東から登る高倉山427m(たつの市)
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平成25年12月29日(日) メンバー 私だけ
点検道路のゲート〜NHK播磨新宮テレビ中継放送所〜大寺山〜△篠首〜高倉山〜栗栖神社〜播磨新宮駅
久方ぶりに播州の山に登ろう
どこの山に登ろう。うーん、うーん、そうだ「たつの市」(旧新宮町)の高倉山頂上から、尾根通しに東端まで行ったことがないな。
一回目は、11年前に栗栖神社から高倉山頂上に登り、それから尾根伝いに東へ篠首三角点まで行き、少し引き返しアンテナから南へ下る尾根に乗り下山している。二回目は、8年前に東側の吉島古墳と大寺山廃寺を巡る道を歩いている。残るはほんの少しで、長年通しで歩こう歩こうと思ってきたのをすっかり忘れてしまっていた。
吉島古墳を通る尾根で登ってもよいが、少し変化を付けて、高倉山塊の北東端の194.6m三角点へ登る破線道から登ってみよう。けして130m程を楽して登ろうといったみみっちい考えではなく、新たなことに挑戦し続けるこが人類の発展につながるのだ。
最初は中継所点検道路
公共交通機関で登山口まで行くとすれば、山電網干駅・JR山陽線網干駅またはJR姫新線播磨新宮駅から、神姫バスのダイセル前発山崎行で香島橋バス停で下車し少し引き返せばよい。平日なら7時28分に、土・日・祝日なら8時36分に着くことができる。
今回は妻その1に送ってもらったが、公共交通機関で来たと仮定した時刻から行動を開始している。
8:36
点検道路入り口のゲートは施錠されているが、その脇には人用のがあり紐をほどけば出入り自由だ。
8:39
舗装された点検道路は落ち葉が積もり、路面が見えているのは片隅だけだ。普通ならいつでも点検車両が入れるように、ある程度の整備がされているはずだが、おかしい。おかしいといえば、点検道路のゲートに付き物の管理者名が入ったプレートがなかった。
8:46
絨毯が敷き詰められたような、落ち葉の道だ。もう長いこと車や人さえも通うことが無くなったのか。
8:53
落石はそのままだし、倒木さえある。道自体は厚く舗装されているので、路盤の流出さえなければいつまでのこの姿を保ったままで、落ち葉に埋もれていくのだろうか。
8:57
尾根の南側を九十九に登ってきた点検道路は、6回目の折り返しを曲がると尾根の上に出たようで、少しだけ眺望が得られた。揖保川に掛かる赤い橋は香島橋だ。
9:03
27分かけて点検道路を登りきると、そっこにあったのは「NHK播磨新宮テレビ中継放送所」だった。ただし、建屋への給電線は切断され活動は停止されたていた。これではだれも点検に来るわけもないな。
NHK 播磨新宮テレビ中継放送所
この放送所はNHK神戸放送局の放送を送り出しています。この設備は自動化されていて機械の状況を定期的に点検しています。受信できる世帯は約1,200世帯です。どうかこの設備をいためないようにお願いいたします。
■お気づきの点はNHK神戸放送局へご連絡下さい
TEL 079-252-5022
施設のあらまし 総合テレビ 教育テレビ 空中線形式 2ケ双ループ1段3面 総合と共用 送信チャンネル 51チャンネル 49チャンネル 送信出力 10W 10W 非常用電源 バッテリーフロート バッテリーフロート 開局年月日 昭和44年6月 昭和44年6月
本日一番目の三角点標石(194.6m四等三角点、点名:吉島)は、局舎の裏側にあった。
展望のない尾根を登り、大寺山の頂上へ
9:19
NHK局舎の反対側を見ると、雑木の茂る鋭さのない丸っこい尾根が続いている。普通なら、ここから登るんですよ的な親切な先行者が付けたマーキングがあるのだが、ここにはない。
真ん中辺は少し崩落していて、登るならその左右だが、右手の鈴なりに実った柿の木の下に人幅ほどの隙間があった。
9:20
登り口近くに、ハイカーにとっては嫌なものが落ちていた。猟銃用銃弾の空箱で、散弾銃用というよりはライフル銃用のもののようだ。猪か鹿狩りにこの山に入った時に捨てたものだ。
9:22
鹿さん達の日頃の努力の成果なのか、尾根には下草が全くない。そのため、どこでも歩けるようように見えるが、本来の尾根の切り開きを外すと立ち木が邪魔をする。この尾根では北側沿いに、明確な尾根の切り開きがあり、そこを通ると木に邪魔をされることはない。
9:27
少々の倒木はあるが、壊滅的なものはない。尾根の北側は植林に、南側は雑木林になっているところが多く、倒木のほとんどは北側の植林からのものだ。
9:34
マーキングは全くない。境界を示す杭も全くない。けれども真っ直ぐに登る尾根は明確で、目をつぶっていても外しようがない。
ただし、木々に包まれた尾根からは外界の様子は全くうかがえない。岩尾根・岩塔でもあれば面白いだろうが、この尾根にはそういったものは存在しない。
9:35
テレビ共同受信用の廃アンテナが散在し、空のブースターボックスが何とか残っている。麓からすでに200m近く登っているが、ここまで資材を搬上しテレビアンテナを立て、麓までアンテナ線・給電線を布設し、その維持管理を続ける労力に見合うほどに、テレビを見ることに価値があったのだろうか。
もう10年以上まともにテレビを見ることのない私にとって、テレビ放送を見るなど時間の無駄以外の何物でもないと思う。
9:44
緩やかだった尾根が急になり、フウフウ言いながら登りきると、背後に少しだけ眺望が得られた。
揖保川東側の上笹の集落とそれを囲む山々で、宍粟50名山に選ばれた南山431.1mも見える。南山が宍粟50名山に選ばれたのに、なぜ今私が登っている高倉山が選ばれなかったのが不思議だが、よく考えてみると高倉山は全山がたつの市域にあるわけで、宍粟市ではないな。ちなみに南山は宍粟市とたつの市と姫路市の、三市の境界に位置する山だ。
9:53
尾根の方向は、南西から南向きに変わり大寺山頂上は近い。
9:54
今日の山行中、唯一の公設標柱が立っている。前回訪れたときは、NHK中継所方向の尾根へも明確な切り開きがあり分かりやすかった。だが、下草もなく、そのくせに木々で尾根が見通せず、標柱の周りをまわっているうちに、今登って来たばかりの尾根がどの方向なのか分からなくなってしまった。
まあ、現在位置が明白なので、地形図とコンパスさえあればNHK中継所尾根の方向を見定めることは出来る。
9:56
標柱のほんの少し南の標高点335mの大寺山の頂上と思われるポイントに着いた。誰か恥知らずの実名入り登頂記念プレートがあるのでは期待してきたが、残念なことに赤テープのマーキングがあるのみですっきりとした頂上だ。頂上だがさすが高倉山山系だ、まったく展望はない。
大寺山廃寺を通り378.6m篠首三角点へ
9:58
標柱まで引き返し大寺山廃寺方向の尾根へと下る。兵庫県立考古博物館の兵庫県遺跡地図によれば、すでにこの辺りも大寺山廃寺跡の範囲に入っていて、地形図を見るとこの先は広々とした平坦な尾根が続いている。兵庫県遺跡地図によると中世の城跡・寺跡と記載されていいる。
ここからは、ほんのわずかなマーキングと「兵公施界」と表示されたプラ杭が私を導いてくれるが、そんなものは地形図とコンパスさえあれば必要ない。
それに「兵公施界」プラ杭が、主尾根以外にも打たれている可能性は大きいので、決して安心して導かれるわけにはいかない。
10:02
地形図を見ると広い尾根が西へ続くものと思っていたが、以外にも狭い尾根が続く。地形図に表しきれない標高差10m以下の微細地形なのだろう。
10:11
ようやく地形図の地形通りに、尾根が広々としてきた。
10:17
ここが尾根なのかと、自問自答しそうなところだ。前後を高低差のない平たいピークに挟まれた平たいところだ。なんか人の手が入った削平地という感じもするがよくわからない。
ここで当惑する事態に陥った。こんな年の瀬に、こんな人気のない山系にハイカーがいようとは。自分撮りをしていると落ち葉を掻き分け歩くガサガサという音が聞こえてきて、私と同年輩の男性単独ハイカーが現れたのだ。よほど暇人の好事家なのだろう、これから私の目指す高倉山に行くという。当然ながら自分撮りをしながら登る私よりも先行して行った。
ただ心配なのは、後述するように私は無事に高倉山に辿り着き無事に下山したのだが、かの人が高倉山に登り下った形跡が全くないのだ。無事に家族のもとに帰り着けたのか心配だ。
10:24
平坦な広い尾根を通り抜け、無事にまた狭い尾根に乗ることができた。でもこの下草のなさは異常だな。
六甲山塊に鹿の10頭も放てば、ミヤコザサなどあっという間に絶滅しどこでも歩ける山に変わること請け合いだが、なぜ六甲山には猪はいても鹿がいないのか不思議だ。
10:30
篠首三角点手前の370m程のピークへの登りだ。平坦な尾根歩きの先に、こんな急な登りが待ち構えているとは思わなかった。ヒーコラヒーコラいいながら登るが、終わりのない登りはない。この地球には8848mよりも高いところはないのだ。
10:33
辛い登りの後には、ささやかな眺望が待っていた。本当にささやかな眺望で、ここも葉が茂れば何も見えなくなるだろう。
10:36
篠首三角点手前の370mピークに、この山系唯一の私設案内板がある。おそらくこの案内板の設置者は、南へ下る尾根にオイデオイデされた苦い経験があるに違いない。
普通に地形図を見ながら歩けば迷い込むことなどないと思うが、余程の方向音痴だったのだろうが、私には勝てないな。
私設案内板までは「兵公施界」プラ杭が打たれていたが、ここから先は書かれ数字が薄れた赤プラ杭が導いてくれる。
10:42
冬枯れの落ち葉が積もる尾根道にお日様が差し込み、外界もわずかに見えて、そして緩やかな登り下り、こんな切り開きが延々に続いたらいいなと思う。でもそれでは永遠に頂上に辿り着けないし、下山し愛しの妻その1が待つ我が家にも帰ることも出来ない。
10:48
一登りで378.6m三等三角点標石(点名:篠首)に着いた。ここまではそれなりのマーキングがあったが、ここから先には数えるほどのものしかない。
この先どう行けばよいのかの、370mピークへ
眺望のない篠首三角点を後にする。
10:52
マーキングはなく、ところどころに赤プラ杭があるだけだが、尾根の切り開きは明確で、そして迷い込みそうな支尾根もない。
前方の360mピークに白い柵状の構造物が見えてきた。手摺が付いた展望台かなとも見えるが、よーく見るとテレビ共同視聴設備だな。
10:58
テレビ共同視聴設備に到着。アンテナが8基もある豪華版だが、なぜかブースター装置収納盤の扉が開け放たれ、電源スイッチは切られている。登り口のNHK中継放送所もそうだったが、放送のデジタル化が既存の設備を不要にしているのだろうか。
11:01
11年前に高倉山に登った時は、このアンテナピークから南へ下る支尾根に乗り、その尾根の西側の近くまで登っている林道で下山したが、今日は西へ主尾根を進む。
11:04
アンテナピークまでは非常に明確だった尾根の切り開きは、少し不明瞭になってきた。だが、尾根を外すのが不可能な位に地形は明確だし、歩くのに邪魔をする木々は少ない。
11:12
鹿さん達が下草を食べつくしてしまったため、どこでも歩けそうだが、下の画像では本来の切り開きは私の左側ではないかと思う。切り開きだと思い込んで歩いていくと木に遮られ、隣を見ると「あれ、あっちか」と枝を掻き分け正規ルートに復帰することがしばしば。
11:17
マーキングは現れなくなったが、赤プラグ杭は引き続き打たれている。けれどもプラ杭があるからといって、正しいルートとは限らない。
11:19
これまで全くなかったシダが現れたが、歩くのに邪魔になるようなものではない。鹿はシダも食べると思うが、この辺のシダは苦いのかな。その他の草や、幼木の芽は食べつくされ、立ち木は皮をはがされ、「鹿が食べない」ものだけの植生に変わっていくのだろうか。
11:26
373m標高点の次の370mピークへの登りだ。岩尾根もなければ岩塔もなく、鋭さのない丸い尾根が続き展望はなかった。ここまで特に変わった特徴的な地形や大岩もなく、詰まらないといえば詰まらない尾根だが、その詰まらなささが特徴かな。
11:30
373m標高点の次の370mピークに到着。北北西方向に高倉山から東に続く尾根の、420mピークが近くに見える。その方向は急峻なかつて崩壊したような地形で、ここを下りるのだろうか。
下を覗き込んでもマーキングや赤プラ杭は見えないし、本当にこの激急斜面を下りなければ高倉山頂上へは行けないのだろうか。
高倉山頂上へ
11:35
下りられそうもない崩壊跡を避けて、その右側の激急斜面を木々につかまりながら下りていく。尾根に乗るには少々右に逸れているかと、少しづつ左へと軌道修正していく。
この道なき、切り開きなし、踏み跡なし、マーキングなしの急斜面を下り高倉山へと続く尾根に乗ることが、今日の肝というか核心部だった。
11:43
さすが、自称道なき藪山歩きのベテラン、尾根に乗ることができて、その証拠に足元には赤プラ杭があるし、そして前方には明確な切り開きがオイデオイデしている。
11:46
310mの今日の行程中の最低鞍部だ。今から最高標高地点の高倉山に登らなければいけないのに終盤のここで最低鞍部とは、待ち受ける急な登りが楽しみだが、とりあえず地形図を見る限りでは緩やかな登りから始まるようだ。
11:49
予想通りの緩やかな登りだが、緩やかな登りが長いほど激急が残っているわけで、安心してはいられない。
11:52
久しぶりの眺望だ。山に登る大きな目的の一つに、高いところから下界を眺めるというのがあるというが、私は山中を歩くだけで気分が高揚してくる。クライマーズハイというのか、脳内麻薬がビュービューと満ち溢れるのが感じられ、この快感が私を山登りに誘い込むのだ。
11:55
尾根というか広場だな。どの方向へ進めばよいか迷いそうだが、北に見える平たい420mピーク目指す。
打ち込みが足りなかったのか、それとも打ち込むのがめんどくさかったのか赤プラ杭が足元に横たわり、正しいルートを進んでいるのではないかと思わせる。
12:00
広場から北へ進むと、尾根は狭まり、そして明確な切り開きになった。
12:03
3分も登ると、緩やかだった尾根は急さを増して、思わず近くの木につかまりたくなる。
12:08
きつい登りが永遠に続くわけでもなく、すぐに緩やかになってきた。
でもこの、鹿が作った下草の全くない風景は歩きやすいが、若木の芽も食べられてしまうだろうし、表土も流されてしまうだろうし、そして木々の更新が無くなり、次第に寿命を迎えたら、最終的には禿山になってしまわないかと心配だ。
12:13
こんな山にも登って来るハイカーがいるようで、私の右側の木に黄色テープが巻かれ、「P.420」と書かれている。
ここから高倉山頂上へのルートがはっきりしないが、適当に北西方向に進めば自ずから道は開ける。
12:16
ここまで折角登って来たのに、50m程も下らなければならない。簡単に50mというが、15階建てのビルに相当し、かなりの下り応え、そして同じだけの登り返しが待っている。普通ならエレベーターがなかったら、絶対に登り下りなどしない。
12:20
とうとう最後まで岩尾根はなかったが、ほんの少しだけ岩が地表に現れている。
12:26
頂上まであと300mの高倉山の東の肩のようなところだ。どうやらあのピークが高倉山の頂上のようだな。
12:29
頂上まであと150m地点の微小ピーク、兵庫県立考古博物館の兵庫県遺跡地図によると、ここが高倉神社跡地のはずだが、それらしきものは通り過ぎただけでは分からなかった。
相変わらずマーキングはないが、赤プラ杭だけは律儀に私を導き。そして見送ってくれる。
12:34
もう少しで高倉山の頂上だ。頂上に着けば、あとは下るばかりだ、頑張れ。
12:36
歩き始めてから4時間、ついに高倉山の頂上に到着。でも家に帰るまでが遠足、まだ気を抜くことなどできない。
高倉山頂上からは南東方向のみの展望が得られた。麓に見える二つ列なる小さな山は双子山、その先に見えるのは見る方向によっては富士山相似の山姿に見える所から「芝田富士(こげたふじ)」だ。だが地元に住む80歳を超えた古老に聞くと双子山はその通りだが、芝田富士などというのは生れてこの方聞いたことがないという。
高倉山頂上には崩れかけた中に何もない祠、そして麓の東栗栖小学校PTA「高倉山登山記念」板。「残すのは思い出だけ」の意味を東栗栖小学校の関係者はどのように考えているのか小一時間問い詰めたいが、思い出を無理やり形にすると、こんなにも不細工な醜悪なものになるという見本として末長く晒し物にするのも何かしらの意味があるかもしれない。
祠の後ろにある本日三つ目となる三角点標石が、保護石に囲まれきれいな姿を保っている。427.1m四等三角点(点名:高倉山)だ。
下山しJR播磨新宮駅へ
12:52
地形図を見ると、147.5m四等三角点標石がある双子山へと南南西へ下る尾根は明確だが、高倉山頂上から尾根への下り口は分かりにくい。鹿さん達の徹底的な下草刈りと積もった落ち葉のため、どこが踏み跡か道か切り開きか見分けがつかない。
さらに頂上からは西南西方向へ、緩やかな尾根が続いているように見え、誘い込まれそうだ。でもその先は急な斜面があるばかりで、とんでもない困難が待ち受けているに違いない。
正しい下り口は、崩れかかった祠から下の画像方向へ進むと、枝にマーキングが付けられていて、そこから急斜面を覗き込むと、下にもマーキングが見えるのでそれと分かる。
12:55
見ようによっては登山道と見えないこともない、かすかに人工的な手が加わったような道跡のようなものしかなく、マーキングがなければ目的の尾根に乗るのは難しいと思う。
足元に厚く積もった落ち葉は、私の足と地面との摩擦係数を減らすことで、危険な転倒へと誘うし、この山は登りよりも下りの方が何倍も難しい。
この尾根にも赤プラ杭が打たれているが、もしかすると全ての尾根に打たれているかもしれない。正しいルートに乗っていると安心はできないが、ないよりはましだ。
13:00
的確な観察により、正しい登山道を下っているつもりだが、下の画像を見ると、「雑木の山中を彷徨い歩いている」とキャプションを付けてもおかしくないな。
倒木がかかり木になり、立ち木が斜めに倒れ込んでいるためこんな状況なっているが、明確な道が真っ直ぐに伸びている。
13:02
今度の画像も「ここは何処、私は誰」状態に見えないこともないが、現場にいれば下山ルートは誰にでも見えてくる。
13:06
急な尾根が緩やかというか、ほとんど水平道になってきた。右側は植林、左側は雑木林だが、手入れはほとんどなされていないな。
13:08
下草が現れ、今日初めて山道らしい道になった。ただし歩く人は少なく落ち葉が積もっているが、人里が近づいてきたようで一安心。
13:11
下るに従ってさらに道らしくなってきて、私も嬉しくなってきた。ごく普通のありふれた山道風景だが、道なき道ばかりを歩いてきたこそ感じる嬉しさだ。
13:13
シダが道を覆い隠そうとしている。さっきまで普通の山道になり嬉しかったのが、「邪魔なシダだ」と悪態をつき始める始末。
13:18
また急になってきて、厚く積もった落ち葉がうっとおしい。その昔は堆肥作りの材料として落ち葉を集めたそうで、そのころの高倉山は落ち葉一つなく掃き清められた、神社の境内のようだったのかもしれない。
13:21
急になったため視界が開け、双子山が近くに見えてきた。この風景の中に妻その1の実家が見えていたりもする。
13:26
この辺はそうでもないが、猪が山道だけをほじくり返し、ふかふかの土になっているところがある。草の下の方が餌になりそうなものがありそうだが、山道の方がほじくり返しやすく楽しいのだろうか。
13:30
シダの勢いが凄いな。固そうなシダで、鹿も猪も食べない種類なのだろう。これからの鹿の生息する里山は、このシダばかりになるかもしれない。
13:37
落ち葉さえ積もっていなければ下りやすいのだが、腰が引けると余計に滑りやすくなるし、一歩一歩慎重に下りていく。まあ滑って転んでも落ち葉のクッションはあるし、ずるずると数メートルの滑落の後に止まるだろうし、大したことにはならないだろう。
13:42
もうすぐ山道が終わりそうだ。最後まで植林は右手にしか現れなかった。
13:45
高倉山を下り、双子山に登る鞍部には、車も通れそうな林道が横切っている。ここが高倉山の実質的な登山口だが、案内板の類は全くない。
13:51
溜池の横を通り栗栖神社へと進む。
13:54
栗栖神社の絵馬殿で、帰りの列車に乗れるくらいに着替える。公共交通機関に汗臭い服のまま乗る勇気はないし、このまま汗で濡れた服を着ていては風邪を引いてしまう。
14:12
栗栖神社を後にする。自家用車の場合、栗栖神社付近なら止めることもできるが、ここまでの道が狭かったり分かりにくいので注意が必要だ。
14:48
栗栖神社から36分でJR播磨新宮駅に到着。
平成22年に駅舎の橋上化工事が完成し、ローカル線の駅としての情緒というか温かみが全くなくなり、無味乾燥なただの箱物になってしまったのが残念だ。
姫路方面行は休日の昼間でも1時間に2本と、ローカル線としては運行密度が高いが、佐用方面行は2時間に1本と極端に少なくなってしまう。
車両と路線の改良により最高運転速度100q/hを目指した姫新線高速化事業により平成21年に導入された車両で、オールステンレス車両のキハ127系気動車だ。かつての旧型気動車のような情緒や温かみが無くなり寂しくなってしまった。
そして、この車両の導入により姫新線電化の夢は永遠についえたが、電化された加古川線・播但線のように、製造開始が昭和38年、終了が昭和59年の103系国鉄通勤型電車を、2両編成2M化・ワンマン運転化・トイレ設置などなどの魔改造がされ、この先何十年の使われ続けることに比べたら、新造車両が導入され速度向上・乗り心地も改善された姫新線の方が良かったかもしれないな。
さて、次は高倉山頂上から見えた芝田(こげた)富士???でも登ろうか。
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