青谷サントン尾根を下る(摩耶山)
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平成20年5月4日(日) メンバー 私だけ
摩耶山掬星台〜上野道〜青谷東尾根〜青谷サントン尾根〜神戸高校〜観音寺バス停
2万5千分の1地形図「神戸首部」を参照すること。
特別付録、青谷道と上野道の間のルート図
青谷道と上野道に挟まれた山域の尾根歩きシリーズ一回目は、3月22日の青谷東尾根(ひがしおね)、二回目は4月12日の青谷東々尾根(とんとんおね)で、引き続いての三回目は青谷から数えて三番目の(いや厳密に数えたら四番目かも)尾根なので、「青谷サントン尾根」と勝手に名前を付けてしまった。ちなみに青谷ヨントン尾根は上野道が通る尾根で、この青谷本位制により日本ばかりか世界中の尾根に名前を付けられるのは、単なる私の妄想の産物にしか過ぎない。
で冗談は上に置いといて、山行前にウェブを丹根に調べてみたが、この山域の山行記録は少なく、神戸高校東側を流れる観音寺川の源流の名前が聖谷と分かっただけだった。その聖谷を中心にして地形図を眺めてみると、青谷東々尾根は聖谷左俣西尾根、青谷サントン尾根は同じく聖谷左俣東尾根あたりが、普通の人が付けそうな名前と思う。
その数少ない山行記録の中で今回のルートは、ウェブサイトクライミングの中の六甲山系と丹生山系で上野道の西と題して紹介されているので、単なる『車輪の再発見』に過ぎないが防忘録代わりに記録を残す。高度計やGPSなる文明の利器を持たずにうろうろしているだけなので、正確なルート図など描けるはずもなく、非常にいい加減なものだが何かの参考になるかと作成してみたら、この山行記録を綴るのにはとても役に立った。
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摩耶史跡公園から上野道を下り青谷東尾根へ
午前中は、青谷道の取付でカメラを落としレンズを壊して落ち込んでしまったが、老婆谷を天狗道アドベンチャールート分岐点まで詰めることがかない、どうにか平常心を取り戻すとこまで回復した。
摩耶山掬星台での昼食の後は、青谷東尾根の第三の道「青谷サントン尾根」を下るべく、上野道下山口取付へと行く。なんか最近、同じところばかり歩いていて飽きないかと自分でも思うが、それなりに楽しいから不思議だ。
12:29
石灯籠が目印の上野道下山口から下り始める。
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12:44
摩耶史跡公園(旧天上寺)や長い石段道に関する記述は割愛(でもあの石段は何段あるのかな)して、旧山門に着いた。相も変わらす荒れるに任すままで、桧皮葺の屋根からは草木さえ生えている。
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青谷東尾根から青谷サントン尾根へ
12:58
山門下から上野道と青谷道の二つに道に別れるが、左側の上野道をしばらく下っていくと「青谷東尾根」への取付地点だ。
以前は案内板やマーキングなどが存在したが、今は何もなく非常にすっきりとしていている。下の写真の左奥に写っている電柱に「摩耶山36」のプレートが付いているのが、よい目印になる。
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この分岐点には、案内板を吊るした針金が食い込んでしまい、痛々しい傷跡が残る木がある。ハイカーのためを思い、まったくの善意から案内板を吊るしたのだろうが、吊るされた木はたまったものではない。でもビニールテープなら伸びるから大丈夫だと思っているマーキングマニアもいるだろうが、古いテープを剥がしてみればそのくびきが木に与えた影響が分かるだろう。
「植物なんか痛みなんか感じるもんか」と考える人もいるだろう。私も正直な話「植物は痛みを感じない」と思う。でも巻きつけた針金が、木の生長に伴って食い込んでいくことを想像できないような、感受性の欠如した人にはなりたくない。
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12:59
送電線巡視路として整備されている尾根道は、緩やかな起伏はあるが道の状態は良好で、ここまでの上野道と同等ほどの歩きやすさだ。ここに入り込むハイカーは少なく、そっとしときたい尾根だが、自己顕示欲の権化たる私は「私の歩いたルートはこんなに凄いんだぞ」と大きな声で叫ばなければ気がすまない。我ながらじつに困った性格だと思う。
でも凄いと思っているのが自分だけなのは、だいぶ前から薄々と感じながらも、それでも止められない意思薄弱者でもある。
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13:03
木漏れ日が射し込むこんな素敵な道なら、夜になっても月明かりが射して楽しく歩けそうだなと夢想していると、もう一度真夜中の山歩きをしたくなってきた。単独で真夜中に山道を歩くのは普通じゃないと思うが、何回か歩いたことがあるルートを、無理をせずにゆっくりと慎重に歩くなら、昼間に歩くのとそう変わることはなかった。
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13:07
正面が明るくなってきたら、そこが青谷サントン尾根の分岐点だ。東尾根をそのまま進みたかったら、「火の用心 神戸港16 上筒井6」の送電線巡視路標識に従い右へ入るか、10mほど先の木に青ペンキで下向き↓を目印に右の踏み跡に入るかだが、後者の方がよいと思う。
これから下る青谷サントン尾根はこのまま真っ直ぐに、下り坂へと進む。この分岐点に以前はマーキングが沢山施されていて賑やかだったが、テープと紐は全て外されている。初めて歩くハイカーには不親切な分岐点だが、マーキングなどないほうが山歩きの楽しさが倍増すると思う。
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さて、ここからの青谷サントン尾根は始めて歩くルートで心ウキウキだが、視界の隅になにやら動くものが。六甲山では初見のマムシちゃんではないか。ほかのヘビは嫌いだが、この愛らしい銭型模様のマムシちゃんだけは、なぜか好きだ。踏んづけたり目の前に手を出したりさえしなければ咬まれることもないが、1年で数千人が咬まれ十人ほどが命を落とす毒蛇であることは間違いないので、いくら可愛いからと撫でたりしない方が身のためだ。
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青谷サントン尾根
13:12
マムシちゃんに見送られて下り始めた青谷サントン尾根には、よさそうな道が続いている。でも明確な尾根道で外しようがないのだが、マーキングテープは古いのや新しいのものが途切れることなく続いている。
でもこの尾根道も、2本あるだろう送電線鉄塔から下は、青谷東尾根や青谷東々尾根と同じように不明確な荒れたルートになるに違いない。
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3:17
一番目の送電線鉄塔「上筒井線 五」までは、あっけないほど簡単に着いてしまった。青谷東尾根の麓側鉄塔ほどではないが、東側の展望が良好だった。
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13:23
麓側の送電線鉄塔へ下る尾根道も、緩やかな快適な道が続いている。でもこの良好な状態が麓まで続いてないのは、ガイドブックに一切載っていないことや、ウェブでも報告例が極わずかなことから判断できるが、どんな障害が横たわっているのか楽しみだ。
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13:27
ちょっとした岩場と段差があり、緊張感のない尾根道を引き締めるチャームポイントとなっている。鋭さのない丸っこい尾根なので、外界などまったく見えず退屈しのぎにもなり、こういうのが時々現れてくれないかな。
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13:30
それなりの急な下りになってきた。それも硬い地面に砂が浮いていて滑りやすく、つい立ち木に手が伸びてしまう。一歩一歩を慎重に下るが、それでも時々ズルッと滑ってしまう。
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13:36
おまけにここの常緑樹の落ち葉は、落ち葉のくせに油分が残っているのかツルツルに滑り、落ち葉を避けても砂が浮いていてズルッと滑る。ザックに差しているダブルストックを使えば簡単に下れるのは分かっているが、一歩一歩の緊張感がたまらない。でも写真を見るとへっぴり腰で、わざと滑るようにして下っているのが自分でも可笑しい。
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13:40
「送電線巡視路なのだからプラ階段にしなければいけないのに」と毒づきながら、滑りかけるたびに「ウォ」と叫びつつ、結局大滑りをすることもなく下りていく。
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13:44
麓側の送電線鉄塔「神戸港線 一五」を通過。青谷東尾根の送電線鉄塔展望台のようなところを期待していたが、かろうじて東がわずかに見えるばかりだ。それども、井戸の底のように全く外界の見えない尾根道から出てくると、結構嬉しかったりもする。
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13:51
麓側送電線鉄塔を過ぎると少し緩やかになり、足元ばかりに集中することもなく下れるようになってきた。下の写真、左端に赤テープ・右上には派手に黒黄の虎縞にテープが巻かれているが、このような迷いようもない尾根道に途切れることなく続いている。いったい人はいかなる動機からマーキングマニアになってしまうのか、その動機を知りたい。
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ロープ場二箇所をこなすと、謎の水平道が現れる
13:59
いきなり急斜面が現れ、トラロープが下がっている。砂も落ち葉もとどまれないほど急なので、滑り落ちる心配はなくロープのお世話にならなくても下れる。でも「下がっているものは何でも使え(但し蛇を除く)」という自分撮りの掟を守る。
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14:05
連続してまたロープ場だ。今度のはロープを使ったほうが容易に下りられるが、なくてもどうにでもなる。下りたところは小広い空き地で、南側が開けていて気持ちのよいところだ。写真撮影の都合上、土崖の端に立っているが、眺め自体はロープの下がる急斜面上部の方がよく、私が立っている位置からは木々が邪魔をしている。
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土崖を下るルートはなさそうで、足元の岩に赤ペンキで記された矢印や、「火の用心」送電線巡視路標識の示す『東』側に等高線に沿った水平道が延びている。実は『西』側にもその水平道は続いていて、ここはT字路になっている。西へ進むとどこへ行くかは謎だが、参考にした山行記録や矢印の示す東へと進む。
14:12
急斜面に通された水平道には、落ち葉が厚く積もり写真写りが悪いが、明るかった尾根道に比べたら周囲が薄暗く不気味なのを除いて、歩きやすい道だ。
あくまでも水平に、山を輪切りにするかのように進むこの道の正体は何なのだろう。関西電力が開いた送電線巡視路なのか、はたまた忘れ去られてから長い年月を経た遊歩道なのだろうか。
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14:14
水平道はさらに続くが、東側の尾根までたどり着き分岐道が南方向に下っている。高度計があればこの水平道の所在位置が明確になるのだが、標高300mから320m付近にあるのだろうとしか言えない。そして東へ進むと、どこへ至るのかも分からない。
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楽生公園へ下る
14:17
急な尾根だが大きく九十九に付けられた道は緩やかで、九十九の折り返しも分かりやすく、薄暗ささえ除いたら100点満点で90点ほどの高得点を付けたくなる歩きやすい道だ。
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14:24
次の写真は落ち葉に覆われているせいもあるが、本当に道を歩いているのだろうかと、歩いた私でさえ疑わしい。そこは、ある一瞬のただ在るがままを平面に写し撮るカメラと、三次元の世界を大脳内に再構築しつつリアルタイムに情報処理を行える人との差で、道の所在は明確で迷う心配は露ほどもない。
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14:29
この尾根道はもうすぐ終わってしまうが、下に見えてきた『道』を、一目でそれと分かる人物が青色の波板を大事そうに運んでいるのが見えた。
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14:32
下り立ったところは、「楽生公園」から続く遊歩道の一番奥の、石積砂防堰堤の手前で、この尾根道の存在を知っている人ならマーキングもあり「ああここか」と分かるところだ。
あの波板男は砂防堰堤上の平地に、柱は立ち木を巧みに利用し、壁は波板を多用した(屋根の素材は不明)お家の住人だった。上野道へと続くと思われる道が家の前を通っているが、波板男がこっちをじっと見つめていてて近づくのがためらわれた。
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14:39
薄暗く広い谷の遊歩道を下るとブランコや鉄棒のある「たいそうひろば」があり、石段を登ると毎日登山に関係があると思われる「まやの家」が建っている。こんな薄暗い谷ではなく、もっと明るい尾根筋に建てればいいのにと感じたが、谷から引かれた冷たい水で顔を洗い、そして休憩させてもらった。
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たいそう広場には次のような古めかしい解説板があり、私の中では謎に満ちていた五鬼城に、光が差し込んできた。
五鬼城之由来
昔この地に五鬼氏と云う豪族が住んでいた。祖頃この辺りは昼尚鬱蒼たる大森林に覆われていた。この自然の要塞を砦として外敵のしばしばの襲来にも一度として敗れた事なく、従って一族は益々隆盛を極めて繁栄したものである。当時この付近に住む土着民達の暮しは大変貧しく「病気貧乏ふしあわせ」等で苦しむ人々が多く実に憐れな生活であった、此の姿を見た五鬼氏は五情の戒めを説いて幸せの道として多くの人々の救済に尽くされた。この素晴らしい威徳を讃えて永くこの地の守護神とされたが、今日では僅かに五鬼城の名称のみ残されているにすぎない。
五鬼城講
15:00
それでもって、楽生公園がどこにあるのかと疑問を持つ人も多いことだろう。私も昨日までは名前だけは知っていたが、その所在地は謎だった。
神戸高校の北東の谷(聖谷と呼ぶ)の右岸から始まる上野道を入り、五鬼城展望台への分岐点にある古い案内板を参考に、案内板の『立入禁止箇所』・『通行止め!』や、道標の『この先行き止り』を無視して進めば楽生公園だ。
ちなみに、この上野道入口のベンチの前が青谷東々尾根への取付で、かつては4箇所に下げられていた「山歩仲間」による青谷東尾根の案内板の最後の1枚がある。
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