13:21
緩やかな擬木の階段道を軽やかに登りきると、道端に四等三角点標石(点名:雨ケ峠)があり、その先の笹薮の中に「気象庁 六甲山 無線ロボット雨量計」があるはずなのだが、なにもない。今年の1月に来たときはフェンスに囲まれた施設があったのだが、今は空き地が藪の中にあるだけだ。

雨ケ峠三角点近くの無線ロボット雨量計跡

山中の人工構造物という私の大好物が消滅して少しがっかりしたが(本当の自然愛好家なら歓迎することだろうが、私は自然の中の人工物愛好家なのだ)、ここから六甲山では稀な広い草原の中を行く気分のよい道が始まる。昔々はススキの原が広がっていたと聞くが、今はササの原となっている。

東お多福山のササ原

子ども達がササ原の中でかくれんぼをしたり、斜面をビニールシートで滑り降りたりして楽しそうに遊んでいる。しかし、草の中に潜むマダニの恐ろしさを知っていまった今は(播州野歩記画像掲示板参照)とてもではないが草の中に入って遊ぶ勇気はない。

楽しそうに遊ぶ子ども達

13:36
東お多福山の頂上に着いた。広々としていてどこが頂上だか分からないが、端っこに「東お多福山 標高697m」の標柱がありそこが頂上なのかもしれない。その標柱のところから北に下ると林道の通る土樋割峠、東へ下ると芦有道路の東おたふく山登山口バス停だ。南側に大阪湾の大展望が広がっているはずだが、残念ながら霞んでいて楽しむことは出来なかった。

広々とした東お多福山山頂

ここから北と東へ下る道が始まる

13:38
東へと下る道は背丈の高いササに挟まれた道だが、入り口近くの道端にタニウツギの花がきれいに咲いている。どこにでも咲いていそうなタニウツギの花だが、六甲山で咲いているのを見たのは初めてだ。

東へ下る道の入口には
タニウツギの花が咲き

その先はササに挟まれた道が

緩やかだった道が急下りになると、別荘地の先に奥池が広がる風景、日当たりのよい道端にはタニウツギがたくさん、背丈の低いヤブウツギ、ナワシロイチゴの花はほんの少しだけ咲き、今日の行程中では最も華やかなポイントだ。

今日の花の中でナワシロイチゴの名前が最後までわからなかったが、ビーパルの今月号(6月号、創刊25周年感謝号)の「今月の図鑑 おいしい野いちごを覚えよう)に載っていてようやく名前が分かった。

奥池が見えてくると
たくさんのタニウツギの花が咲き

ヤブウツギの花と

ナワシロイチゴの花が少々

展望がよく花がたくさん咲いている区間は短く、展望のての字もない、深くえぐれた道や雑木林の中を行く道になってしまう。深くえぐれた道の底には、人を転ばそうとするかのように丸っこい石が溜まっていて、最後まで気を抜くことは出来ない。

えぐれた道や

雑木林の中を行く

「ユートピア芦屋」の別荘地に最接近し、北へ方向を変えて等高線沿いに行くころからボーイスカウト?の一団に追いついてしまい、さっぱり進まなくなってしまった。でも、もう少しなので最後尾についてゆっくりと下っていく。

14:14
ようやく砂防ダムの上で浅い流れを渡り、土樋割峠へと登る舗装林道に出ることが出来た。ボーイスカウトの一団はここで最後の休憩をするようだ。

ここが東お多福山への登山口だ

14:20
芦有バス東おたふく山登山口バス停に着くと、待っていたのは一人だけだった。しかし、次から次へとハイカーが下りてきて、ボーイスカウトの一団まで同じバスに乗るようでどうなることかと案じたが、やって来たバスは「芦屋ハイランド」からのガラガラので、ボーイスカウトの一団が座れなかったがハイカーの皆様は座ることができめでたしめでたし。



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