国見の森公園(仮称)遊歩道
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平成17年4月17日(日) メンバー 私だけ
国見山 | くにみやま | 465m |
2万5千分の1地形図「安志」を参照すること。
国見の森公園の『こ』の字もなかった頃の山行記録、比地の滝と国見山(平成14年11月)、
公園施設が完成間近なユニバーサルデザインの山、宍粟市の国見山(平成18年3月)、
国見の森公園開園日に訪れた国見の森公園開園、モノレールに乗ったぞ(平成18年8月)もあります。
自然活用型野外CSR事業
今年1月の掲示板に、宍粟郡山崎町(今は宍粟市山崎町)の国見山に、遊歩道が出来ているという情報を頂いた。
ウェブで情報収集したところ、国見山に「自然活用型野外CSR事業」(法人県民税の超過課税を財源として、文化(Culture)、スポーツ(Sports)、レクリエーション(Recreation)の場として、里山林を活用し、人と自然がふれあう豊かな森づくりを進めることを目指す)というのを20億近くの金をつぎ込んでこしらえていて、名前は「国見の森公園」(仮称)だ。兵庫県では「やしろの森公園」・「ささやまの森公園」・「なか・やちよの森公園」・「ゆめさきの森公園」に次ぐ5番目のものとなる。
いままでは頂上近くまで登る林道以外に適当な登山道が無く、登る人もまれだった国見山に、遊歩道やいろいろな施設ができて、たくさんの人が来るようになるのはよいことだと思う。
平成17年にオープンするような情報もあるが、その辺も確かめるべく、遊歩道が大好き・階段道が大好きな私は現地調査に赴いてみた。
登山口は「金谷山部《かなややまべ》古墳」
新宮町から揖保川沿いの道を北上し、山崎町に入ると、御名から中比地・上比地へ入る道が広くなり舗装も真新しくなっている。上比地集落の奥辺りに「自然活用型野外CSR事業」の中心施設が出来てそうな感じがするが、予定通り遊歩道が始まる金谷山部古墳へ向かうことにする。
御名から広くなった道を、中比地の84.2mの三角点(なぜか国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」に載っていない)がある交差点まで行き、そこから北へ曲がり金谷集落を目指す。
国見山の東、319.3mの三角点がある尾根の先端、逆さT字印の墓地に「金谷山部古墳」がある。昭和51年に尾根突端で墓地を造成中に発見された古墳で、墓地に挟まれて残された格好になっている。
10:39
墓地のお参りのための駐車場に着いたが、関係者以外は駐車禁止になっている。その駐車場にある解説板は次の通り。
兵庫県指定文化財(史跡)
金谷山部古墳《かなややまべこふん》
この古墳は今から1500年ほど前の古墳時代の円墳で、この地方の豪族の墓といわれています。城下平野を一望する位置に築かれており、宍粟郡の古墳時代を考える上で重要な遺跡です。
当地方に残る「播磨国風土記」には、「山部比治《やまべのひぢ》」という里長がこの地を治めていたことが記されています。山部氏は、朝廷直轄の部であり中央の政権と深いつながりをもっていたことが知れれています。山崎町教育委員会
↑この先上がる
案内板に従い坂道を登ると、古墳の横(墓地の横でもある)に駐車出来そうな場所がある。駐車禁止の表示もないし車を止めることにする。
金谷山部古墳は周囲を石垣とフェンスに囲まれ下から見上げるばかりで、何も見えない。石垣に1000年はもちそうな石の案内板が埋め込まれている。
県指定史跡 金谷山部古墳
この古墳は昭和51年12月共同墓地造成工事中に発見され地元の協力と関係者の努力によって保存されたものである。
5世紀中頃の円墳で現状では長径20m短径14mの南北に長い楕円形を示し高さ約15mである。古墳の構造は明らかではないが山崎盆地を一望する位置に築かれていることや単独で存在することなど宍粟の古墳時代を考える上に重要な遺跡である。「播磨国風土記」宍禾郡の条に孝徳天皇の時代揖保郡を分けて宍禾郡とするとき山部比治の努力が大きかった。その功によって山部比治は里長となり里の名を「比治里」と名付けたとある。
この古墳のある金谷地区は「比治里」の中心地と推定されているため金谷山部古墳と名付けられるに至った。昭和55年12月 山崎町教育委員会
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10:45
国見山への遊歩道は古墳の横から始まっている。遊歩道整備の期日は過ぎているので、一応完成しているのかな。
遊歩道工事中
工事名 国見の森公園(仮称)遊歩道等整備事業
区間 宍粟郡山崎町国見山地内
期間 平成16年12月15日〜平成17年3月25日花と緑あふれる美しい
県土をつくりましょう
のじぎく兵庫国体2006
“ありがとう”心から・ひょうごから施工 有限会社山田工務店
発注者 西播磨県民局
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遊歩道を登る
10:47
石垣を回ると獣除けのフェンスが張り巡らされている。完成時には簡単に開閉できるようになるのだろうが、今は数箇所を針金で縛られていて、開けるのも閉めるのもめんどくさい。
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遊歩道の幅は広く2mほどもあり、すぐに遊歩道に付き物の丸太階段道が現れた。中央部分だけが階段になっていて、両側を歩くことも出来そうだ。階段は直径10cmの丸太製で、段差は1本分しかなくごくゆるいものだ。
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樹木が密生していただろう広い尾根に、真っ直ぐに通された遊歩道の両脇10m近くは木々が間引かれ下草も刈られている。今はまだ荒々しさが目立つが、そのうちに落ち着いた雰囲気の明るい道になると思う。木々が間引かれているおかげで、振り向くと枝越しに風景を見ることが出来る。
ピンクのコバノミツバツツジが少しだけ、白いアセビは所々で咲いていて、盛りを過ぎたヤマザクラは数本だけ。今の国見山遊歩道は花が咲く木は少ない。
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11:07
遊歩道の真ん中にヤマザクラの木が1本残されている。切るに偲びがたかったのだろうが、ぽつんと残すよりは一思いに切ってしまった方がよいと私は思う。そこから左へ分岐していく道があるのだがどこへ行くのだろうか。
11:09
長いが緩やかな階段道が現れた。階段の上り口脇に波賀町森林組合のヘルメットとチェーンソーがデポしてある。遊歩道自体の工事は終わったが、両脇の木々の間引きはまだまだ続くようだ。
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11:21
階段道を登り終えると319.3m四等三角点標石(点名:金谷)があり、真新しい丸太のベンチが設置されている。ここで5分ほど休憩する。日当たりのよい尾根道で温度計は27度を示し、ここで上着を脱ぎTシャツ1枚になる。
三角点から上のゆるいピークは松林になっていて、人の手により植えられたものだろう。アセビの花も咲き、所々にベンチが置かれて、なかなかと雰囲気のよいところだ。
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国見山頂上が近づくと、この遊歩道最大の難所が現れる。といっても丸太2本分の段差(20cmほど)の階段道をジグザグと登るだけで、木々につかまりながら登るようなことはない。
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変容した国見山頂上
11:51
遊歩道は緩やかになった頂上近くで、南側からの広い尾根を登ってきた道と合流する。
当然ながら道標はまだ設置されてなく、合流してきた道がどこへ下るかは定かではない。おそらく、南の広い尾根から西側の谷筋を横切って1本西の長い尾根を下り、上比地集落奥に造られていると思う「自然活用型野外CSR事業」の中心施設へと続いているような気がする。下山はそっちに行ってみよう
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11:57
木々が見事に伐らてしまい前回登ったときの面影がない頂上からは、誰かいるのかラジオの音楽が流れてくる。頂上に着くと、なんと9人もの女性だけのハイカーが木陰で休んでいる。ただ地元のおばちゃんたちだったのが残念だった。それはおばちゃんたちも同じに感じただろうが。
展望台に恐る恐る登るおばちゃん、ワラビ採りに夢中なおばちゃんと、みんな元気でにぎやかで、楽しい人たちだ。
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パイプ組みの展望台と山崎町の風景、電波反射板(近畿地方建設局 国見山反射板)は変わってないが、頂上から北西(地形図の「国」の字のところ)まで車道が登ってきていて、建設重機も入り大掛かりな土木工事の最中だ。「森の学校」というのがこの辺りに出来るらしく、南へ下る谷筋へも階段道が見える。
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車道が北東と南西方向に延びていているが、どこへ通じているのかは分からない。
下山も遊歩道
12:55
下山開始。登ってきた遊歩道を下るとすぐに分岐点に着いた。ここから、頂上から南へ下る尾根に付けられた遊歩道を下ることにする。道端に「ベンチの素」が置いてある。半丸の太い丸太に2本の足が付けられ、それぞれの足には根かせが付けられている。何の気なしに見ているベンチでもいろいろ考えて作られているんだ。
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登りに使った遊歩道は、昔の里山の風景を再現するためか両脇の木々を間引いてあり見通しがよかったが、こちらの遊歩道の両脇の木々はそのままのところが多い。緩やかなところもあるが、おおむね急で丸太2本分の階段道(段差20cm)が続く。
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13:13
遊歩道は予想通り、南に下る尾根から西へ回り込み浅い谷にかけられた短い丸太橋を渡る。
上比地へと下る尾根に乗ると、そこからの遊歩道はいまだ建築途中で、道端にはユンボが置かれている。頂上側の尾根の木々も伐られていて、新たに遊歩道が作られるのだろうか。はたまた「森林学習軌道」というものが通されるのだろうか。
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13:20
ユンボは階段道を下ることが出来ない?ので、ここから下には階段道が無く、急坂の脇には「階段の素」が置かれている。10cmほどの丸太2本に足が2本ボルト止めされているもので、間伐材で作られたものだろうか。私にこれを据え付けろと言われても1日で1セット出来るだろうか。まだ階段のない急な滑りやすい道を下ると、階段の有難みが理解できる。
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13:23
尾根を外れた遊歩道を下っていくと、少し離れて資材運搬用のモノレールの軌道が急斜面に設置されている。その軌道の脇の木が必要以上に伐られていて、ここに「森林学習軌道」が通されるのだろうか。こんな急斜面を登るのはどんな乗り物なのだろうか、楽しみだ。
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尾根の斜面に大きくジグザグに付けられた道を下りていく。階段予定地の急坂は滑り落ちそうでスリルがある。
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13:36
樹間からモノレールの出発駅(ポイント付きで2番線ホームまである)が見えてきて、もうすぐ麓だ。
13:42
キャタピラー式の小型運搬車2台の脇を通り、遊歩道の終点に到着。三脚をセットしての時間がかかる写真を撮らなかったらもっと早いだろうが、登りは70分、下りは50分ほどかかった。
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遊歩道の出口は予想通り上比地の集落の奥で、造成工事(今日は日曜日でお休み)を行っている。
造成工事中
工事名 平成16年度 国見の森公園(仮称)用地敷地造成工事
区間 宍粟郡山崎町国見山地内
期間 平成16年12月7日〜平成17年3月25日花と緑あふれる美しい
県土をつくりましょう
のじぎく兵庫国体2006
“ありがとう”心から・ひょうごから施工 (有)山崎北川建設
発注者 兵庫県土地開発公社
基礎工事中
国見の森公園(仮称)
森林学習軌道基礎工事中
区間 宍粟郡山崎町国見山地内
期間 平成17年2月1日〜平成17年9月28日
施工 播磨土建工業(株)花と緑あふれる美しい
県土をつくりましょう
のじぎく兵庫国体2006
“ありがとう”心から・ひょうごから発注者 兵庫県土地開発公社
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土地の造成は終わったようだが建物はまだ形も無く、国見の森公園(仮称)がオープンするのは、早くても平成18年の秋くらいかも知れない。頂上へ行く林道は閉鎖はされていないが「土砂崩落につき通行止」、「関係者以外立入禁止 この先、道路工事中。Uターンはできません。」の警告板が立っていて一般車の乗り入れを嫌がっているように見える。
この付近には適当な駐車場所もないし、施設が正式にオープンしてからの方が駐車場や道標なども整備され、歩くのもより楽しいかと思う。
14:11
国見の森公園(仮称)から25分ほど歩き「金谷山部古墳」に戻る。車を駐車場所から出そうとするとパァンという音が右後輪から聞こえてきた。普通に出せばいいものを、変に大回りをしたためか落ちていた釘が見事にタイヤに突き刺さり(それも金槌で打つ平らな方から)空気がシューと抜けていく。
「ツタンカーメンの呪い」ならぬ「金谷山部古墳の呪い」に触れてしまったようだ。次に来るのは施設が完成してからにしよう。
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