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その昔、老婆谷には道がございました(摩耶山)



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平成20年5月4日(日)  メンバー 私だけ

青谷橋バス停〜青谷道〜行者茶屋跡〜老婆谷〜天狗道アドベンチャールート分岐〜摩耶山掬星台

2万5千分の1地形図「神戸首部」を参照すること。


すごく痛かったけど頑張ったよ

………ぐらぐらと揺すられて上が下になり、蓋が開き一瞬まぶしい光が見えたと思ったら、宙に放り出された。地面がぐんぐん近づいてきてコンクリートに激突すると「ガッシャーン」と大きな音して、体全体が砕けそうな痛みに襲われた。さっきまで背負っていた箱は弾け飛んで一緒に転がっていく。自分のことよりも箱のほうが気になるが、大丈夫だったかな………。



私の不注意から落としてしまったカメラは、レンズとボディに勝手に分離しカランコロンと転がっていく。「ウワァー、えらいこっちゃ」と一瞬で青ざめた私は、半分諦めながら二つを拾い上げた。レンズ側のマウントが砕けてしまったが、レンズをボディに押し付けるとピントも絞りも正常に働くことが分かった。

ファーストエイド用にいつも持ち歩いているテーピングテープで補修してみると、驚いたことに正常に撮ることができた。レンズから落ちたためにボディはかすり傷で済んだが、ボディを守ってくれたレンズは修理代と新品価格の差がほとんどないため、捨てるしかないだろう。

9:04
青谷道入り口すぐのベンチで、登山準備中の出来事だった。

レンズは壊れたがボディは大丈夫だった


老婆谷再訪

3週間ほど前の4月12日に、老婆谷から登り天狗道の展望台に登り付くという、失敗なのか成功なのか分からない山登りをしてしまった。そこで今日は老婆谷を最後まで詰める意気込みでやってきたのだが、幸先の悪い出だしだ。山行記録では伏せているが、4月中旬にはセットした三脚を踏み潰すという、ありえないこともあったし、カメラ関係では不運続きだ。

9:42
青谷道を30分ほど登り行者茶屋跡に到着。ここから旧摩耶道、行者尾根、老婆谷、青谷道と4本の道に別れるが、行者尾根と老婆谷への道が摩耶山行者堂の裏側から始まっているのを知っている人は少ないと思う。と、私の後ろから来たハイカーが行者堂の裏へと入っていくではないか。結構ポピュラーなルートになりつつあるのか、その人は行者尾根へと登っていった。

9:49
カメラが間違いなく撮れることを再確認して、老婆谷を目指して出発。

行者堂の裏から始まる道がある

9:52
行者尾根の西側の谷(名前は知らない)に架かる小橋を渡る。道は掃き清められていて、この先の滝行場がまだ現役であることが分かる。

小橋を渡る

橋を渡り10mも進むと、右側の石に「天狗道→」と書かれている。秋口には落ち葉が積もり道を識別しにくかったが、今日ははっきりしていた。明るい行者尾根も、暗い老婆谷もここから入り、ともに天狗道に至るが、途中の雰囲気は180度ほど違いがある。私はどちらも好きだが、ほとんどの人は行者尾根がよいというだろう。

滝行場への道から離れる

10:00
ジグザグに付けられた軟弱な道で尾根へと登ると、そこは道標もマーキングテープもなく非常にすっきりとしている。マーキングテープが満ち満ちている六甲山の中では、特異的なところだ。ここから左へ登る尾根が行者尾根で、尾根を越えて進めば老婆谷だ。



老婆谷に入る

10:03
尾根を越えるとそこはもう老婆谷の中で、明確な道が右岸側に続いている。この谷も砂防堰堤からは逃れることはできず、数分歩くと最初の「昭和48年度 第9号コンクリート谷止」が待ち受けている。

幸いなことに谷全体を塞ぐような巨大砂防堰堤はなく、名前も「谷止」と小ぶりなものばかりなので高巻くというほどではない。

最初の砂防施設
第9号コンクリート谷止

10:10
谷から高い位置に通された道は、「昭和46年度 老婆谷第3号コンクリート谷止」を下に見ながら登っていく。マーキングは皆無だが、道は明確で外しようがない。

道は高い位置に付けられている

10:12
写真のように片側が切れ落ちているところもあるが、道幅は十分にあり問題はない。ただしここで100人の団体に出くわしたら大変なことになりそうだが、そんなことはこの老婆谷ではありえない。

スリル溢れるが安全な道

10:15
今度は、向こうが透けて見える「昭和47年度 第4号鋼製堰堤」だ。これもこのまま右岸側を越えていく。

昭和47年度 第4号鋼製堰堤

10:23
鋼製堰堤を越すと谷は幾分急になり、道も直登を諦めて九十九に登り始める。道幅は広く緩やかで、昔は荷車や馬も通ったのではないかと想像するが、ここを登ってどこへ抜けたのだろうか。それとも単に砂防施設建築のために通したのだろうか。

鋼製堰堤から上の道は九十九に登る

10:26
老婆谷は二手に分かれている様に見え、谷止が左俣には二つ、右俣には一つ見える。右俣を詰めれば摩耶山頂上へ至るようだが、谷底への10数mの急斜面を下る根性は私にはない。

写真は左俣の二つの谷止の下側のものだが、名前を確認することを失念していた。今回は二度目の老婆谷なので、冷静に周囲を観察できたと思っていたが、まだまだ抜けている部分がある。

老婆谷左俣の最初の谷止

10:30
2回目か3回目の九十九の折り返しに炭焼釜跡がある。私が見た中ではかなり大規模なもので、六甲山を禿山にする勢いで森林資源を収奪していた構成員だ。炭焼窯跡の上部ではホオノキの大きな落ち葉が印象的だった。

これまで播州の山々を歩いていると、炭焼釜跡と似た石組みだが一味違う古墳が意外なところにあったりするが、六甲山では一度も見たことがない。不思議なことだと思っているが、ただ単に六甲山を歩き足りないだけなのかも知れない。

大きめな炭焼窯跡

10:34
左俣二番目は「昭和47年度 第7号コンクリート谷止」で、それから上には砂防施設は存在しなかった。

10:40
まだまだ明確な道が続いている。でもマーキングテープが一つも見当たらないので、ハイカーが入る道ではない。

この道はどこまで続くのかな

10:41
立ち木に奇妙な鉈目が付けられている。「オヤコ」か「オノコ」か「オメコ」のいずれかで、私の目では『オメコ』に見えた。この鉈目の付いた木から少し登ったところが、老婆谷を登る上での重要な分かれ目になっていて、こんな落書きのような『オメコ』の鉈目の写真を神聖な山行記録に載せたくはないのだが、ほかに分かりやすいものもないし、仕方がない。

『オメコ』の鉈目、この上に分岐点がある


新たな展開が待っていた

10:44
3週間前には、こんなバリケードはなかった。前回は、ここから上に道跡を見つけることが出来ずに、西の尾根へトラバースする踏み跡を辿り老婆谷から離れてしまったのだ。もしかするとこのバリケードを作った人は私の山行記録を読んでいて、変なところに迷い込まないようにと、わざわざここまでやってきたのだろうか。

3週間前にはなかったバリケード

バリケードを越えて数メートルも登り左手を観察すると、写真では分からないが薄っすらとした踏み跡が西の尾根へと延びているのに気づくだろう。その踏み跡が、3週間前に辿った天狗道の展望台に至る尾根へと導くもので、それはそれで面白かったが、今回は老婆谷を詰めることが目的なので、踏み跡を進むわけには行かない。

西の尾根に続く踏み跡が見えるかな

10:50
ここから上の右岸側には道は存在しないが、道を塞ぐかのように置かれたバリケード以外に、右下の浅くなってしまった枯れ谷へと誘導するみたいな枯れ木も置かれている。

谷を左岸へと渡ってみると、そこには明らかな道跡が存在しさらに延びていた。昔は谷を渡る簡素な橋が存在していたに違いない。

バリケード右の谷を渡る

10:55
左岸へと渡った道も、急な谷間に九十九を描きながら登っていく。下の写真は谷から離れるように登り、岩の右で左に折り返すところだ。

ここで、老婆谷を登ってくる数人のハイカーの声が後ろから聞こえてきて、こんな谷を登るハイカーの顔を見たくてしばらく待ってみたが姿を見せない。おそらく3週間前の私の後を追って西の尾根へと踏み跡に入っていったのだろう。

なんだ道は左岸側に続いていたんだ

10:58
下の写真を見ると明確な道を登っているのが分かるだろうが、このまま天狗道まで続いていたらよいのだが。

急な谷に緩やかに付けられた道を登る

10:59
道跡脇の立ち木にカタカナの「」と読めるものが赤ペンキで書かれていて、足元の石にも同じく赤ペンキで矢印が記されている。その矢印は真下方向の、道とは関係ないあらぬ向きを示している。もうひとつ頭が赤く塗られた杭があり、この杭は境界見出し票であって、マーキング類も道の行方を指し示すものではなく、次の境界見出し票へと誘導するものに過ぎない。

もっと濃い藪なら界の切り開きに境界見出し票が転々とあるパターンが多いが、この谷は歩こうと思えばどこでも歩けるので、界の切り開きなど存在しなく、道跡と境界見出し票の間の関連性はない。もしも、この境界見出し票をハイカー向けに付けられたマーキングと勘違いして辿ろうとすると、道を外してしまうので注意が必要だ。

その「」印から道か20mほど離れるが、大きな岩があり、踏み跡も延びているので寄り道をする。でも、こうして付けられた踏み跡がハイカーを悩ますことになるに違いない。

境界見出し票の奥に大岩が見える

高さ5m、幅は10mほどもある大岩で、上に登ったり周囲を一周してみたりしたら何か発見があったかもしれないが、ただ写真を撮ったのみだった。この岩を『老婆岩』と勝手に命名したが、知る人は私一人だけだ。

老婆がこの岩に触れたら若返ったという伝説があったらいいなの
のあるき命名『老婆岩』

11:10
境界見出し票に惑わされることなく、冷静に周囲を観察し道跡を見出して辿れば快適な山行となる。道跡といえども周辺の斜面を登るよりは、何倍もいや何十倍も快適な登りだ。

道跡は天狗道まで続いていると確信した

11:20
道跡と谷が重なってしまった。ここからは谷を登るのかなと勘違いしてしまったが、道は谷を右岸側へと横切っていたのかもしれない。

すぐ先で道は谷の中に消えていく

11:26
あれだけ明確な幅広い道が消えるなどあり得ないのに、なぜか境界見出し票のマーキングに囚われてしまった。次の見出し票ははどこにあるのかなと、天狗道も近そうだし道跡を探そうともせずに適当に斜面を登り始めてしまった。

おいおいどこを見ているんだ


天狗道アドベンチャールート分岐点

11:28
でも直ぐに、道の方が私に近づいてきてオンロード。やはり道跡は谷を横切っていたようで、道跡を完璧に辿ることは出来ずに少々心残りもある。でも、もう天狗道を歩くハイカーの声が聞こえ、引き返してまでも道跡を確認する気にはなれなかった。

直ぐに道に復帰

11:32
天狗道直前で三脚をセットし、ハイカーが通りかかるのを待ってパチリ。意外なところから出てきた私を見て驚いているかのようにも見えるが、ポーズをとって静止している私の姿が訝しげに思えたのだろう。老婆谷を完璧に詰めることが出来て嬉しかったが、私の相手など誰もしてくれずすこし寂しかった。

詰めたところは、予定通りの天狗道アドベンチャー分岐点

11:48
意外ときつい天狗道を登り、掬星台展望台で老婆谷完全制覇を祝しシェーを執り行う。天気は良かったが遠望は中途半端な菊星台だった。

掬星台でシェー

午後の部の「青谷サントン尾根を下る」に続く。



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